太田述正コラム#0166(2003.10.7)
<トルコについて(番外編1)>



 トルコについてコラムで書くことにした時、ほぼ30年ぶりにPolitical Modernization in Japan and Turkey (Princeton University Press, 1964)という本を手にとりました。この本は既にコラム#163で引用しましたが、なつかしい思い出がつまっています。
 それは、私が謦咳に接した先生が5名も登場するからです。
 この本は、いわゆる近代化をテーマに、米国を中心に世界の学者を動員して上梓された、全10巻のシリーズの第三巻であり、特定の国をとりあげた唯一の巻でもあります。



 前文を書かれているのが、シリーズの総覧者である比較政治学(Comparative Politics)の泰斗、ガブリエル・アーモンド(Gabriel Almond)先生(昨年逝去)です。
 スタンフォード大学留学時代(1974??76年)、私は政治学科修士課程で先生のセミナーをとりました。学期末に提出したペーパーが、「君は学者になれる。これは決して冗談ではないよ。」という書き込みとともに戻ってきた時、当時学者になる気など全くありませんでしたが、思わず笑みが出た記憶があります。



 この巻の編者であり、もう一人の編者と共にこの巻の第一章と最終の第十章を担当されているのがロバート・ウォード(Robert Ward)先生です。
 スタンフォード大学で、ビジネススクールに籍を置いて、更に政治学科にも籍を置くことにした頃、日本の政治を研究されていると聞き、最初に挨拶に伺った先が先生の研究室です。流暢な日本語で対応されたのには面食らいました。先生のセミナーもとりましたが、先生の学問に対する厳しさに襟を正す思いがしました。



 第九章の前半を担当しているのがノブタカ・イケ(Nobutaka Ike)先生です。
 イケ先生は日系二世でやはり日本の政治の研究者です。スタンフォード留学二年目の最後の学期に先生と研究室での一対一のセミナーをお願いし、二本のペーパーを日本語で書いて提出しました。一本は「米国とは何か」でしたが、正直言って当時の私には荷の重すぎるテーマでした。もう一本は「先の大戦に至る日本の政治経済」であり、こちらの方は随分先生に誉めてもらいました。先生の一言、「(社会の構成原理が)『個人』のアングロサクソン、『階級』の欧州、『patron-client』の日本」が、その後の私の世界観の形成に決定的な影響を及ぼしています。



 第五章の前半を担当しているのがロナルド・ドアー(Ronald Dore)先生です。
 先生のご令名は、東大の駒場時代、先生の「都市の日本人」が必読書として紹介されていた時から存じ上げており、その後、先生の書かれた、「江戸時代の教育」や「貿易摩擦の社会学 イギリスと日本」(いずれも岩波書店)を読んでファンになりました。
しかし、ロンドン大学(LSE)におられた先生と英国国防省の大学校留学時代(1988年)にお目にかかることになるとは夢にも思いませんでした。この大学校で、日本について先生の講義が行われたのです。その後で行われた懇談の際、先生と直接(日本語で)話ができました。好々爺然とした謙虚な先生でしたが、日本への熱い思いがひしひしと伝わってきました。



 第七章の前半を担当しているのが猪木正道先生です。
 先生が防衛大学校の学長をされていた1970年代の終わり、ある友人(政治学者の卵)が猪木先生にぜひ会わせてくれというので、(当時、私は防衛庁の本庁にいましたが、)彼を案内して横須賀の防衛大学校を訪問し、学長室で先生にお目にかかりました。
 その時、予定時間をはるかに超えて、東西にわたる該博な歴史知識を披露されつつ、先生は国際情勢について熱っぽく語られました。
 この時に教えられたこと・・歴史を知らずして国際情勢を論ずることなかれ・・が、現在書きつづっているこのコラムのスタンスになっているのです。



 今回たまたま、一つの本に登場する先生方の思い出を書きましたが、それにしても、東大時代は、駒場であれ、本郷であれ、強烈なインパクトを与える先生に出会わなかったな、とため息が出ます。これは、一人一人の先生のお人柄や能力の問題というより、東大が、(少なくとも文系に関しては、)教育機関としての体をなしていないことに原因があると思います。いずれこの問題も取り上げたいと考えています。

(続く)