太田述正コラム#0092(2003.1.8)
<非階級社会(アングロサクソン論10)>

 よく、イギリスは、階級社会だといいますが、いったいそれは本当なのでしょうか。 
 なるほど、イギリスの上流階層と下流階層を比べると、英語の発音やイントネーションが相当違うことぐらいは、われわれでもすぐに分かります。しかし、それは、人は身近につきあっている人々の言葉に同化しがちであるというだけのことであって、われわれが関西に行けば、いつしか関西弁を話すようになるのと本質的には違わないのではないでしょうか。
 この点を除けば、1987-88年のイギリス滞在期間中、あまりにも「階級社会」らしさを実感しないものですから、イギリスでは、階級制度が、急速に崩れつつあるのではないかと最初考えました。
 相続税の強化などの措置によって、大地主が子孫に財産を残して行くことが、次第に困難になってきていたことは確かです。また、ご他聞にもれず、経済のサービス化の進展に伴い、(しかも、イギリス固有の脱産業化傾向もあって、)ホワイトカラーに比べ、典型的な労働者階層であるブルーカラーの数が相対的に減少しつつあることも、指摘されていました。このため、田舎のお城のような家に住んでいるような人は、めっきり減る一方、(中産階級と労働者階級を区別する)有名なパブの仕切りも、どんどん撤去されていると報じられていました。
 こういった話を家内ともども、ヨーロッパのある国からきていたクラスメートにしたところ、「君達は、鈍感すぎる。イギリスの階級制度は、今でも厳然と存在している。」と言われ、彼に勧められて、'Class'(階級)という本を読んでみました。ペーパーバック版の裏表紙の宣伝文句にいわく、「階級は死んだ(Class is Dead!)、とみんながいうが、[この本の著者、]ジリー・クーパー以上に、これに見事な反駁を加えられる者はいない」。しかし、著者が、イギリスには、貴族、中流の上、中流の中、中流の下、労働者、新興成金の6階級があるとし、その違いを力説するにもかかわらず、この本を読めば読むほど、イギリスの「階級」なるものが分からなくなりました。著者のあげる、それぞれの「階級」の特徴が、あまりにも微妙すぎて、われわれには、とても区別がつきそうもなかったからです。短期滞在者である、外国人の目からみる限り、「階級は死んだ」という方が、はるかに自然に思えたことでした。

