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太田述正コラム#1645(2007.2.2)
<昭和日本のイデオロギー(その3)>(2007.9.11公開)

 まず、丸山の「近代」認識と学問方法論についてです。
 丸山は一高在籍中にユダヤ系ドイツ人のカール・マルクスによって打ち立てられたマルクス主義の影響を受け特高に逮捕されたこともあります。
 丸山が進学した東大法学部もドイツの法律学や人文社会科学の圧倒的影響下にあった(注1)ことから、今度は丸山は、西欧政治思想史に強い関心を持ちます。
 その丸山は、東大法学部の助手に採用された際、後に東大総長になる指導教官の南原繁に強く促されて、日本政治思想史の研究を始めるのです。
 (以上、丸山の経歴は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7
(2月1日アクセス)による。)

 (注1)判例法を中心とする英米法を、英国の植民地にならなかった国や地域が移植したことはない。日本の明治政府も、東大法学部を中心に、制定法を中心とする(欧州)大陸法、就中ドイツ法を移植した。東大法学部は法律学優位の世界であり、同学部の政治学(政治学・行政学・政治史・政治思想史・政治哲学)も、基本的にドイツの人文社会科学を模範とした。

 当然のことながら、丸山の「近代」観念も学問方法論も、ドイツのものを選択的に輸入し翻案したものでした。(上掲書人命索引5頁に登場する欧米人中の西欧人、就中ドイツ人のウェートの大きさ、いや、それ以上に上掲書で丸山が引用する洋書や外国人の論文に占めるドイツ人によるものの圧倒的シェアを見よ。)
 では一体、ドイツの「近代」観念や学問方法論はいかなるものだったのでしょうか。
 ずっと私のコラムを読んでこられた方には耳タコかもしれませんが、イギリス文明(アングロサクソン文明)は不変の文明であって最初から近代文明そのものであったのに対し、フランスやドイツ等からなる西欧の文明は、アングロサクソン文明とは全く違うところの、不断に変化し「発展」する文明でした。
 そのフランスやドイツ等の有識者達の多くは、ドーバー海峡のすぐ向こうに存在するイギリスの自由と豊かさと軍事の卓越に目を見張り、アングロサクソン文明を真似れば、イギリスのようになれるのではないかと考えたのです。
 18世紀のフランスの啓蒙思想は、アングロサクソン文明を称え、その紹介を行ったものであると言ってよいでしょう(注2)し、18世紀から19世紀のドイツ観念論哲学は、私に言わせれば、せめて観念の上だけでもアングロサクソン化を図ろうとした知的マスターベーションなのです。

 (注2)1世紀後に福澤諭吉が日本で行ったことを思い起こさせる。

 そして、19世紀から20世紀初頭にかけてのドイツを中心とする西欧の人文社会科学者は、アングロサクソン文明が不変の文明であるとは思わず、かつてはイギリスもドイツ等と同じような社会であったと誤解し(注3)、ドイツ等の社会を前近代社会、イギリス社会を前近代社会から近代社会へと発展した社会と考え、前近代社会と近代社会を対比させる作業を行いました。

 (注3)この誤解を積極的に解くことをイギリス人はあえて避けてきたということも、折に触れて申し上げてきたところだ。

 その「成果」が、「ゲマインシャフト」対「ゲゼルシャフト」(上掲書224頁)、「封建社会」対「資本主義社会」、「身分社会」対「契約社会」(上掲書224頁)、「部族主義ないし家父長制」対「個人主義」、といった対比です。
 そこまで来れば、今度は近代化(実はアングロサクソン化)をもたらすものは何であるかを解明したくなるのが人情というものです。
 ご承知のように、ユダヤ系ドイツ人のカール・マルクスは生産力と生産関係の矛盾がブルジョワ革命を引き起こすことによって近代化がもたらされる(=資本主義社会が成立する)と考えた(注4)のに対し、ドイツ人のマックス・ヴェーバーはプロテスタンティズムが資本主義の精神を生み出すことによって近代化がもたらされる(=資本主義社会が成立する)と考えたわけです。

 (注4)マルクスは、近代化のためのブルジョワ革命理論の構築だけでは飽きたらず、ポスト近代化がいかにもたらされるか・・いかにしてアングロサクソン文明は超克されるか・・も解明しようとし、社会主義革命理論を構築した。

 丸山真男は、このマルクスとヴェーバーに着目し、二人の考え方を両方とも生かす折衷的学問方法論を用いて、江戸時代における生産力と生産関係の矛盾・・武士による農民搾取と武士の寄生的商業資本への隷属の同時並行的進展・・に危機感を抱いた荻生、安藤、本居らが、この矛盾の解消を図るべきだという「作為」の考え方(上掲書223頁)を打ち出したとし、これを日本における近代的思惟の芽生えであると考え、このような「作為」の考え方が存在したことが、明治維新以降の日本の本格的近代化を可能ならしめた、と主張したのです。
 ここで問題になってくるのは、近代化が、フランスにおいてはナショナリズムの招来と暴走、ドイツやイタリアにおいてはファシズムの招来と暴走、そして西欧の外縁たるロシアにおいて、ポスト近代化がスターリニズムの招来と暴走をもたらしたことです。
 近代、すなわちアングロサクソン文明を超克しようとすることはもとよりですが、近代化、すなわちアングロサクソン化しようとすること自体、危険極まりない営みらしい、ということが、分かります。
 果たして、荻生や安藤や本居らは、危険な思想家なのでしょうか。

(続く)

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