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太田述正コラム#0135(2003.7.31)
<またまた北京訪問記(その4)>

8 大清国
 中国の新指導部に清華大学出身のテクノクラートが多いため、「大清国」(「清」は清華大学と、中国最後の王朝をひっかけている)という言葉ができたという話を聞いたり、人民大学のパンフレットに、同大学入学者の「偏差値」が、文科系では二番目、理科系では三番目と書いてあったことなどから、文科系の一番目と、理科系の一番目、二番目はどこの大学か、と2??3の人に質問してみました。ところが、文科系と理科系の一番がそれぞれ北京大学と清華大学だという答えはすぐ返ってきますが、理科系の二番目が出てきません。
 帰国した日の人民網の記事を読むと、北京大学も清華大学も文理総合大学であり、理科系の二番目は北京大学のようです(http://j.peopledaily.com.cn/2003/07/25/jp20030725_30989.html。7月25日アクセス)。
 私は法学部の出身なので、法学部のランキングも聞いてみたのですが、当然のことというべきか、はっきり答えられる人はいませんでした。
 一人っ子政策もあって、中国での受験戦争も熾烈なものとなっていると聞いていたのですが、まだまだ日本はもとより、韓国の状況の比ではなさそうです。

 最後に、コラム#133でご紹介した人民大学の講演・質疑応答以外の場での私と中国側とのやりとりのさわりの部分を凝縮した形でご披露しておきたいと思います。

<中国側発言>
 我々は日本をアジアの誇りだと思っている。中国はまだまだ日本に学ばなければならない点が無数にある。
とは言え、中国の新執行部のパーソナリティーがおしなべてソフトで実務的なので江沢民時代と比べて対日政策があたかも変化したように見えるかもしれないが、対日政策は変わっていない。そもそも中国は集団指導体制の下にあり、人が変わったからといって、簡単に変わるものではない。しかも、中国にとって対日政策の優先度はそれほど高くなく、対日政策の再検討は他のより火急な懸案への取り組みの後に回されているのだから、変わりようがない。
なお、対日政策の再検討が行われたとしても、歴史・靖国問題に関する中国政府の従来のスタンスが変化するようなことはありえない。
太田さんによる日本の防衛政策の説明(コラム#133掲載の人民大学での講演内容参照)は、おおむね我々の現在の認識と一致している。我々は太田さんがこれまで発表した著書や論文を高く評価し、重視している。正直に言えば、太田さんのおかげで、日本の防衛政策で従来訳が分からなかった部分の多くが腑に落ちた。
それにしても、「高給と安定した生活をなげうって防衛庁を飛び出すとは、中国共産党員の鑑のような人物だ」と我々の間でかねてより太田さんを噂している。
しかし、残念ながら太田さんは中国をよくご存じないし、日中の友好協力関係の増進にも余り強い熱意はお持ちでないようだ。
対日政策にも関わる案件中、中国政府が現時点で最も関心を持っているのは北朝鮮問題だ。中国政府自身、北朝鮮が本当に核を持っているのかどうか、分からない。中国政府は、日本政府が北朝鮮の制裁に向けて次にどんな手を打ち出してくるのかに強い関心を持っている。また、北朝鮮がらみで日本政府の防衛政策に更に大きな変化が生じるのかどうか、現在日本政府部内で行われている防衛大綱の見直し作業に注目している。

