太田述正コラム#2137(2007.10.21)
<防衛省不祥事報道に思う(続)>

1 始めに

 将棋の世界に後の先という言葉があります。
 朝日と産経に先駆けを許した毎日が、本日付で詳細に防衛省不祥事を報じました。
 よくこれだけ取材をしたな、よくこれだけ現時点で書く決断を下したなと思います。
 朝日も産経も、そして毎日に至ってはサンデー毎日と本体と別個に私が取材された相手であり、感慨深いものがあります。

2 毎日の報道内容

 (1)ゴルフ以外の接待疑惑

 「防衛省の守屋武昌・前事務次官(63)と頻繁にゴルフをしていた防衛専門商社「山田洋行」(東京都港区)の元専務(69)が数年前、前次官の次女 を米国で飲食接待していたことが分かった。取材に元専務が認めたもので、米国の語学学校への進学を決めた次女の「激励会」だったという。元専務によると、次女は米国の大学院への進学を目指し、英語力を上げるため現地の語学学校に入学した。その際、ニューヨーク州のステーキハウスで 次女の激励会を開き、元専務が代金を支払ったという。これに先立ち次女が渡米する際にも、同社現地法人の関係者が住居探しや生活用品の購入などを手伝った。」

→コメントしようがありません。(太田)

 「山田洋行・・が90年ごろから、高級牛肉やカニなどを、防衛庁(当時)の多数の職員に一斉に送り付けていたことが分かった。(69)が5年間に100回以上、前次官とゴルフを していたことが既に判明。贈答品攻勢の開始は、・・<守屋前次官と>元専務2人がゴルフを始めたとされる時期と重なっており、同社が多額の交際費を使い、庁全体を取り込もうとした姿勢が鮮明になった。」

→贈答品を送り返した防衛庁職員もいたようです(毎日)が、エライ!。(太田)

 (2)天下り疑惑

 「150人程度の社員数(05年当時)に対し、多い時には8人前後の同省OBを顧問として受け入れていた。別の商社幹部は「規模に比べOB採用数は多い」と言う。同社に天下りした複数の同省OBによると、通常は退官時と同程度かそれ以上の給与が支払われ、将官クラスなら個室もある。大半は週2、3回の出勤 で、業務はほとんどないが、同省が導入予定の装備品に関する情報入手や、同省に営業をかける際のアドバイスを求められるという。同社顧問を務める同省OBは「会社の仕事には直接はタッチしない。出勤したらパソコンでメールをチェックする程度」と話し、別の元顧問は「個室に電話もコンピューターもあるので、好きな時に好きなことをしていた」と明かした。OB採用は、グループ会社でも行われ、元専務は同省幹部の家族ら親族の採用も指示。元社員は「お金を渡すと贈収賄になるが、身内の採用は問題な い。貸しを作っていたように見えた」と語る。一方、元専務は「受け入れはお付き合い。OBには役所にあいさつに行く時、口添えしてもらう程度」と説明した。」

→これは山田洋行に限らず、どこの防衛関係企業でも見られることです。更に申し上げれば、どこの役所の関係企業でも・・。
 要するに、役所のOBに対し、税金から法外なヤミ年金が支払われているということです。有権者・・あなたもそうです・・もそれを見て見ぬふりをしてきたわけです。(太田)

 (3)政治家コネクション疑惑

 「山田洋行<は>・・民主党の東祥 三・元衆議院議員(56)も顧問として採用しており、高額の受注を維持してきた裏で行われた政官界対策の一端が浮かんだ。東元議員は、政治家の紹介で10年ほど前に顧問に就任。・・取材に「政治活動の報告や世界情勢の分析が私の仕事。将来、私が力を持てば便宜を図ってもらいたいという企業家心理はあると思う」と話した。東元議員は元国連職員。90年に公明党から衆院選(旧東京6区)に出馬・当選し、4期(4期目は自由党、後に民主党)を務めたが03年、05年の衆院選で落選した。」

→自民党系でない元議員が防衛関係企業の顧問になるのは極めて異例です。
 東元議員を山田洋行に紹介した、というより事実上採用を強いたのは、自民党有力議員でないとすれば、元自民党の現役有力議員でしょう。現民主党の大物である可能性が高いですね。
 そう考えると、小池対守屋の騒動の時に民主党が沈黙を保ったことや、民主党による守屋国会喚問要求の際、最初、防衛省不祥事疑惑への言及がなかったことの説明がつくのですが、そんなこと考えたくもないですね。(太田)

 「沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題では、95年末に防衛審議官に任命され、翌年発足した橋本内閣では交渉役となり、しばしば沖縄入りし強い影響力を持つようになった。小泉内閣では特に重用された。当時の飯島勲首相秘書官とパイプがあり、時に政治家以上の発言力を持った。昨年の訪米時では閣僚に近い厚遇を受け、安倍内閣では同庁念願の省昇格を実現させた。」

→小泉元首相の化けの皮が剥がれつつあります。それにしても、選挙の心配がなかった小泉氏がどうして?(太田)

 「久間章生、小池百合子両元防衛相との間で確執を深めた。久間氏は9月の省再編で、退官させる狙いだったが自らの原爆投下「しょうがない」発言で辞任。後任の小池氏も退官を迫ったものの、対立が長引いた結果、小池氏は次期次官に警察庁OBを起用する構想を断念。生え抜きの増田好平氏が次官となった。高村正彦前防衛相とも不協和音が生じた。守屋氏が高村氏に相談せず常勤顧問に就任する動きをみせたためだ。高村氏が激怒し、就任を撤回している。・・ 小池氏は・・、前次官の退官について、業者との不明朗な関係も理由の一つだったと示唆した。つまり、省内では今回の問題が以前から取りざたされていたということだ。石破茂防衛相は前次官から直接、事情聴取するという・・。」

