太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#2166(2007.11.8)
<皆さんとディスカッション(続x3)(その1)>

<masuda>

 太田さん、再度ご返答ありがとうございました。
 コラム#30読みました。
 日本政治家の腐敗、及び、飽食の時代下、日本国民の軍事に関する無関心、拒絶感、たかじん〜第1週目で「本来目的に使うなと言ってお金を渡している」は、憲法上の話かと理解していましたが、非常に根が深いものだと痛感しました。
 何より自分は学生なのですが、今まで如何に無関心で無知であったか、とても恥ずかしい思いです。

<太田>

 コラム#30は、2002年にどこかのオピニオン誌に載せてもらおうと書いたものなのですが、最初に持ち込もうとした雑誌に口をきいてくれそうな人の所でお断りを喰い、結局そのままおクラ入りした代物です。

<20の学生>

 調子にのってぼくも太田さんに質問させてください。
 9.11テロはアメリカの自作自演だと太田さんは思いますか?
・無視してもらって結構です。
・太田さんのこれまでの著書やコラムに回答があったらごめんなさい。
・「たかじん」から太田さんを知りました。応援してます。
 政治家になってほしいです

<太田>

 9.11同時多発テロ以降、米国が戦時体制・・私に言わせればファシスト的体制・・となり、米国の報道の自由が次第に損なわれつつあるとは言うものの、米国のように強力なマスコミが活躍している国で、おっしゃるような積極的な大陰謀を大統領等が行う余地は皆無です。
 そんな説を唱えている人物は、全く国際知識がない・・とりわけアングロサクソンというものが全く分かっていない・・と言うほかありません。

<日本の某大新聞の記者>

 日本の防衛・外交がもっと自立的であるべきだというご主張には、「全く、同感」と言いたい気持ちです。対米従属は目にあまります。が、一方、アジアで友人のいない日本の悲しい現状を考えると、アメリカとある程度(かなりの程度)、おつきあいせざるをえない(つきあいの内容が問題ですが)のではないでしょうか。そのあたりをコラムで展開していただけるとありがたいです。

<chun>

 EUは移民受け入れを先陣切って行い、そして見事に失敗しました。日本が同じ過ちを犯す必要はどこにもありません。
 まあ、オランダのアレっぷりを見るのが一番手っ取り早いでしょう。

<一韓国人>

 太田様、私は留学生で日本の歴史に興味があります。
 最近、あなたがテレビで活躍されているのをみました。そこで、このブログを観させて頂いたのです。
 ところで、質問があります。
 あなたのブログを読んでとても思ったことがあります
 韓国人は日本の武力的な植民地支配でホロコーストをされました。ハングルを禁止され、名前も奪われました。
http://www.independence.or.kr/JP/Cyber/appl/Cyber_02.php)韓国の歴史ではこのように習います。これは事実です。

>古代以来、韓国から文化を受け入れてきた日本は、19世紀の半ばから武力で韓国を侵略してきた。日本帝国主義は機会がある度に各種不平等条約を強要し、1910年には韓国を強制的に併合し、経済的収奪と独立運動に対する非人道的な弾圧を行い、結局、韓国民族を抹殺しようとした。この展示館には日本帝国主義の侵略と蛮行の実状が展示されている。
 では、質問です。ドイツ人はユダヤ人にきちんと謝ったのに、どうして日本人は韓国人にきちんと謝らないのですか?
 勿論日本の隣国に日本に反対する国を作ったことは日本に責任があると思います。
 以上です。

<太田>

 以上の日本人2名、韓国人1名の読者からのコメントにまとめて回答させていただきます。

 皆さんに、最初に理解していただきたいのは、戦前の日本帝国とはいかなるものであったかです。

 私はずっと以前に台湾「独立」運動の闘士である林建良さん(医師)とある勉強会で共に講師を務めたことを契機に、私は彼の発行しているメルマガ「台湾の声」を講読し、彼は私の無料コラムを講読するという関係ですが、その「台湾の声」が1904年の英国のタイムス紙の記事を掲載していたので、その抜粋をご紹介しましょう。
 (日本語訳が「台湾の声」には載っていたが、頼んで原文を送ってもらった。原文が手に入る場合は、私は日本語訳は読まないことにしている。以下は私による仮訳だ。)

<引用始め>

 野蛮な台湾島、日本によって変貌を遂げる(TRANSFORMED)
 他国が服従させることに失敗した住民に数年で奇跡が生じた
 他の植民地宗主国(Colonizing Nations)にとっての教訓(Lesson)

 ロンドン 1904年9月24日
 本紙は本日、日本による台湾(Formosa)の変貌(transformation)についての以下の特派員記事を掲載する。
 そのテーマは、いかなる営みおいても成功するためには、持ち前の才覚(native talent)、緻密な実践(close application)、そして経験という三つが必須であるというものだ。
 植民地経営(colonizing)もその例外ではない。すなわち、ドイツは緻密な実践にもかかわらず、持ち前の才覚がなかったか経験不足のために植民地経営に失敗した。というよりもドイツは、その最初の植民地化の試みにおいて失敗した・・最初の試みにおいては何事によらずよくあることだが・・ことが爾後のドイツの植民地化を失敗続きのものにしてしまった、ということではなかろうか。
 かかる観点から、日本による最初の植民地化の試みはとりわけ興味が持たれてしかるべきだろう。それに何と言っても、日本の最初の植民地である台湾は、それまで様々な国による植民地化の試みを挫折させてきた島であるときているのだから・・。
・・
 ・・1894〜95年の日清戦争が終わった時、日本は台湾を要求したわけだが、清は喜んで、とまではいかなくても前向きにその割譲に同意した。李鴻章(Li Hung-Chang)は、日本はとんでもない取引をしたものだと臍をかむことになるだろうと嘲笑した
・・
 現在台湾は日本の統治下においてまだ数年の完全な平和しか享受していないが、この国の外観とそれまで野蛮であった住民の精神は完全に変化し、原住民は日本による統治の素晴らしさ(blessing)を理解し、称賛し始めている。
・・
 日本は、これまでのところ、住民の抱いている様々な偏見を可能な限り尊重してきており、彼らに文明への道を押しつけることをせず、優しく指導することに努めてきた。
・・
 台湾は各種伝染病に悩まされてきた。その多くは、原住民がよどんだ貯水池や汚染された渓流から得られたひどく質の悪い水を用いていたことが原因だった。そこで日本はきれいな水の供給を確保することを始めた。
・・
 日本によって導入された様々な近代的手法によって、米の生産は1896年から1902年の間に10%伸びた。茶の生産量はその間に5倍に増えた。砂糖、サツマイモ、サトウキビ、ラミー(ramie)、ジュート(jute)、ウコン(turmetricとあるがturmericの誤植と思われる(太田))等々、他の商品作物も生産量がすべて大幅に増えた。
・・
 1987年には、台湾の人口は245万5,357人だったが、1903年にはそれが308万2,404人にまで増えた。
・・

<引用終わり>

 Mixiの太田コミュニティーに原文の全文を掲げておいたので、Mixi会員の読者で関心のある方はお読み下さい。
 
 この記事を書いたタイムスの記者は、ドイツを引き合いに出していますが、実は英国の植民地統治と比べてさえ、いかに日本の台湾統治が素晴らしいかに瞠目しているのだと私は思います。
 当然のことながら、日本は朝鮮半島を植民地統治するにあたっても全く同様の手法をとったのです。

(続く)
------------------------------------------------------------------

太田述正コラム#2167(2007.11.8)
<文藝春秋の裏切り>

→非公開

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/