太田述正コラム#2073(2007.9.19)
<退行する米国(続x3)(その2)>(2007.10.20公開)

 ライシュは、米国の現在は超資本主義(supercapitalism)の時代であるとし、消費者に大量の商品を低価格で提供しており、投資家も大儲けしているけれど、企業がロビイストとカネと影響力を駆使して、市民による民主主義を掘り崩している、と主張します。
 ライシュは、2005年1月に9つのグローバルな自動車会社が2016年までに、カリフォルニア州で販売する自動車の温室ガス輩出を30%削減することを義務づける、市民によって制定された新法に反対する訴えを州相手に提起し、裁判所が原告を勝訴させた、という例を挙げます(注3)。

 (注3)チェイニー副大統領が、エネルギー会社の役員達と一連の秘密の会合を持って新国家エネルギー政策を起草した(
http://www.latimes.com/features/books/la-et-book11sep11,0,5281097,print.story?coll=la-books-headlines
。9月14日アクセス)、という例の方が適切かもしれない。(太田)

 この結果、米国の社会問題を緩和する伝統的な手段であった公平な課税、資金の潤沢な公教育、そして労働組合の力が衰えてしまった、とライシュは指摘するのです。

 一体どうしたらよいのでしょうか。
 ライシュが注目するのは、何年も前にエール大学の政治学者のリンドブロム(Charles E. Lindblom。1917年〜)(注4)が唱えた、企業が民主的過程において法的役割を持つことは倫理的でも論理的でもないという指摘です。

 (注4)組織における意思決定は、基本的に漸進的にしか行われ得ないとするMuddling Throughの理論を提起したことで有名。スタンフォード・ビジネス・スクールで教えられた諸理論中、いまだに最も鮮明に記憶に残っている一つだ。(太田)

 この指摘を踏まえ、ライシュは、企業と公的諸領域(public arenas)が分かたれていないために、企業も法人、すなわち市民であるという法的擬制の下、おかしく幻想に過ぎないところの企業の社会的責任、非効率的で公平ではないところの法人税、擬人的誤謬であり無辜の人を多数傷つけているところの企業の刑事責任能力(corporate criminal liability)、といった代物がまかり通っている、と主張します。
 そしてライシュは、企業も法人であるという法的擬制を止めるとともに、企業の社会的責任という概念、法人税、及び企業の刑事責任能力という概念、をいずれも廃棄せよと叫ぶのです。
 ライシュは、個々人だけが市民になりうるのであって、民主的意志決定への参加を許されるのは市民だけであるべきであるとし、社会的責任の名の下に企業に裁量的余地を与えるのではなく、法律で社会的ニーズを定め、それに企業を従わせるべきだし、法人税を課す代わりに株主に課税すべき(注5)だし、企業の刑事責任を問う代わりに個人の刑事責任を問うべきである、と結論づけるのです。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/09/13/AR2007091301908_pf.html
(9月16日アクセス)、及び
http://www.commondreams.org/archive/2007/09/07/3686/
http://www.amazon.com/dp/0307265617?tag=commondreams-20&camp=0&creative=0&linkCode=as1&creativeASIN=0307265617&adid=0Z18XS453MG8S24JQG6T&
(どちらも9月17日アクセス)による。)

 (注5)法人株主の取り扱いをどうするのかは不明。(太田)

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<行政権一元化理論(コラム#2059)の補足>

 この理論は、大統領が、伝統的には独立していたところの、連邦準備制度理事会等を含めたすべての連邦機関をコントロールすべきであるとするものだ。また、議会と裁判所にも強い制約が課される。この結果、大統領はかつてのドイツのウィルヘルム2世のような存在となる。

 裁判所に対して強い制約が課され始めたのは、ニクソン共和党政権の時代からだ。
 この頃から、大統領候補が、自分の意見に賛同するような人物を連邦裁判所の裁判官に任命することを選挙公約にするようになった。
 これに伴い、連邦最高裁判所では、裁判官同士の議論の結果、個々の裁判官の判断が変わる、ということが急速に少なくなっていった。
 ウォーレン(Earl Warren。1891〜1974年。最高裁長官:1953〜69年)が最高裁長官だった頃、Brown vs. Board of Educationの裁判で、1954年に学校における人種的分離が9対0で違憲とされたところ、これはウォーレンが同僚裁判官達の意見を積極的に調整した結果だったが、こんなことは今では絶えて久しい。
 ブッシュ大統領が任命した最高裁判所の裁判官達は、みな、それこそロースクール時代に培った意見をテコでも変えようとしない人物ばかりだ。

 こうしてブッシュは、自分が大統領を辞めてからも、行政権一元化理論を違憲とする判決が容易に下されるようなことがない態勢を構築することに成功したのだ。
 この態勢を突き崩すことは、たとえ民主党が選挙で何回か勝ち続けたとしても、そしてまたリベラルなメディアがどんなに頑張ろうと、極めて困難になったと言えよう。

 (以上、ロサンゼルスタイムス前掲による。)
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(完)