欧州文明の成立に関する阿部謹也説


太田述正コラム#1750(2007.4.28)
<欧州文明の成立に関する阿部謹也説(その1)>(2007.11.5公開)

1 始めに

 ひょんなことで、一橋大学学長を務めた阿部謹也(1935〜2006年。ドイツ中世史専攻)氏の『自分のなかに歴史をよむ』(筑摩書房1988年3月)を読みました。
 阿部氏の、欧州文明はキリスト教が形作ったという主張自体は目新しいものではありませんが、氏はこの主張を、独特の視点から行っています。
 そこで、阿部氏の主張をかいつまんでご紹介した上で、私のコメントを付したいと思い立ちました。

2 阿部氏の主張

 「ひとつの社会における人間と人間の関係・・は、・・贈与・互酬関係<等の>モノを媒介とする関係と目に見えない絆で結ばれた関係<からなっています。>・・目に見えない絆<とは、>・・愛や思想、掟、迷信、信仰、習慣、音楽など<です。>」(99〜100、120頁)

 「ヨーロッパ・・中世社会は身分制社会でした・・<ただし、>市民、農民、貴族の間で身分の上下はあったのですが、それぞれの身分の内部では自分たちで規則をつくり、それに従わない者を罰する権利をもち、他の身分の者の介入を許さない組織をつくっていたのです。」(94〜95頁)

 「ところが、このような身分を構成しえない人びとがいたのです。奴隷は・・古代からいたのですが、・・<中世の>12、13世紀以降・・それとは別種の不自由民が生まれてきました。・・特定の職業に従事する人びとが、・・恐れられながら、賤視されたのです。・・死刑執行人、捕吏、墓掘り人、塔守、夜警、浴場主、外科医、理髪師、森番、木の根売り、亜麻布織工、粉挽き、娼婦、皮はぎ、犬皮鞣(なめし)工、家畜を去勢する人、道路清掃人、煙突掃除人、陶工、煉瓦工、乞食と乞食取締り、遍歴芸人、遍歴楽師、英雄叙事詩の歌手、収税吏、ジプシー、マジョルカ島のクエタス(洗礼をうけたユダヤ人)、バスクのカゴ(特別な印を服につけさせられていた被差別民)、などがあげられています。」(95〜96頁)

 「古代、中世の人びとは空間を均質的な場であると理解してはいませんでした。聖なる空間とそうでない空間があって、前者は恐れをもって接しなければならない空間でした。・・<聖なる>空間をアジール(聖域、避難所)といいます。」(104〜105頁)
 「<聖なる空間たる>小宇宙である人体に生じたすべての現象(病気だけでなく、背が低いことや赤ら顔であることなどの肉体的特徴)はみな、<同じく聖なる空間たる>大宇宙の影響によるものと考えられていたのです。個々の人間の運命も、大宇宙の星の運行との関係できまると考えられていましたから、占星術が中世では大きな位置を占めていたのです。」(110頁)

 「<上記12、13世紀以降賤視されることになる人びとは、もともとは、>中世の中ごろから、一般の人にとって不気味な大宇宙<である、>・・火、土・・ゴミ、糞尿、水等を扱う、・・特別な職業に従事する異能力者とみられて<おり、>・・畏怖される存在だったのです。」(110、114、116、118頁)

 「11、12世紀以前のヨーロッパの人間関係は、モノを媒介とする関係と、目にみえない絆に媒介された関係の二つの面で、現在までの日本人とひじょうに似た社会関係を結んでいたのです。・・<その>ヨーロッパ社会が、・・かなり違った人間関係の社会に変化したの<です。>」(121頁)
 「<それは、>11、12世紀のヨーロッパ・・<では、>キリスト教がようやく社会の下層まで普及しはじめ、キリスト教の教義に基づく世界の捉え方が広まっ・・たためです。・・<聖なる空間とそうでない空間>という世界の構図が崩れはじめた<のです。>・・戦争や不作、病気や運・不運、幸・不幸などの背後には、それらを司る神々や諸霊がいると信じられていましたから、人びとはそれらの神々や諸霊に供え物をささげ、保護を祈願していたのです。神々や諸霊と人間の間に互酬関係が成立していたのです。ところが、キリスト教の教義では、・・この世におけるすべての出来事は、病気も不幸も、あるいは災害や戦争、不作なども、みな神の摂理の結果として説明されることになったのです。」(123〜124頁)
 「かつては個人と個人、集団と集団の間の互酬関係か、人間と神々の間の互酬関係しかなかったのですが、キリスト教とともに教会という権力が、人と人との互酬関係の間にはいり、天国か地獄かという絶対的な終着点を基準にして、人と人との間にやりとりされていたモノ(財産)が、教会に大量に流入することになったのです。」(133頁)

