太田述正コラム#2012(2007.8.20)
<死の差別化と交通事故>(2007.9.22公開)

1 始めに

 本日、那覇空港で中華航空機の炎上事故がありました。
 まだ、数名の行方不明者がいるとされていた段階(実際には怪我人すらいなかった)ではあったけれど、首相官邸の危機管理センターには連絡室が設置され、お昼のニュースの時間はこの話題で持ちきりになりました。
 (以上、
http://www.asahi.com/national/update/0820/TKY200708200062.html
http://www.asahi.com/national/update/0820/TKY200708200084.html
(8月20日アクセス)による。)

 このように、死者が出ているかどうかはっきりしていないケースでさえ、航空機の事故は大きな話題を呼びます。
 ところが、この瞬間にも沢山の人が病気や事故で亡くなっているというのに、その大部分は何の話題にもなりません。
 (もちろん知名人が亡くなった場合には新聞に訃報が出ることがあります。)

 本篇では、このような死の差別化の問題を取り扱った上で、差別化の結果余りにも軽視されている交通事故による死の問題を取り上げることにしました。

2 死の差別化

 米国中心の話で恐縮ですが、ロサンゼルスタイムスに掲載されたコラム(
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-daum18aug18,0,2068622,print.column?coll=la-home-commentary  
。8月19日アクセス)に次のように記されていました。
 
 世界中で、毎日15万人弱の人が亡くなっている。週あたりにすると100万人ちょっと、月あたりにすると500万人近くだ。
 一ヶ月くらい前にはブラジルでの航空機事故で199人が死んだ。
 それからというもの、米国のミネアポリスで橋が落下して、判明しただけで11人が死んだし、ユタ州の炭坑では6人が不明となり救出活動を行っていた3人が死に、ペルーの地震では数百人が死んだ。
 また、先月イラクでは100人超の米兵と2,000人超の市民が殺された。
 以上は、ニュースになったものだ。

 他方、ニュースにならなかった死はこんな数ではない。
 米国だけでこの一ヶ月で自動車の交通事故(以下「交通事故」という)で約3,500人が死んだし、約4万2,000人が癌で死んだし、36秒ごとに1人の割合で循環器系の疾患による死者が出ている。

 要するに航空機事故での死者は必ず報じられるけれど、交通事故の死者はほとんど報じられることがない。
 しかし、われわれの一生で航空機事故で死ぬ確率は2万分の1に過ぎないのに、交通事故で死ぬ確率は100分の1もある。それなのに、われわれは自動車に乗る時には死ぬことなど全く考えないのに、航空機に乗る時には誰でもちらっとは考えるものだ。
 これは、交通事故で(、あるいは心臓発作で)死ぬ確率が高すぎるため、ニュース価値がないことに加えて、怖くてわれわれがあえてそのことから目を逸らそうとしているためなのだ。

 死そのものに差別性はないが、上記のような理由でわれわれは見知らぬ他人の死を差別化する。
 だから、交通事故の死者よりもフェリーの事故の死者が、そしてそれよりも航空機事故の死者が常により注目されるし、成年の死者より未成年の死者が注目されることから、通勤時間帯の交通事故の死者よりも通勤電車の事故の死者が、そしてそれよりもスクールバスの交通事故の死者がより注目されるのだ。
 同様の理由で、われわれは外国での死者より国内での死者の方により目を向ける。
 サハラ以南のアフリカの子供達を中心に、毎日3,000人がマラリアで命を落としていることなど、殆ど報道されることがないのだ。

3 余りにも軽視されている交通事故による死

  マラリアや結核による死者数とほぼ同数の120万人が昨年交通事故で亡くなっている。(負傷者数は5,000万人前後だ。)
 これに対し、昨年戦闘で亡くなった人の数は約10万人に過ぎない(注)。

 (注)2001年の9.11同時多発テロ以来24万5,000人の米国内の交通事故で死亡したというのにほとんど誰も気にとめていない。これにひきかえ、わすか3,000人が死亡したに過ぎない同時多発テロに対し、米国は2つの戦争を開始し、数1,000人の米兵を死に至らしめるという真剣な対応を行っている。

 この10年間は恐らく、世界史上、交通事故死者数が戦闘死者数を上回った初めての10年間なのだ。(これは、戦争の減少のたまものでもある。)
 世界中の人々が豊かになりつつあり、これに伴って自動車を持つ人も増えているため、交通事故による死者の数はどんどん増えている。
 
 ところが、上述したような死の差別化、それに加えて交通事故による死が過失の産物であって故意によるものではなく、また、経済成長に伴って交通事故が増えるのはやむをえないとする社会観念があるため、交通事故による死は余りにも軽視されている。

 もっとも深刻なのが、発展途上国の状況だ。
 実に交通事故による死傷者数の85%が発展途上国で発生している。
 一番犠牲になっているのは貧しい人々であり、そのうちでも子供達だ。
 発展途上国における交通事故の経済コストは、生産性喪失分だけで毎年650億〜1,000億米ドルに達しており、これはこれらの国々が受けている経済援助の総額に匹敵する。
 しかも、今後先進国での交通事故は減っていく一方で発展途上国での交通事故は急速に増えていくと見積もられているというのに、交通安全のために投じられている経済援助の額は、マラリア対策のために投じられている経済援助の額の2〜3%に過ぎない。
 これには、発展途上国特有の事情がある。
 発展途上国における交通事故は、もっぱら富者が、歩行していたり自転車に乗っていたり満員バスに乗っていたりする貧者に対して起こすものであることから、富者たる支配層が交通事故対策に真剣に取り組まない、という事情があるのだ。

 (以上、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2079712,00.html  
(5月15日アクセス)、及び
http://www.latimes.com/news/opinion/la-op-easterbrook5aug05,0,7022017,print.story?coll=la-opinion-center  
(8月6日アクセス)による。)

4 終わりに

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