太田述正コラム#1690(2007.3.13)
<日本人のアングロサクソン論(その2)>(2007.9.29公開)

 糸瀬氏は、この本の中で、次のようなことをおっしゃっています。
 →の後に記されているのは私見です。

 「優勝劣敗のアングロサクソン型経済の行き着くところは、拝金主義と成功至上主義であり、その過程で貧富の差は極大化し、弱いもの、能力のないものは淘汰されていく・・市場原理を受け容れるということは、まさにそういうことなのです。・・それでもアングロサクソン型経済の光の部分の効用の方が大きい」(43〜44頁)、「アングロサクソン型経済システムに普遍性があるといっても、じつは、つい数年前までは、アメリカの投資銀行のなかだけの話でした。ところが、かつては投資銀行業務においてアメリカ勢と「対峙」していたドイツやスイスの大手金融機関が、それまでの「大陸型(欧州型)の経営システム」をほぼ完全に放棄し、このアングロサクソン型経営システムを、一斉に移植しはじめたのです。」(59〜60頁)

→どうやら、アングロサクソン式企業・・私見では軍隊式管理企業・・は、超時代的に、あるいはすべての産業、もしくはすべての場所で光の部分の効用が大きいわけではなさそうですね。

 「その会社にいる人間が、そこに物理的に一緒にいるのは、共通の目的を達成するためであり、一緒に生活するためではありません。すなわち、会社は「目的集団」であり、「生活集団」ではないのです。・・<そう>である以上、そこでは見事な「公私の区別」が行なわれています。」(29頁)、「日本の会社においては「公」の部分の個人評価に、「私」の部分の評価や噂、その他仕事とはなんの関係もないような情報までもが、ことごとく影響を与えてしまう」(73〜74頁)、「アングロサクソンの会社においては、上司が部下の私生活について、父親的な立場でアドバイスをしたり、あるいは干渉するといったことは皆無です。また部下の方も、プライベートな悩みを上司に聞いてもらおうなどとは思っていません。」(78頁)、

→軍隊、特に有事における軍隊は、命のやりとりに従事しているのであり、個々の将校や兵士の私の部分にかかずらわっているわけにはいかないことはお分かりでしょう。

 「日本の会社における経営会議(たとえば常務会など)の場合を考えると、ほとんどの重要案件は、経営会議の前の段階での「周到な根まわし」によって、あらかじめ結論が決まっています。そして根まわしの段階で働く力学は、政治的(人事的)力学であり、その会社が「目指すべき経営」というものを客観的に見据えたものではありません。全会一致が美徳とされ、会議の席上、公然と大勢に逆らうことは、それがたとえ論理的な発言であっても疎まれます。これでは、・・経営会議は完全に形骸化してしまい、変革や革新は生まれません。」(87頁)

→参謀(=幕僚=staff)は軍隊で生まれた職務であり、将校は、参謀が務まるように、目的合理的な思考をして、論理的な意見具申を行うように、幹部学校の指揮幕僚課程(CGS。旧軍の陸軍大学にあたる)で徹底的に教育訓練されます。

 「<アングロサクソンの会社の>組織<は>フラット<であり、>情報伝達の速さ、正確さという点で驚くほどの効果を発揮します。」(105頁)

→軍隊では、指揮官の所にいかに迅速に広汎な情報があがるかが勝敗を決するカギです。

 「アングロサクソンの社会では、たとえば金融産業の場合を考えてみると、たとえ名門金融機関に就職したとしても、そのこと自体は、その人になんの価値も与えません。彼が一人前として認められるのは、たとえば債券トレーディングのプロ、デリバティブのプロ、企業セールスのプロ、というふうにそれぞれの専門分野において、それなりの市場価値を有するプロになってからのことです。」(91頁)、「<アングロサクソンの会社では、>それぞれの現場で一流のスペシャリストとして名を成・・した<人物>に、たまたまリーダーシップやカリスマ性、さらに経営管理能力(マネジメント・スキル)や外部との交渉能力が備わっていた「結果」、社長や会長の職に就いてい<く>のです。」(113頁)、

→軍隊の将校も兵士も、歩兵・火砲・戦車といった特定の職種の専門家としてスタートを切るのであって、下士官まではジェネラリストはいません。将校だけは、将軍(general!)以上になって初めてジェネラリスト(generalist)が出現します。

 「採用にあたっては、人事部は一定の役割を果たしますが、・・現実の採用決定は、・・実質的に分社化されている・・各部門の現場のスペシャリスト・・による数度のインタビューを経たあと、最終的には各部門の最高責任者に託されています。・・入社後の昇進・昇給も・・一目瞭然に数字で表現され<た>・・個人の業績がとことん反映され<た形で>・・現場に一任され、人事部の出る幕はほとんどありません。」(109頁)、

→私が防衛庁に入った頃(1970年代初頭)の陸上幕僚監部は、米国の陸軍のやり方をマネて、職種の名前を冠した課が陸上幕僚長に直結する形で沢山設けられており、職種の将校の人事は、事実上それぞれの課が行っていました。

 「<金銭的業績が出るわけではない、例えば>投資銀行における・・調査部門の・・アナリストやエコノミストなど<については、>クロス・エバリュエーションという「相互評価」の仕組み<があります。>・・<これは、>「彼のおかげで、どれぐらいの顧客ビジネスが獲得できたか」・・「・・どれぐらいのトレーディング収益が上がったか(または、損失を回避できたか)」・・をもっとも良く知る立場にある現場の人間、すなわちセールスマンやトレーダー・・が、・・エコノミストの成果についての評価を行なうというメカニズム・・です。」(118頁、127〜128頁)、「この考えを究極まで発展させたのが、「360度人事評価システム」と呼ばれるものです。・・360度とは、文字どおり上下左右の方向を示しており、人事評価が、上司、同僚(複数部署)、部下の四方向から行なわれるというものです。・・<この>360度人事評価システムは、・・その客観性と透明性ゆえに、その結果が、評価される人にも受け容れられる・・のです。」(129、130、140頁)

→いやーなつかしい。私は若い頃(1970年代末)に陸上自衛隊の将校の人事を担当したことがありますが、陸上自衛隊が、まさにこの360度人事評価システムをやっていました。 今にして思えば、これも米陸軍からの直輸入だったのでしょう。

 とまあ、こんなわけで、糸瀬氏のおっしゃることもまた、私にとっては、すべてかつての職場における旧聞に属するのであって、全然面白くありませんでした。

(続く)