太田述正コラム#1695(2007.3.18)
<日本人のアングロサクソン論(続)(その2)>(2007.10.3公開)

 (3)イギリスに対仏劣等感があった?

 さて、皆さんが混乱するのが目に見えていますが、渡部氏がこの本を執筆した当時参照した可能性がある英国の標準歴史書の The Oxford Illustrated Historry of Britain, Oxford University Press, 1984 は、1066年以降13世紀末まで、「教育程度の高いイギリス人は、母国語である英語を身につけていたほか、少しばかりのラテン語の知識と身につけており、しかも流ちょうなフランス語を話した」と、あえてアングロ・ノルマン語をフランス語とぼかして記述しています(PP107)。
 そうしないと話が長くなる、という配慮もあるのでしょう。
 しかし、渡部氏の場合、「フランス語」が一時期イギリスの公用語になったということが、後で「イギリスの対フランス、対大陸への劣等感」(116頁)を語り、しかもその「劣等感を消した男」としてウォルポール(Robert Walpole。1676〜1745年)を持ち上げる(116頁以下)ための伏線の一つとなっているからこそ、私は、重箱の隅をつつくようだと言われることを覚悟で問題提起をしたのです。

 そもそも、イギリスに全般的な対仏劣等感があったという話は寡聞にして私は知りません。
 確かに、上記標準歴史書自身、「ノルマン・コンケスト(The Norman Conquest)以降、イギリスは、エルサレム王国がそうであったように、海外におけるフランス、Outremerの一つとなったと言っても過言ではない。13世紀初頭までは政治的にはフランスの植民地(ただし、フランス王室の植民地ではない)となったし、それ以降も文化的植民地であり続けた」(PP107〜108)と記しており、特に地中海世界から、多くはフランスから入ってきたロマネスク様式やゴシック様式がイギリスの教会建築に決定的な影響を与えた、としています(PP107)。
 しかし私に言わせれば、これは波風を立てることを回避するための、イギリス流の韜晦なのです。
 私は、以上申し上げたぼかした記述や韜晦ができるのは、イギリス人がフランスに対して確固たる優越感を抱き続けてきたからこそであると確信しています。
 11世紀末から13世紀初頭のイギリス人が、支配者たるノルマン人に対して鬱屈した感情を抱いていたことは間違いないとしても、イギリス人は過去何度もバイキングの侵攻・移住・支配を経験してきており、ノルマン人に対してもどちらかと言えば身内意識を持っていたと考えられる上、ノルマン人自身、形の上で臣従していたフランス王室に対し、さほどの忠誠心があったとは思えず、いわんや劣等感を抱いていたとは思えません。ですから、被治者たるイギリス人だってフランス王室に象徴されるフランスなるものに劣等感を抱いていたとは到底考えられないのです。
 もとより当時のイギリス人は、建築、美術、ファッション、料理、音楽等、宮廷文化に淵源を持つところの、広義の芸術(art)の分野ではフランス、ひいては欧州大陸に対して劣等感を抱いていたでしょうが、それは現代においても全く変わっていません。
 他方、ずっと以前に(コラム#54で)ご説明したように、アングロサクソン時代からイギリスは、経済的に欧州地域と比べて抜きん出た豊かさを誇ってきましたし、政治的には欧州地域には全く見られないところの、コモンローと議会主権(注4)に裏打ちされた自由を享受してきました(コラム#90、#1334)。

 (注4)1066年、イギリス国王のエドワードが死ぬと、イギリス議会(Witan)は全くエドワードと血縁関係のない実力者ハロルド(Harold 2。1020?〜1066年)を国王に選出した。これに対し、ノルマンディー公ウィリアムが、自分こそエドワードから後継者に指名されていたと異議を唱えたわけだ。(標準歴史書PP102)

 しかも、イギリス人は自分達は軍事的にも卓越していると思ってきました。
 英仏百年戦争の際、イギリス軍が、クレシー(1346年)、ポワティエ(1356年)やアジンクール(1415年)の戦いで、3倍から6倍の仏軍と戦い、相手に20倍から100倍の損害(戦死者と捕虜の計)を与えたことは特に有名ですが、フランス人の方でも、14世紀の文人フロワサールが、「イギリス人は、戦さに強い国王か武器や戦さを好む国王でなければ崇敬し、お追従しようとはしなかった。彼らの地イギリスは、平時よりも戦時の方が富に満ち溢れたものだし、イギリス人は(富をもたらしてくれる)戦闘と殺りくに無上の快感を覚える」と語っているところです(拙著『防衛庁再生宣言』日本評論社 203〜204頁)。
 ですから、現在のイギリス人がフランスに対して優越感を抱いている(注5)ように、11世紀末から13世紀初頭のイギリス人だって、フランスに対して優越感を抱いていたに違いないのです。

 (注5)例えば、一昨年11月、TVディレクターとおぼしき英国人が、英デイリーメール紙に掲載されたコラムで、「どうしてフランス人は恥ずかしげもなく感情的に、毎年革命記念日にシャンゼリゼを仏陸軍に気取って行進させるような形で、フランスとかフランスの栄光とかを表明せざるをえないのだろうか。それは彼等は、二級の国々に対してこそ、軍事的勝利をおさめたことはあったかもしれないが、この1,000年間にわたって、大リーグであるイギリスにまみえる都度、粉砕され続けてきたからだ。・・<しかも、>われわれが今フランスと呼ぶ地域の過半は中世の大部分の期間、誰あろう、イギリスによって、立派に統治されていたことを付け加えておかなければならない」と記している。(
http://www.dailymail.co.uk/pages/live/articles/news/news.html?in_article_id=369777&in_page_id=1770
。3月17日アクセス)

(続く)