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太田述正コラム#0253(2004.2.8)
<南京事件と米国の原罪(その1)>

1 始めに

ジョン・ラーベ「南京の真実」(講談社文庫)を米子への往復の飛行機の中で読みました。
この本は、ドイツ人ラーベが、ジーメンスの南京支社長だった1937年に、日本軍によるいわゆる南京事件を現地で記録した日記がベースとなってできあがった本です。
読んで色々考えさせられました。
この本は、1997年に日本とドイツで同時出版されるやいなや、南京で少なくとも5万人から6万人程度の大虐殺があった(同書362頁。注1)ことを示す典拠として争って引用されるようになった有名な本ですが、私が考えさせられたのは、一つはラーベのアジア人観であり、もう一つはラーベが記述している、日本人兵士の米国に対する態度です。

(注1)南京を守備していた中国兵の多くが制服を脱ぎ捨て、私服に着替えて南京市内の安全区(後述)等の一般中国住民の中にまぎれこん(131頁)だことを日本軍が(恐らくスパイ行為として)とがめて、彼らやその協力者を捜索し、処刑した(133、136頁等)ことが国際法上違法であったかどうかは微妙なところです。他方、ラーベが生々しく記述しているように、正式な捕虜の虐殺(223頁)や一般中国住民の虐殺(後述)も行われました。しかし、これらは日本軍による組織的な行為ではなかっただけに、その数は5??6万人中の一部、せいぜい数千人であったのではないかと思われます。とは言え、具体的な規模はともかく、日本軍が南京で大虐殺事件を引き起こした事実は、争いの余地がありません。

ラーベは、南京に取り残されるであろう住民が避難し、戦火を逃れることができる安全区を外国人居住地域に設けることとし、外国人によって構成された安全区委員会の委員長に就任します(62頁)。
日本政府は「軍事上必要な措置に反しないかぎりにおいては、・・<安全>区を尊重するよう、努力する」と約束し(88頁)、安全区は空襲を免れました(343頁)。南京攻防戦が始まる直前の南京の人口は20万人まで減少していたと中国当局は見ており(77頁)、その全員が安全区内に避難した勘定でしたが、安全区の中の難民の数は、最終的には25万人にまで増えました(216頁)。安全区はまがりなりにもその役割を果たしたのです。

2 ラーベのアジア人観

 (1)中国人についての描写
 ア 個人のエゴイズム
「蘇州では、・・中国の敗残兵によつて、ひどい略奪が行われたという」(52頁)、「<市街戦が繰り広げられていた時、>中国兵や民間人が略奪を始めました。まず襲われたのは食料品店です。」(131頁)、

 イ 国民党のエゴイズム(中国型ファシズム)
「蒋介石<に>「最悪の事態になった場合、だれが・・残り・・秩序をまもるのか・・」<と質問すると、その答えは、>「その時は日本人がすればよい」というものだった<という>。・・何十万もの国民のために・・役人は・・だれも身をささげないとは・・」(75??76頁)、「蒋介石・・側近の高官・・黄<南京守備軍司令長官>は安全区に反対だ・・<黄いわく、>「あなたがたが安全区を設けさえしなかったら、いまそこに逃げこもうとしている連中は、わが兵士たちの役に立てたのですぞ!」・・要するにこいつは中国人なのだ。こいつにとっちゃ、数十万という同胞の命なんかどうでもいいんだ。」(95??97頁)、「<中国人の>医者も看護士も衛生隊も、もうここにはいない・・。○○病院だけが、使命感に燃えるアメリカ人医師たちによつてどうにか持ちこたえている。」(105頁)、「中国軍のやつら<がした、>・・軍隊を<安全区から>立ち退かせるという約束は・・いまだに果たされていない・・」(108頁)、「中国人<は市街地に>・・作戦上火をつけた」(350頁)、「黄将軍は・・自分の部隊を置いて船で・・逃げたという」(120頁)、「<中国政府高官の>○○が現金をそつくり日本の銀行に投資したと、もっぱらの噂だ。そうに決っている。おそらく日本からもらった金だろう」(220頁)

 ウ ナショナリズム
「「俺が<戦火が及ぼうとしている>南京へ<戻る>のは<ジーメンス>のためだけではない、なによりもまず祖国のためだ」・・ふつう中国人はこのように考えないと思われている。だが現にこういう人々がいるのだ。なかでも、貧しい人や中流の人たちの間ではますます増えてきている」(31頁)、「中国軍<は>済南で日本人捕虜を2000人銃殺したという話しだ」(130頁)、

 エ 共産主義
「インテリの中国人はみなボルシェヴィズムに身をささげるべきだと思っているという」(46頁)

(2)日本人についての描写
 ア 兵站軽視
「日本軍は十人から二十人のグループで行進し、略奪を続けた。・・食料が不足していたからだろう。」(123??124頁)、「上海から南京にむかった補給部隊は本隊に追いつけなかったそうだ。」(211頁。ドイツ大使館南京分室長の手記の引用)、

 イ 民主主義の陥穽
「<そのうち、食料以外についても略奪が始まり、日本兵らは>連隊徽章をはずし・・組織的に、徹底的に略奪した」(132頁)、「いまや耳にするのは強姦につぐ強姦。夫や兄弟が助けようとすればその場で射殺。」(139頁)、「日本軍が街を焼きはらっているのはもはや疑う余地はない。たぶん略奪や強姦の跡を消すためだろう。」(149頁)、「日本人将校はみな多かれ少なかれ、ていねいで礼儀正しいが、兵隊のなかには乱暴なものも大ぜいいる。」(125頁)、「兵士の処罰といえば、いつだってたかだか平手打ちどまり。」(188頁)、「今日、日本政府を牛耳っているのは軍部<であること>・・を考えれば、大使館の人々・・はそれなりによくやつてくれた・・」(215頁)、

(3)ラーベの見解
 ア 有色人種差別意識に基づくもの
「アジアの人間の戦争のやり方は、我々西洋人とは根本的に違っている・・もし、日本と中国の立場が逆だったとしても、おそらく大した違いはなかっただろう。」(211??212頁。ドイツ大使館南京分室長の手記の引用)、「とにかくここはアジアなのだ!そう言い聞かせてはみても、・・胸の悪くなるような残虐な話をつぎからつぎへと聞かされると、祖国が恋しくなる。」(277頁)、

 イ 良心に基づくもの
「1900年の北京包囲<の時、>・・ヨーロッパ人<も>略奪<した>。我々だって堕ちてしまった。いまや五十歩百歩だ。」(231頁)、

3 日本兵の米国に対する態度

「<日本人兵士によって>アメリカ国旗はしばしば引きずり下ろされ、汚されました。・・<これに対し、>ナチ党員のバッジとハーケンクロイツの腕章<の霊験はあらたかでした>」(361頁)、

(続く)

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