太田述正コラム#1868(2007.7.16)
<現在のパキスタン情勢をどう見るか(附録)>(2007.8.26公開)

1 始めに

 コラム#1828で最新の兄弟論をご紹介したところですが、パキスタンの赤のモスクの代表アブドルアジズと副代表ガジの兄弟は、この兄弟論に合致する典型例ではないでしょうか。

2 アブドルアジズ・ガジ兄弟

 (1)二人の父親

 最初に、この兄弟の父親のことに触れておきましょう。
 兄弟の父親は、1960年代末から赤のモスクの初代代表(Khateeb=お祈りの指導者)を務めてきたアブドラシャヒード(Maulana Muhammad Abdullah Shaheed)です。
 ちなみに、この赤のモスクはアブドラシャヒードが勧進したところの、パキスタン政府建設の国有モスクです。
 アブドラシャヒードは、かつてのパキスタンの独裁者、ジアウル・ハクの友人であり、聖戦論者であって、イスラム過激派と強い繋がりを持っていました。

 (2)兄

 さて、兄のアブドルアジズ(Maulana Abdul Aziz)です。
 1998年に父親のアブドラシャヒードが赤のモスクの構内で暗殺されたことから、パキスタン政府はアブドルアジズを二代目の代表に任命しました。
 ところが、2005年にアブドルアジズが、アフガニスタン国境のタリバン支援者と戦って戦死したパキスタン政府軍軍人は、戦死したタリバン支援者とは違って殉教者であるとは言えず、彼らに対してはイスラム的葬儀を行ってはならない、というファトワを発したために、パキスタン政府は彼を解任します。
 しかし、パキスタン政府は、彼の後任の発令は行ったものの、事実上アブドラシャヒードが赤のモスクの代表を続けることを黙認してきました。
 アブドルアジズは、父親が赤のモスク代表に任命された6歳の時にパキスタンの首都イスラマバードにやってきました。そして、公立学校に通った後、カラチにあるパキスタンで一番有名なマドラッサに学んだのです。
 こうして見てくると、アブドルアジズは、父親の希望通りの道を忠実に歩んだ孝行息子そのものですね。
 
 (3)弟

 ガジ(Abdul Rashid Ghazi。1964〜2007年)は父親の希望に逆らい、普通の人生を送りたいとしてマドラッサ入校に抵抗しました。
 それでも父親は無理矢理ガジをマドラッサに入れたのですが、ガジはマドラッサを脱走してしまいます。
 そしてガジは、敬虔なイスラム教徒にはつきもののひげを生やすことを拒み、イスラマバードの共学の有名大学で歴史学(一説には国際関係論)の修士号をとり、教育省に入省し、一時ユネスコの仕事もしました。
 コーランを暗唱できる者の称号であるハーフィズ(Hafiz)を用いることも拒否したガジに父親は怒り、兄のアブドルアジズだけを遺言で相続人に指名したくらいです。
 そのガジを180度変えたのが、父親の暗殺でした。
 ガジは爾来、教育省勤務を続けつつも、赤のモスクとその付設マドラッサにおける教育に興味を示すようになり、ひげも生やし始めたのです。
 喜んだ兄のアブドルアジズは、ガジにイスラム教を再び学ぶことを勧め、やがてガジを赤のモスクの副代表にして後継者に指名するのです。
 そして、政府治安部隊との攻防戦において、兄のアブドルアジズは、赤のモスクを脱出して生き延びたのに対し、弟のガジは、赤のモスクに残って戦死をしたわけです。
 まさに次男は、「長男長女と競い合うより、それ以外の分野で自己実現を図ろうと」し、「長男長女と違って月並みなことを好まず、冒険的で、危険」を顧みない、という兄弟理論は、ガジにもぴったりあてはまりますね。
 (以上、
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6281228.stm
http://en.wikipedia.org/wiki/Abdul_Rashid_Ghazi
http://en.wikipedia.org/wiki/Abdul_Aaziz_Ghazi
(7月16日アクセス)による。)