 「<ここに、>モノを媒介とする関係・・よりむしろ、目にみえない絆によって結ばれた関係を重視しようと<する>・・新しい文明・・ヨーロッパ文明<が>成立<したのです。この文明は、>・・地域を越えた普遍性をもとうとして<おり、>人間関係の総体が、一応予見しうる・・<という>意味・・で合理的、機能的になるという特徴をもっています。<そして、>全世界を包含するキリスト教世界を創り出そうとし・・たのです。」(142〜143頁)

 「モノを媒介とする関係が強く正面に出ている現在の日本のような状態は、必ずしも人間にとって幸福とはいえないでしょう。しかし、目に見えない絆によって結ばれた関係が強く正面に出てくる社会もまた、幸福な社会とはいえません。」(146頁)
 「ところが、<その後ヨーロッパに出現した>プロテスタンティズム<は、それを更に進め、>人間と人間の関係のなかから、モノを媒介とする関係をいっさい捨てさ<ってしまった>のです。・・<その結果、>目に見えない絆によって結ばれた関係になんら対応するところのない形で、モノを媒介とする関係がつくられてゆき、<これが、>資本主義社会の成立に<つながった>のです。」(147〜148頁)

 「<さて、上記ヨーロッパ>文明の立場にたつかぎり、被差別民などあってはならない<のに、どうして冒頭掲げたような、賤視される人々が出てきたのでしょうか。>」(154頁)
 「<それは、>内心ではひじょうに恐れ恭っている人びとが、・・キリスト教の教義<によって>・・公的な世界ではその存在を否定され、社会的な序列からはずされ・・、<にもかかわらず、これらの人びとが>現実に共同体を担う仕事をしているという奇妙な関係が成立したのです。このような状況のなかで、一般の人びとも、それらの職業の人びとを恐れながら遠ざけようとし、そこから賤視が生ずるのだと私は考えています。」(159〜160頁)
 「これらの被差別民が解体してゆくのは、共同体が解体した18、19世紀<になってから>のことでした。」(161頁)

 「中世ヨーロッパにおいては、音楽は算数、幾何、天文と並ぶ4大学科の一つでした。・・音楽は娯楽ではなく、世界を解釈するための思弁の一つの形と理解されていた・・。」(192頁)
 「キリスト教会は・・フランク王国統一<の>・・当時、いっさいの俗謡を禁止しようとした・・。・・ある学者は、カール大帝が軍事力によってグレゴリオ聖歌を普及させようとしたのは、フランク王国統一のための重要な手段であったといっています。・・<しかし、>グレゴリオ聖歌だけでは・・聖なる空間とそうでない空間・・のさまざまな音を一元化・・できなかったのです。そこで考え出されたのがポリフォニー・・いくつかの異なった音が同時に発せられ、あるいはいくつかの音が同時にある調和をもって演奏されるもので、多声音楽とも呼ばれてい<る>・・ではないかと私は考えているのです。・・<この>ポリフォニーが・・のちの交響曲までいたるの<です>」(196〜198、200頁)

(続く)

太田述正コラム#1752(2007.4.30)
<欧州文明の成立に関する阿部謹也説(その2)>(2007.11.5公開)

3 コメント

 (1)キリスト教文明としての欧州文明

 このように、欧州文明はキリスト教文明である、と言われると、改めてそのアングロサクソン文明との違いを思い起こさせられます。
 私は何度も、アングロサクソンは、欧州と違って、キリスト教を含め、ローマ文明を継受しなかった、と申し上げてきているところですが、ここで、キリスト教継受の有無に焦点をあてて、疑いの晴れぬ読者の説得に努めたいと思います。

 ご登場願うのは、ベストセラーの『イギリスはおいしい』(文春文庫1995年。原著は1991年)で余りにも有名な林望氏です。
 同氏の『イギリスは愉快だ』(文春文庫1996年。原著は1991年)の以下の箇所は、見事にアングロサクソンのキリスト教観・・宗教観と言ってもよい・・をとらえています。

