太田述正コラム#1640(2007.1.28)
<始皇帝/墨家の思想v.毛沢東/マルクスレーニン主義>(2007.9.10公開)

1 始めに

 毛沢東(1893〜1976年)は1936年2月に書いた詩「沁園春 雪」で始皇帝(BC259〜BC210年。秦の始皇帝BC221〜BC210年)を中国に大帝国を樹立した歴史上の英雄の筆頭として謳いあげ、自らを始皇帝に比肩させています(
http://www32.ocn.ne.jp/~unasaka/club/rekisisyousetu/rekisisyousetu56.html
。1月27日アクセス。以下同じ)。
 毛沢東による支那統一をもたらしたイデオロギーはマルクスレーニン主義でしたが、始皇帝による支那統一をもたらしたイデオロギーは一体何なのでしょうか。
 それは、墨子(支那戦国時代(BC403〜BC221年)の人。生没年は不詳)に始まる墨家の思想ではないか、と私は考えています。

2 墨子の思想

 孟子(BC372?〜BC289年)は、「揚朱・墨●の言、天下にみつ、天下の言、揚に帰せざれば、則ち墨に帰す。揚氏は為我す、是れ君を無みするなり。墨氏は兼愛す、是れ父を無みするなり。父を無みし、君を無みするは、是れ禽獣なり」と述べており、戦国時代には墨家の思想が隆盛を極めていたことが分かります。
 (揚朱は道家系の思想家であり、墨●(擢の手偏を取ったもの)は墨子の諱です。)
 吉永慎二郎・秋田大学教育文化学部教授は、戦国時代中期にBC338〜BC322年の間に諸侯が相次いで「王」を称したのは、当時隆盛したこの墨家の思想の影響によるのではないかと指摘しています(吉永「孔子から墨家そして孟子及び董仲舒へ―中国文明にいおける政教一体システムの形成―」学士会会報2006-検No.861 119〜124頁)。
 では、墨子の思想とはいかなるものであったのでしょうか。

 「社会的な混乱がなにを原因として起こっているのかを考察してみると、それは他人を愛さないことから起こっている。<すなわち、>世界はひろく愛し合えばよく治まるが、互いに憎みあえば乱れるのである。だから、・・・他人を愛することを奨励しなければならない」
 (墨子・兼愛篇(
http://www.geocities.jp/sei_taikou/bokushi_1.html
→愛は世を救う。

 「昔、民が初めて生じ、まだ政治体制がなかったとき、おそらく人々の言は人ごとに義を異にしていた。こういうわけで、一人ならば一つの義、二人ならば二つの義、十人ならば十つの義、人がますます多ければ、いわゆる義はますます多かった。こういうわけで、人は己の義を是として、人の義を非とした。故に、こもごも互いに非としていた。・・・天下の乱れることは禽獣のごとくであった。そもそも、天下が乱れる所以を明らかにすると、指導者がいないことから生じている。この故に、天下でしかるべき者を選択し、立てて天子とした。・・・国が治まる所以を察するに、どういうわけであろうか。国君はただ国の義を統一できたこと、こういうわけで、国は治まるのである。・・・善と不善を聞けば、みな上位に告げよ。上位の是とするところは必ずみなこれを是とし、非とするところは必ずみなこれを非と<せよ。>」
 (墨子・尚同篇(
http://www.geocities.jp/sei_taikou/bokushi_11.html
→何が愛であるかの定義、すなわち義(=是非)は人によって違うので、義を統一しなければならず、これを行うのが君主であるので、臣民は君主の示す義を自らの義としなければならない。

 「今、天下の士君子がまことに天下の富を欲して貧を憎み、天下の治を欲して乱を憎むならば、運命が存在すると説く者の言は、非としないわけにはいかない。これは天下の大害だからである。・・・天は義を欲して不義を憎む<のであって、>天意に従う者は、広く愛し互いに利して、必ず天から賞を受けるだろう。天意に反する者は、差別して互いに憎み互いに損って、必ず天から罰を受けるだろう。」
 (墨子・天志篇(
http://www.geocities.jp/sei_taikou/bokushi_26.html
→富を欲して貧を憎む、つまり利を求めるのであれば、君主は天命によって定まっているという理論を信じてはならない。天は義を追求する者を賞し、義を追求しない者を罰すはずだからだ。

 「運命が存在すると説く者はいう、・・・上が賞することは、運命としてもとより賞することになっていたのである。賢なるがために賞せられるのではない・・・上が罰することは、運命としてもとより罰することになっていたのである。暴なるがために罰せられるのではない・・と。<しかし、かかる>運命論は、上は天に利あらず、中は鬼に利あらず、下は人に利がない。」
 (墨子・非命篇(
http://www.geocities.jp/sei_taikou/bokushi_35.html
→天命論者は、天命が下っている君主は賢であっても賞せられず、暴であっても罰せられないと主張するが、こんな君主の下では利は得られない。

 「これらことのために民の衣食の財を欠き奪うことは、仁者はしないことである。この故に、子墨子が楽を非とする所以は、大きな鐘・よく鳴る鼓・琴やおおごと・小笛や大笛の音色が楽しくないというのではない。様々な彫刻・飾り模様の色彩が美しくないというのではない。牛肉・豚肉、煎ったもの・焼いたものの味が美味くないというのではない。高台・立派なやぐら・奥深い住居が安らかでないというのではない。身はその安らかさを知り、口はその美味さを知り、目はその美しさを知り、耳はその楽しさを知ってはいるが、このことを深く考えると、上は聖王の事に合わず、下は万民の利に合わない。この故に、子墨子はいった、「楽を為すのは非である」と。・・・ 王公貴族は早く朝廷に出て遅く退き、訴訟を聴き政治を治める、これがその仕事である。士君子は股肱の力を尽くし、思慮の智を尽くし、内は官府を治め、外は関所・市場・山林・沢梁の利を収集して、国家の倉や府庫を満たす、これがその仕事である。農夫は早く畑に出て暮れて家に入り、耕作や植え付けをして、多く穀物を集める、これがその仕事である。婦人は早く起き遅く寝、紡績・織物をし、多く麻・糸・織物に励み、布やきぬぎれを織る、これがその仕事である。」
 (墨子・非楽篇(
http://www.geocities.jp/sei_taikou/bokushi_32.html
→音楽や美術や珍味や大建造物は利にはならないので排斥されるべきだ。君主と家臣と民衆は役割分担しつつ、もっぱら生活必需品である食物や衣類の増産に勤しむべきだ。

 吉永教授は、このように、周の天命論・・儒家もこれを当然視していた・・に対し、義の理論を提起することによって君主交代の論理を提供したというのです(前掲書122頁)。
 この結果、周の諸侯がそれぞれ独立して王を称するようになったとすれば、これら諸王の中で秦が一歩抜け出し、その秦がBC256年に周を滅亡させ、最終的にBC221年に支那を統一するに至ったこともまた、必然であったと言うべきでしょう。
 すなわち、始皇帝が支那を統一したイデオロギーは墨家の思想だったのです。
 興味深いことに、以上見てきたように、墨家の思想は、生活必需品の増産を至上命題とする唯物論であり、かかる墨家の思想、すなわち義の解釈権を君主が独占し、その義を全家臣及び民衆が信じ、生活必需品の増産に勤しまなければならない、という、マルクスレーニン主義に極めて類似した全体主義思想でした。
 支那の統一を図ろうとしていた毛沢東が自らを始皇帝に比肩した理由が分かるような気がしますね。