<太田の発言>
 中国の新執行部が対外的に与える印象は、政策の「実態」がどうであれ、極めて重要だと思う。かかる観点からすれば、新執行部の対日政策は江沢民時代とは一変し、柔軟化し親日的になったと言っていいのではないか。
 一般論だが、中国が日本を見る場合、戦後日本が軍事に何の関心も持たない国になってしまったこと、日本が戦前から民主主義国家であったことが往々にして盲点になっている。中国自身が現在軍事を重視する国であり、かつ民主主義国家ではないからだ。
民主主義に対する認識不足が中国に非生産的な対応をとらせている例としては靖国問題があげられる(コラム#35参照)。
また、戦後日本が軍事に何の関心も持っていないことに無頓着だからこそ、日本軍国主義の復活への懸念表明とか、中国の対日核戦力の誇示だとか、ピントはずれの言動が中国側から出てくる。
私に対し、過分のほめ言葉をいただき、面はゆい。私が日本政府の行政府の一員であったことより、私の識見そのものを買っていただいているのだとすれば、うれしく思う。
いずれにせよ、私は日本政府についても、中国についても、思ったところを率直すぎるくらい率直に指摘してきたつもりだが、今後とも率直であり続けたいと考えているので、ぜひご理解をたまわりたい。
 確かにご指摘のように、私がこれまで中国に十分な関心を寄せてこなかったことは事実であり、このことについては、率直に反省している。
日中の友好協力関係の増進については、日本がアングロサクソンの生来的同盟国である以上、中国の方で相当努力してもらわない限り、日中友好協力関係の増進には限界がある。
私見では、近現代史の最大のテーマは開放体制の信奉者たるアングロサクソン文明と非開放体制への親和性を有する欧州文明の対立だ。この対立の下、中国は欧州文明の流れをくむイデオロギーを採用した。この外来の衣を脱ぎ捨てて、中国が真に開放体制を信奉する国に脱皮することは、中国の将来のために不可欠であるだけでなく、真の日中友好協力関係の樹立の前提条件でもある。
「中国の将来のために不可欠」であるゆえんを説明しておきたい。
中国がこのまま経済成長を続けて行けば、やがて「入り」の面ではエネルギー確保上の制約に直面し、「出」の面では環境面での制約に直面することは必至だ。しかし、私見によれば、これら制約に直面するよりも早く中国は創造性の制約に直面するだろう。もうすぐ、中国は外国から新しいコンセプトや技術の供与を受けられなくなり、自分でこれらを生み出さなければならなくなる。そうなった時、日本でさえ苦労しているというのに、中国が現在の非開放的な体制のままで新しいコンセプトや技術を生み出せるようになるわけがない。中国が開放体制を信奉する国へと脱皮することなくして、独創性の制約を乗り越えることはできないということだ。
これは何も中国の米国化を促しているわけではない。日本がアングロサクソンとは異なった文明・・ただし、多元的かつ柔軟に変化しうる文明という点でアングロサクソンと共通性がある・・でありながら、開放体制を享受しているように、中国も自らの文明・・かつての豊かな創造性を発揮した文明・・を踏まえつつ、開放体制に向かって積極的に梶を切ることができるはずだ。そのためにも、中国が、近現代における日中関係史の不幸な側面だけをクローズアップすることなく、過去の中国史全般(日中関係史を含む)のいい面にもっと光を当てていくこと希望する。
 私は、日本人が拉致問題に比べて核問題に余り関心を持っていないことは不適切だと思っているが、いずれにせよ、北朝鮮を単なる一外国だと割り切れば、いくら隣国だとは言え、北朝鮮問題なるものがそんなに大きな問題であるわけがない。しょせん北朝鮮は経済的に破綻した一小国に過ぎないからだ。
 しかし、私は北朝鮮が日本のかつての植民地だったからこそ、日本人は北朝鮮にかねてからもっと関心を寄せるべきだったと思っている。今、こんなことを本当に実施すると、北朝鮮の体制崩壊につながるだけでなく、中国にも多大のご迷惑をかけるので慎まなければならないが、私は、日系ブラジル人の出稼ぎを認めるくらいであれば、北朝鮮を含む日本の旧植民地の人々に、無条件で日本に移住する権利を与えるべきだとかねてから思っている。
 私が米国からの日本の自立を唱えるのは、日本がこのような「利他」的な政策をとる国になって欲しいからだ。日本が「利他」的であることによって、世界が裨益するだけでなく、それが長期的に日本の「利己」に資すると信じているからだ。
 中国政府に望むことは、日本政府の対北朝鮮政策や防衛政策の一挙手一投足を追いかけることではなく、日本の自立を促し、或いは少なくとも日本の自立を妨げないことだ。
(完)

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