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太田述正コラム#0484(2004.9.26)
<イラク情勢の暗転?(その4)>

もう少し補足しましょう。
アングロサクソン文明は、人類史上他に例を見ない個人主義文明であり(コラム#88、89)、それが近代文明たるゆえんなのです。
ですから、非近代文明が近代文明に接触すると、共同体(部族・村落等々)が瓦解し、そこから個人が裸で放り出される、という恐怖感が生まれ、近代文明は往々にして憎悪の対象とされるのです。そして、一般に共同体では家父長的秩序が貫徹していることから、女性の位置づけをめぐる軋轢が近代文明との紛争のきっかけになるケースが多いとされています。(http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/FI25Aa01.html。9月25日アクセス)
まさにイラクにおいても、不穏分子によって殺害された最初の暫定統治機構勤務米民間人は、シーア派地区でイラクの女性の地位向上運動に熱心に取り組んでいた33歳の女性でした。今年3月の出来事です(注5)。(http://www.nytimes.com/2004/09/19/magazine/19WOMENL.html?pagewanted=print&position=。9月23日アクセス)

(注5)意外に思われるかもしれないが、この時サドル師は彼女の死を心から悼んだという。

このことを英国の作家フォースター(E.M.Forster。1879??1970年。コラム#84)は、その小説「インドへの道(A Passage to India)」(1924年。フォースターが書いた最後の小説)であたかも見通していたかのようです(注6)。

 (注6)この小説を英国のデービッド・リーン(David Lean)監督が1984年に映画化している(奇しくも、リーンが監督した最後の映画)。私が1988年に英国のRCDSに留学した時、同校で上演した映画二本のうちの一本がこれだった。ちなみに、もう一本は実話を踏まえた、米国のシドニー・ポラック監督、主演メリル・ストリープ、助演ロバート・レッドフォートのOut of Africa(1985年)だった。

この小説の荒筋は、英国のインド亜大陸統治時代、すなわちインド文明(ヒンズー・イスラム融合文明と言ってもよい。コラム#300??303、317、318参照)のアングロサクソン文明との接触時代を背景にして、アングロサクソンを理解していると自負していたインド人男性の医師が、インドを理解しようとしていた英国人女性によって翻弄され、これがインド人一般の英国人一般に対する激高、更には暴動へと発展して行くというものです。
つまりこのようなシチュエーションの下では、双方がたとえ善意であっても、半ば必然的に双方が抜き差しならぬ対立関係に陥ってしまう、というのです。
 イラクを念頭に置くと、この小説の最後の場面は特に暗示的だ、とNYタイムス・マガジンの論説(上記NYタイムス・サイト)が指摘しています。
主人公のインド人医師が、かつて友人だった英国人男性から、「我々はまた友人になれるかね」と聞かれ、(映画では「まだだ。今はだめだ」と答えさせるにとどめているのですが、)フォースターは、「50年かかろうと500年かかろうと、<インドにいる>いまいましい(blasted)イギリス人ども全員を海にたたき落としてやる。そうして初めて、君と私は友人になれるのさ」と答えさせているからです。
まこと、フォースターの洞察力には敬意を表するほかありません。

4 イラクの今後

 (1)三つに分裂?
 このように現在のイラクが「荒れる」スンニ派地区と平穏なシーア派地区・クルド人地区との二つに大きく分かれつつあること、シーア派地区とクルド人地区は離れていること、かつまたクルド人にはかねてより独立願望があることから、イラクが三つの地域に分裂するのは必至だと考える人が少なからず出てきました(http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/FI21Ak02.html。9月21日アクセス)。
 しかし、私はそうは考えていません。

(続く)

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