太田述正コラム#1873(2007.7.20)
<ロシア外交官を追放した英国(続)>(2007.8.30公開)

1 ロシア大使館員追放以降の動き

 7月16日に英国政府がロシア大使館員追放を発表したところ、ポルトガルの外相は、これは英露の2国間の問題だと述べ、ドイツの首相は言質を与えず、そのドイツの外務省は英国はやり過ぎだと考えている旨報じられています。
 これまで、欧州諸国の中で明確に英国に対し全面的支持を表明したのはフランス外相だけ、という状況です。
 18日になってようやく現在議長役を務めるポルトガル首相が、EUを代表して、ロシアが本件について英国に対して建設的な対応をしていないことに遺憾の意を表する、という始末です。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,2128844,00.html 
(7月18日アクセス)、及び
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,2129747,00.html  
(7月19日アクセス)による。)

 ロシア政府は、19日、対抗措置として、在露英大使館員4名の追放、英国との対テロ協力の中止、英国の公務員に対するビザ供与の中止、ロシアの公務員の英国に対するビザ申請の中止、を発表しました。
 これでも、ロシアに言わせると、欧米との関係のこれ以上の悪化を避けたいプーチン大統領の決断で、抑制された対抗措置になったということのようです。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,2130814,00.html
(7月20日アクセス)による。)

2 ベレゾフスキー暗殺未遂事件

 英国に対するロシアの対抗措置が抑制されたものになった理由の一つとして、ベレゾフスキー(Boris A. Berezovsky)暗殺未遂事件の存在を挙げる人もいます。

 この話は18日にベレゾフスキー本人がマスコミに語り、それを英国の警察筋が大筋で認めたものです。
 ベレゾフスキーによれば、一ヶ月前にロンドン警視庁の係員が、「ある男があなたを殺しに来るので、誰にも会わないようにし、英国を離れていた方がいい」と伝えたというのです。

 ベレゾフスキー自身、これまでロシアにいた時を含め、何度も暗殺されかけた経験があるのですが、3ヶ月前に、ロシアの諜報機関にコネのある友人達から、ベレゾフスキーの知人を英国に送り込んで拳銃でベレゾフスキーを殺害する計画があり、その男は事が終わった後、自首し、長い刑期を終えた後にロシアに英雄として戻って多額の謝金を手にすることになっている、という話を聞かされていたといいます。
 半信半疑でいたベレゾフスキーは、話が符合していることに驚き、6月16日からしばらく英国を離れます。
 この暗殺者は、英国に足を踏み入れた時から英当局によって尾行されていたのですが、英国内で拳銃を入手した上でベレゾフスキーに接近し、ロンドンのメイフェアのパークレーンのヒルトンホテルでベレゾフスキーを射殺しようとしていた(注)ところ、その男は6月21日に逮捕され、その後移民局に移管され、更に10年間英国訪問を禁じられた上で国外追放になったというのです。

 (以上、
http://www.nytimes.com/2007/07/18/world/europe/18cnd-britain.html?hp=&pagewanted=print
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/07/18/AR2007071802269_pf.html
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,2129752,00.html
(いずれも7月19日アクセス)による。)

 (注)リトヴィネンコ(Alexander Litvinenko)が紅茶にポロニウムを盛られたのは、同じメイフェアの半マイルと離れていないミレニウム(Millennium)ホテルだった。ちなみに、この暗殺者は子供を1人連れて観光客を装っていたが、リトヴィネンコ殺害の容疑者であるルゴヴォイ(Andrei Lugovoi)も同様、当時奥さんと子供達とともにロンドンにやってきていた。

3 感想

 事実は小説より奇なりと言いますが、まさにスパイ小説を地で行くような話ですね。
 こういう話を対岸の火事のように眺めている日本のわれわれは、恵まれているのではなく、単に愚者の楽園に住んでいるだけなのです。