太田述正コラム#0344(2004.5.9)
<アングロサクソンバッシング(その4)>

  ウ アングロサクソンと欧州の文明的対立の直視
ブルマは2001年4月に'Anglomania: A European Love Affair'という本を上梓しており、私と同様、欧州文明とアングロサクソン文明とは対蹠的な存在であるという認識を持っていることが窺えます。
対蹠的な文明だとすれば、欧州と英米が相互に反感を持つのは当たり前だということになります。欧州の反英米感情・・彼らの言うところのオクシデンタリズム・・はここに起源があることになります。
この本の中で、ブルマは要旨、次のように述べています。

欧州では、ローマ帝国時代の統合された欧州を武力でもって再現しようと夢見る勢力が次々に現れた。神聖ローマ帝国の国王達がそうだったし、その衣鉢を継ごうとした皇帝ウィルヘルム2世やヒットラーがドイツから出た。フランスからも、ローマ式の皇帝戴冠式を挙行したナポレオンが出た。
戦後のフランスの歴代大統領の言行は、この欧州の先達諸公の野望の痕跡をとどめている。だから、フランスとドイツが中心となって推進してきたEUに対し、英国は常に懐疑的な態度で接してきた。
英国のEUに対する懐疑の根底には、英国という自由の島が暗黒の欧州大陸に対峙してきたという思い入れがある。英米両国による働きかけの賜でもあるが、現在では欧州には基本的に自由・民主主義国しか存在しないというのに、今なお英国がEUに懐疑の念を持っているのはどうしてだろうか。
それは第一に、EUなるものは、国民国家不信に凝り固まった欧州諸国による消極的選択の産物にほかならず、理念があるようで実はないからだ。
英米では、自由、繁栄及び平和の担い手としての国民国家に対し、牢固たる信頼感があるのに対し、長きにわたって国民国家同士による戦いや占領でひどい目にあった欧州諸国は、国民国家に代わるものなら何でもよいという思いから国民国家を超越するEUを創ったということだ。
第二に、加盟各国こそ民主主義国家だが、EUそのものは、現時点では民主主義的機構であるとは到底言えないからだ。
このような欧州諸国の、自ら自身による意思決定能力についての自信喪失状況は、一体どう打開したらいいのだろうか。
その鍵を握っているのが英国だ。
英国は、これまでのように経済的利害だけからEUに関わることを止め、人民主権と自由貿易の旗手としてEUのフルメンバーになってしかるべきだ。そうなった暁に、初めてEUは理念に基づく民主的な共同体に生まれ変わることができるだろう。
(以上、http://www.theglobalist.com/DBWeb/StoryId.aspx?StoryId=2007(5月3日アクセス)による。)

これほど欧州観をホンネで語った英国人を私は知りません。これはブルマが英国人であって英国人でない(コラム#338)からこそ、できたことでしょう。

  エ 「戦前」の日本
 ブルマらにとって、欧州やイスラム世界の反米感情のよってきたるゆえんは「理解」できても、日本の先の大戦に至る反英米感情の正体は容易に「理解」できなかったように思われます。
しかし、日本で6年間も過ごしたブルマ(コラム#338)として、オクシデンタリズムを語るときに日本を捨象するわけにはいきません。
ブルマはマルガリットとの共著を、京都学派等による1942年の近代の超克論(コラム#222)の話から始めます。
ブルマは、英米と戦うこととなり、英米のアジアにおける帝国の瓦解を標榜した当時の日本にとって、これを正当化するために近代の超克論者が唱えたこと・・「伝統的日本文化は精神的で深遠だが、西側の文明は浅薄で根無し草で創造性を破壊するものであり、特に米国の文明は冷たく機械的で精神ないし魂を欠く機械文明であり、あらゆる人種が雑種となるために混淆する場だ。全体論的(holistic)で伝統的な東洋の精神ないし魂は、聖なる日本の天皇の支配の下で連携することによって、暖かく有機的なアジア共同体を精神的に健康な形で再建することになろう・・これは日本の血(blood)と欧米の知(intellect)との闘争だ。」・・の「日本」や「日本の天皇」を「ドイツ」、そして「アジア」を「欧州」に置き換えてみれば、これがドイツのロマン主義者やナチスの唱えたことの焼き直しに他ならないことは明らかだと指摘します。
しかしその一方でブルマは、当時の日本にはドイツにおいては反英米感情と双子の兄弟的に併存していた反ユダヤ感情が殆ど存在していなかったことに当惑を隠そうとせず、これは日本がユダヤ人と殆ど関わりを持たなかったからだ、と苦しい説明をしています。
 (以上、Burumaによる。)

(続く)