 そこで、イギリスは昔は、れっきとした階級社会だったが、今や階級は死んだ、という理解でいいのかどうか調べてみました。その結果の私の結論は、ノーです。
 まず、19世紀です。
 19世紀後半に活躍した、ジャーナリスト兼学者のウォルター・バジョットは、1864年に執筆した論文の中で、「政治の世界における国民性を三つの類型に区分した。第一は「平等の体系」であり、革命後のフランスとアメリカを例にあげている。・・第二は、「固定した不平等の体系」である。出生や門地で人間の価値を決定する東洋の世界を例にあてている。ここでは階層間の移動がない。第三は、「移動可能な不平等の体系」である。(下級層が、)上級層と肩を並べうる可能性を「理論上」有している世界であり、・・[バジョットは、]これをイギリス社会の伝統と考えてい[た]」といいます。(辻清明、『世界の名著 第72卷』解説より)
 しかし。その革命後のフランスの実態は、とても平等社会と言えたものではありませんでした。
 フランス人のサン・シモンは、1824年に出版した本の中で、フランスが、依然として、フランク人に起源を持つ支配者層(旧貴族及びナポレオンが創設した新貴族、さらには貴族に寄生し、それに土台を提供するブルジョア(法律家、平民の軍人、金利地代収得者など)からなる)と被支配者層(産業者。農業者、製造業者、商業者からなる)の二つに分かれていると言っており(『世界の名著 第42巻』中央公論社参照)、同時代人であり、同じくフランス人のトックビルも、「カースト、その観念、習慣及びそれが人々の間に築くところの障壁が確実に破壊されたかどうかを確かめるには、結婚を見ればよい。・・すでに、[革命後、]60年間の民主主義を経た現在のフランスでも、残念ながら[カースト制は]なくなっていない。というのは、一見あらゆる面で混じりあっているように見える古い階級と新しい階級も、互いに結婚することだけは、できうる限り避けようとしているからである。[一方、イギリスでは、そのようなことはない。](「アンシャン・レジーム」。『結婚』より孫引き)と述べているところです。
 産業革命以前にさかのぼると、このトックビルの指摘した、イギリスとフランスの違いは、更にはっきりしてきます。
 やはりフランス人である、20世紀の評論家、アンドレ・モロワの言っていることを、少し長いのですが、引用したいと思います。
 「・・さまざまな「階級」・・を召集して、税金への同意を求めるという慣習は、14世紀においては、何もイギリスだけに限られたものではない。しかし、イギリス社会本来の構造に規定されて、其処では議会が、忽ちのうちに、フランス・・とは大いに異なったものになる。・・階級を・・区分すること[が、]もはやイギリスの現実と一致しなかったからである。・・[イギリスでは、]次第に土地から一定の収入を得ている者は皆「騎士」にさせられるようになり、都邑の公民(都市の市民=ブルジョワのこと(筆者注))たちと結婚等を通じて結合するに至る。・・この騎士と都邑の公民の結合は一つの重要な事実である。この結合は、何故にイギリスでは、18世紀のフランスのように、国内が二つの敵対階級に分裂したことが一度もなかったか、と言う理由を説明する。・・14世紀になるとイギリスでは諸階級が互いに入りまじるのに反して、フランスでは貴族階級と残余の国民との間に一つの障壁が出来上がる。・・フランスでは、貴族は税金を免除されていた。また其処では、貴族の子弟は当然に貴族たるの権利を有っていた。イギリスでは、男爵領(ここで男爵(バロン)とは、国王から、直接封を受けている者を意味する(筆者注))以上を所有する貴族の家長だけが、個人宛の召集によって上院に列する権利を有っていた。ところが、彼の長子は、その州郡を代表して下院に列することが依然として自由であったし、やがて直ぐ、下院議員たる名誉を懇望するようになった。[また、]長子相続権と、「世襲財産制」に関するエドワード一世の法律とは、何千人という次男坊以下の連中を将来の当てもなく突き放した。イギリスの中産階級が貴族階級と戦うどころか、あんなに親密な関係をつづけていたのは、・・貴族階級の形態が不分明でその限界が誰にもわからなかったことに由来する。つまり、貴族になることが出来たからというよりも寧ろ、いつ自分が貴族になったか誰も気づかなかったほどだったからである。イギリスでは、貴族は、家柄よりもむしろ勲功によって勝ち得られた。」(『英国史』(現代表記に改めた))
 現代イギリスの歴史学者であるピーター・マシアスも、おおむね同じ見方をしています。
 「イギリスの貴族制及び社会一般についての、最も重要な特徴はその「開放性」にある。[貴族にあっては、]長子相続制が長男のみに称号を伝えたため、末弟達は貴族の身分及びイエの領地から押し出され、専門職、更には商売に従事せざるをえなかった。・・[一方、]いかなる職業において得られた富も、イギリス社会の伝統にのっとり、土地(農地)購入にあてられた。世襲による土地所有者層のほか、役人、農民、商人あるいは専門職の人々も、富で身分をあがない、土地所有者クラブの一員となった。・・[結局、イギリスの]階級構造は、ホテルの部屋のようなもので、たとえ、部屋の等級は明確であったとしても、滞在客達は、身分のハイアラーキーを相当のスピードで上がったり下がったりしたのである。」(『産業社会』)
 中世においては、どうだったでしょうか。
 再びトックビルに登場してもらいましょう。
 「ヨーロッパ大陸では、封建制度が確立したとき、それはカースト制に堕してしまった。・・一方、イギリス[では、封建制度の導入が、]カースト制度・・[の]完全[な]破壊[をもたらした。](「アンシャン・レジーム」。『個人主義』より孫引き)
 その更に前のアングロサクソン期はというと、
 「[イギリスでは、]さかのぼれるもっとも早い時期から、不平等が社会のルールとなっていた。自由人は、全員身分が平等というわけではなかったし、特に南部地区では、生まれによる貴族が存在した。自由人より下の社会階層としては、準自由人、更には奴隷というか、無権利の人々が存在した。」(『イギリス憲法史』)というわけで、ようやくイギリス社会が不平等であったときが発見できたように思われます。しかし、「農奴といっても、それは身分ではなかった。それは、農奴と領主という二者間の関係にすぎなかった。領主に対しては、確かに農奴は無権利であった。しかし、他の人間に対しては、農奴は、自由人としてのすべての、あるいは大部分の権利を行使できた。・・農奴といえども、土地や動産を保有でき、所有権を主張し、しかもあらゆる形の法的保護を受けることが認められていた。」(Pollock and Maitland, The History of English Law 2nd edit. vol.2 (『結婚』より孫引き))というのですから、結局のところ、貴族は、一部地域にしか存在せず、しかも、自由人と農奴との差もほとんどなかったということになります。

 以上をまとめるとこういうことになります。
 イギリスには、言葉の本来の意味における階級制度は、いまだかって存在したことがありませんでした。イギリスでは、所得、資産に応じて、微妙に生活様式、発音等の異なる階層は存在したのですが、それは、基本的に法の前の平等が確保されていた社会において、各人が自由に競争した結果として、所得、資産面、ひいては生活様式等の面で、人々の間に差異が生じたというだけのことでした。従って、各階層間の境界ははっきりせず、また、結婚、蓄財等を通じた階層間の移動は容易であり、昔からごくありふれたことだったのです。