→久間氏の守屋氏との確執の原因は、守屋氏が山田洋行から分裂した日本ミライズ・・要するに例の元専務・・を、久間氏が(残った方の)山田洋行を推したからだ、と巷間噂されています。そうだとしたら、まことに次元の低い確執であったわけです。
 小池、高村、そして小池・守屋騒動で小池氏の側に立ち、現在は守屋氏の喚問にも前向きの姿勢を見せている石破防衛相(毎日)(以前、守屋氏が次官だった時に防衛庁長官を勤めている)を除く、すべての(守屋氏と関わった)元防衛庁長官・防衛大臣はスネに傷を持つ身であると考えた方がいいでしょう。
 守屋氏に毅然と対処できた長官・大臣は、おおむね、選挙のことを心配する必要がなく、従ってカネに飢えていない政治家ばかりであることにお気づきでしょうか。(小池氏はTVキャスター出身、高村、石破両氏は2世議員です。)(太田)

 「これまで政治の側が非力で「次官の独走」を許してきたといってよかろう。同省ではこの数年、防衛施設庁の官製談合事件など不祥事が相次いでいる。組織としてどこに欠陥があるのか。福田内閣は早急に点検する必要がある。」

→「政治の側が非力」であったのではなく、自民党と役所が構造的な癒着関係にあり、不祥事を互いにかばい合う関係にある、ということです。私に言わせれば、主要マスコミもこの癒着関係の一端を担っているのです。

 (4)その他

 「前次官と元専務が知り合ったのは、前次官が戦闘機調達などを担当する航空機課長に就任した90年7月ごろ。ゴルフは間もなく始ま<った>。」

→今回問題になっているCX用エンジンのメーカーであるGE・・かつての山田洋行、そして現在の日本ミライズは同社の代理店・・の日本支社の日本人幹部の依頼に応じて、その幹部を初めて守屋氏に紹介し、六本木で昼食を共にしたのは私です。当時確か守屋氏は航空機課長で私は人事第2課長でした。このGE幹部はスタンフォード・ビジネススクールの先輩、守屋氏は私の同期という関係にありました。当時倫理規定は厳しくはなかったというものの、今となっては寝覚めが良くないですね。(太田)

 「前次官は、問題が発覚した19日早朝から報道陣の前に姿を見せなかったが、20日夜、車で自宅に戻った。毎日新聞などの取材に「近いうちにお話しします」「きちんと説明します」とだけ落ち着いた口調で繰り返した。」

→守屋君。ありのままにすべて話せよ。
 そうすれば、自民党は壊滅し、政界大再編が起き、日本再生へのきっかけとなるだろう。
 そうでもしない限り、君は防衛省大不祥事の主としてだけ歴史に名をとどめることになる。それでは、あなたの奥さん・・元防衛庁職員の旧姓松本さん・・もお子さんも浮かばれないはずだ。(太田)

 (以上、
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071021k0000m040113000c.html
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071020ddm002010032000c.html
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071020ddm001010004000c.html
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20071021k0000m070124000c.html
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071020k0000m010158000c.html
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071019dde001010073000c.html
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071021k0000m040128000c.html
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071021k0000m040127000c.html
(いずれも10月21日)による。)
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 有料版のコラム#2138(2007.10.21)「あの英帝国を興し滅ぼした米国(その1)」のさわりの部分をご紹介しておきます。
 コラム全文を読みたい方はこちらへ↓
http://www.ohtan.net/melmaga/

 ・・
 英国が米独立戦争で直面した状況は、現在米国がイラクで直面している状況と極めて似通ったものがありました。
 すなわち、英国は、十分でない兵力を北米植民地に送り込み、植民地の独立派のゲリラ戦術に悩まされたのです。しかも、私に言わせれば、独立派の多くは宗教原理主義者だったのです。
 独立派はこのゲリラ戦術を、インディアンとの戦いを通じて習得しました。
 インディアンが英領植民地人に対して行った待ち伏せ攻撃、ヒットアンドラン作戦、機動的戦略、テロや拷問、女性や子供や老人の殺戮、村の破壊や食糧の焼き討ち、を独立派は今度は英軍や英軍への協力者に対して行ったのです。
 当然英軍も独立派の兵士達に対して残虐な行為でお返しをしました。
 捕虜になった独立派の兵士は、手や足を切り落とされ、頭蓋骨を粉砕され、動脈を切開され、或いは騎兵によって首を切り落とされ、馬で踏みにじられて虐殺され、銃剣で腹を切り裂かれました(注1)。

 (注1)これは日本軍が支那事変の際に支那でやったとされていることを彷彿とさせる。ゲリラまたはゲリラ的に戦う正規軍とれっきとした正規軍が戦うと、どこでも似たようなことが起きる、ということではないか。

 しかし、1781年に至って、バージニア植民地のヨークタウン・・でコーウォリス・・卿率いる英軍が手ひどい敗北を喫した時点で、当時の英国の野党であったホイッグ党のロッキンガム・・卿党首以下が、独立を認めるように英国王のジョージ3世・・及びその閣僚達を説得し、英国は13の北米植民地からの撤退を決断するのです。
 ・・
 ・・後になって振り返れば、この時英国が13北米植民地から撤退していなかったならば、第2次英帝国、すなわちあの大英帝国が築かれることはありえ<なかった>・・ことでしょう。・・
 ・・
(続く)

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