 「私の見るところ、イギリス人に宗教性が希薄であることについてのいちばん大きな要素は、イギリス人の個人主義が、宗教的全体性と相容れないという事にありはせぬかと思われる。シビル・マーシャルという人の編んだ『Under the Hawthorn』(J.M.Dent & Sons, 1981)という箴言集の中に、The nearer to church, the farther from God. ということわざが出ている。「教会に近付けば近付くほど、神からは遠ざかる」というのである。教会とか僧侶とかいうものの持っている本質的な俗物性を、このことわざは見事に言い当てている。アメリカ的な意味で敬虔なクリスチャンと看倣される生活様式の中には、じつは個人の自立や尊厳とは相反する、かなしい俗物性が隠されていることを、イギリス人のインテリジェンスは見抜いているのである。だから、イギリス人は無神論的だと考えるのは当たらない。彼らの心の中にも、れっきとした神が息づいているのだけれど、ただ、それが個人の生活なり、個人の価値観なり、理性・判断なりといったものを冒すものではないと思っているのである。いや、そういう人間としての尊厳は神といえども冒すことを許さない。というこの高い誇りがイギリス人をいちばん根本のところで支えているのだということを、私たちはよく知っておくべきである。」(166〜167頁)

 なぜ、私が林氏の本から引用したかと言うと、私の巨視的アプローチに対するところの、氏の微視的アプローチという違いこそあれ、氏が日本人の中で、最も私と似通ったアングロサクソン論を展開されているからです。
 イギリスの料理はまずいことで定評がありますが、氏をエッセイストとして世に出した『イギリスはおいしい』の次のくだりにも私は全く同感です。

 「「料理」ではなくて、その「素材」について言うならば、日本とくらべてどことくらべてもおいしいものがイギリスには少なからずある。そうして、重要なことは、その「おいしさ」が、品種改良のような努力の結果ではなく、むしろその逆であることである。」(38頁)

 ついでながら、微視的と申し上げたのは、この種のことは私は著書やコラムであえて取り上げていないこと、しかも、氏が一冊の本(続編も出版されたので二冊の本ということになる)を使ってこのことを微に入り細を穿って説明されていることです。

 (2)阿部謹也氏の方法論への疑問

 ドイツに留学した阿部氏は、「日本の大学の<中世ドイツ史専攻の>歴史学の助教授なのに、ドイツの学生ほども古文書をよむことができない」ことを発見して絶望感に苛まれます(阿部前掲書75頁)。
 これは、阿部氏の責任と言うよりは、日本における広義の社会科学の後進性を示すエピソードですが、そんな氏が、日本とドイツ以外の歴史を一次資料を用いて論じることができないのはやむをえないことです。
 しかし、「人間と人間の関係は、モノを媒介とする関係と目に見えない絆で結ばれた関係からなっている」といった大理論を展開されるのであれば、日本とドイツだけでなく、フランス等を含めた欧州全般、更にはイギリス、そして世界中の歴史を二次資料で勉強した上でその理論を展開されるべきところ、例によって阿部氏の本には典拠が示してないので、確言はできませんが、氏がそのようなアプローチをされたようには思えません。
 このこととも関連しますが、歴史家、ひいては広義の社会科学者にとっては用いる概念の厳密性が不可欠であるところ、例えば氏が、「モノを媒介とする関係・・たとえば、同じ中学を卒業した同窓生のばあい、私たちは同じ建物、教室、運動場、机や椅子を思い浮かべます・・お金持ちになるということは、お金というモノをたくさん手に入れることを意味しています。」(99〜100頁)と説明されているのには首をかしげざるを得ません。
 学校の同窓生の間の絆は、共通体験という目に見えない絆であって、決してモノを媒介とする絆などではないからですし、お金は少なくとも単なるモノではないからです。
 要するに阿部氏は、大理論など展開することなく、単に、欧州において12〜13世紀に、キリスト教が、それまで欧州各地に存在していたところの、様々な聖なるものと人間の間の互酬関係を駆逐し、更に、個人と個人、集団と集団の間の互酬関係すら抑圧した結果、教会にモノ(財産)が集中するメカニズムができ、不幸な時代が到来した、とおっしゃればよかったのです。
 いずれにせよ、そんな阿部氏が背伸びして展開されている資本主義論やポリフォニー論には、説得力は全くありません。

 (3)阿部氏の貢献

 阿部氏の貢献は、中世の欧州に、日本の部落民よりはるかに広汎な被差別民が存在したことに光を照射し、それがキリスト教による各地の様々な聖なるものの駆逐によって生み出されたことを指摘したところにあります。
 (本当に氏のこの指摘にオリジナリティーがあるのかどうかは、知りませんが・・。)
 ただし、阿部氏は、18.19世紀にこれら被差別民が解体してゆくとしているところ、むしろ、差別の対象は、ユダヤ人とジプシー、そして有色人種に収斂して行ったと見るべきではないかと思うのです。

(完)