太田述正コラム#0102(2003.2.27)
<北京報告(その2)>

(周さんの話の続き)
 周さんとは1988年の暮れにロンドンで別れて以来、2??3年は年賀状の交換をしたものの、その後は音信不通になっていました。
 7??8年前に初訪中したときには、在北京日本大使館の駐在武官を通じて連絡したにもかかわらず、(本人は香港派遣軍勤務で北京にはいないことが分かっていましたが、)北京の留守宅にいることが分かっていた奥さんに会ってもらえず、仕方なく持参したおみやげを駐在武官に託して日本に帰りました。
 その周さんから突然「今東京にいるんだが。」と電話がかかってきたのが昨年の10月です。
 海上幕僚長主催の太平洋諸国海軍首脳のシンポジウムに急遽出席することになり日本に来たというのです。彼の日程がつまっているため、ただちにかけつけて、宿泊先のホテル・ニューオータニで20分間あわただしく対面しました。
 そして今回の再会となったわけです。
 まだまだ日本と中国は近くて遠い国ですね。

4 日中交流関係者とのやりとり

 会う人が異口同音に「対イラク戦はあるか?」、「その時期はいつか?」と私に聞くので、私は大略、
「そんな質問が出るようでは中国の国際情勢分析能力には問題があると言わざるをえない。
一昨年の9.11事件後数週間の時点で対イラク開戦は決まっており、昨年秋に米国がイラク問題を国連に持ち込んだのは、開戦時期を3月とほぼ決めたからだ。民主主義とは何ぞやということを踏まえれば、おのずからそういう結論になる。
ブッシュ大統領は開戦すれば、結果は速やかな「勝利」で体制変革もうまくいくと信じている。結果良しとなれば米国民は喜び、自分の再選につながる。だからブッシュは対イラク戦をやりたい。
また、開戦時期は翌年の大統領選挙の日程とのからみで、早すぎると対イラク戦「勝利」フィーバーが冷めてしまい、父親のブッシュ・シニア大統領のように湾岸戦争(戦闘期間:1991年1月17日??3月2日。(http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/gulf/cron/(2月27日アクセス)))に「勝利」しても再選には失敗するおそれがある。だから湾岸戦争の時の1月中旬より早い時期での開戦は考えられない、ということになる。他方、4月以降の開戦だと暑くなってきて兵士への負担が大きい。だから3月くらいが一番無難だということになる。
(ただし、国際情勢分析には絶対はない。例えば、99%ないとは思うが、最後の瞬間にフセイン大統領が手持ちの大量破壊兵器をすべて差し出して開戦を回避する、といったことがありうる。)
昨年5月の訪中時にも靖国の問題で、中国側に民主主義への理解を求めた(コラム#35参照)が、対イラク戦問題でも同じことを強調しておきたい。
なお、なぜ対イラク戦なのか、ということを理解するためにはアングロサクソンの本質を知る必要があるということを付け加えておく。」
 と答えておきました。
 また、「対北朝鮮戦はあるか?」という質問に対しては、端的に「韓国が反対し、日本も消極的である以上、米国による対北朝鮮戦はない。」と答えておきました。
 なお、台湾問題について、S氏が「中国と台湾が統一するのはいつか。」と聞いたのに対し、「50年後でしょう。」と答えた人がいて、S氏が「それでは我々はみんな死んでいますね。」と返したやりとりが印象に残っています。
 ところで今回は昨年と違って、日中問題に関わる議論がほとんど出なかったのが興味深い点です。
 これは、「最近、人民日報のベテラン記者、馬立誠氏の書いた「対日関係の新思考」という論文が日中双方で話題となっている。「日本(の発展)はアジアの誇りである」「(過去についての)謝罪問題は解決ずみ」などの指摘をした上で、馬記者は中国内の「独善的で排他的な民族主義」を痛烈に批判。対日政策も時代の変化に合わせた「創新が必要」と主張した。」(帰りの日航機内で読んだ朝日2003.2.23朝刊の「風 東京から」という記事より)といった中国内での動きが関係しているのかもしれません。

5 本屋での発見

昨年は「新華書店」に入ってみた(コラム#36参照)のですが、今回は同じ王府井にある「外文書店」に入ってみました。洋書の書店なのですが、語学の本が中心で、文学、科学技術、医学、経済、経営といったノーベル賞(平和賞は除く)の対象になりうる分野の本はあるのですが、予想通り歴史・思想・社会科学書(リメーク版を除く)といった中国政府が敬遠したい分野の本は全くありませんでした。(正確に言うと、何を間違ったか、Joseph E. Porsico, Roosevelt's Secret War, Random Houseという歴史の本が一冊だけ置いてありました。)法律学の本もなかったように思います。
新華書店も外からのぞき込んでみたのですが、置いてあるすべての地球儀や地図で日本の北方領土が日本領として表示されていたのには驚きました。後で中国側にその話をしたところ、中ソ対立の時採用された政策が、そのまま修正されずに現在に至っているのだとばつが悪そうでした。

6 京劇と中国英語

 フリーになった21日(土)の夜、思い立って京劇鑑賞に出かけました。観光客向けに、宿泊していたホテルからあるいて5分少々のところにある大きなホテルの中の劇場で毎晩公演が行われていると聞いたからです。
 出し物自体は、すばらしいものでした。かつて日本でテレビで京劇を眺めた記憶はありますが、かぶりつきに近いところで見ると全然おもむきが違います。歌舞伎よりもはるかに普遍性がある。
というのは、歌舞伎は何代にもわたって同じ出し物を繰り返し見ている目の肥えた観客を相手にしてきたため、史実とか前に誰がどのように演じたかといったことを知らないと真の面白さは分からない。第一女形なんてものがある。また、立ち役、女形を問わず、動きが緩慢で抑制されている。要するに観客の側で知識・経験、それに想像力を総動員して鑑賞しなければならない。
それに比べて京劇はストーリーが単純で、動きはアクロバティックで速い。女優はあくまでも美しく、男優はりりしい。顔のくまどりにせよ、見得を切る動作にせよ、こちらが本家なのだろうが、歌舞伎よりはるかに必然性がある。これなら誰が見ても素直に感動できるなと思いました。
さて、にわか演劇評論家役はこれくらいにして、私があっけにとられてしまったのが、舞台両脇の上の方の電光掲示板にリアルタイムで表示される、せりふの中国語と英語訳のうちの英語訳です。何と言葉や文法がむちゃくちゃなのです。(そもそも、京劇のことを英語ではBeijing Operaと言うことを初めて知りましたが、英米人が作った言葉なのか中国人が自分で訳した言葉なのかはともかく、これ自体誤訳に近い。「歌舞」伎同様、京劇はOpera+Ballet だからです。Beijing Musical の方が適訳でしょう。)
中国人は細かいところにはこだわらないのか、それとも中華意識のあらわれ(=英語らしきものを表示してやっただけでありがたいと思え)かと首を傾げながら帰路につきました。
ところが、翌朝、たまたまホテルの部屋のテレビをつけると中国語と英語訳のテロップつきのホームドラマをやっており、その英語訳がまたもやむちゃくちゃなのです。これで結論は明らかです。中国人は細かいところには無頓着なのでしょう。
これに比べると日本人の細部へのこだわりは世界に冠たるものがあります。日本人が英語が下手なのは、完全な英語を話そうと肩に力が入りすぎるからでしょう。いずれにせよこの無頓着ぶりでは、中国が日本の製品やサービスの品質の高い水準に追いつくのは容易ではなさそうです。