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太田述正コラム#0498(2004.10.10)
<無神論と神不可知論(その3)>

 ヒュームは、奇跡を信じることは不合理であるとし、奇跡に立脚した宗教は否定されるべきことを示唆しました。また、神の存在を論理によって証明することができるとする当時の社会通念を真っ向から否定しました。更に、神を道徳的価値の源泉であるとする社会通念に反し、道徳は人間の行為がもたらす快楽と効用から導き出されるものであるとし、世界で初めて純粋に世俗的な道徳理論を打ち立てたのです(http://www.utm.edu/research/iep/h/humelife.htm。10月8日アクセス)。
 (当初の予定ではここで、世界の著名人が宗教について語った文章集のサイト(http://www.spaceandmotion.com/Religions-Atheist-Atheism-Agnostic.htm。10月7日アクセス)に掲載されているヒュームの文章をいくつかご紹介するつもりだったのですが、用いられている英語自体は決してむつかしくはないのに文章の意味が把握できない、というこれまで経験したことがない問題に直面し、結局ご紹介することを断念せざるをえませんでした。)
 英国の最近の神不可知論者としては、オルダス・ハックスレー(Aldous Huxley。1894-1963。コラム#127、#129)がいます。
彼は1932年の小説Brave New World(邦訳あり)において、芸術と宗教が廃止され、人間が人工子宮で増殖されるという技術万能の非人間的な逆ユートピア社会を描きました(http://www.levity.com/corduroy/huxley.htm。10月9日アクセス)。これは無神論の欧州に対する警告の書であったと私は理解しています。
また、彼は先の大戦中の1941年に上梓した伝記Grey Eminence, A Study in Religion and Politicsにおいて、「17世紀前半のルイ十三世のフランスは、リシュリュー、ひいてはジョセフ・デュ・トロンブレーを参謀として、カトリシズムなる宗教を手段として欧州における覇権を確立することを図ったが、これは、国王を「民主的」に選ばれた独裁者で置き換えるとともに、宗教を世俗的なイデオロギーで置き換えることによって18世紀後半に欧州に出現することとなる民主主義独裁の露払い役を果たした」、という趣旨の指摘を行いました(コラム#148)。
この「置き換え」が行われる際の触媒となったのが無神論だったわけです。
神不可知論者ハックスレーは、仏教を高く評価していました。
「世界史上初めて仏教が、この世において、生を終えるまでの間に、個々の人々が神や神々の手を一切借りることなく、自ら救済を得ることができるということを明らかにした」と(前掲http://www.spaceandmotion.com/Religions-Atheist-Atheism-Agnostic.htm)。

4 終わりに代えて・・神不可知論者アインシュタイン

 最後に、アングロサクソンではありませんが、ナチスのドイツを逃れ、晩年の22年間(1933年??)を米国というアングロサクソンの世界で送った、ドイツ生まれのユダヤ人にして20世紀最高の知性の一人、アインシュタイン(Albert Einstein。1879??1955年)が宗教について語ったこと(前掲http://www.spaceandmotion.com/Religions-Atheist-Atheism-Agnostic.htm)(注10)をご紹介し、本稿を終えたいと思います。

 (注10)同種のものがウィリアム・ヘルマンス「アインシュタイン、神を語る」(紀伊國屋書店2000年。原著は1983年)にも採録されていると思われるが、確認していない。

 「人間のような神など子供っぽい観念だと私は何度も申し上げてきた。かといって私は、職業的無神論者の十字軍的精神にもついて行けない。彼らは若いときにたたき込まれた宗教の桎梏から逃れるための熱狂に取り憑かれているのだ。私自身は、われわれ人間の自然と自身に対する知的理解の不十分さについて謙虚でありたいと思っている」、「私は被創造物たる人間にご褒美を与えたり罰したりする神やわれわれと同様の意志を持っている神など信じない。人間が物理的死を超えて生きるなどということも私は信じないし、信じたいとも思わない」、「人間の倫理的行動は共感・教育・社会的紐帯と社会的必要性に立脚すべきであり、宗教的なものに立脚する必要はない。仮にある人が死後に受けるご褒美に対する期待や罰に対する恐れによって左右されるのだとすれば、何と彼は心の貧しいことか」、「共産主義の力の一つは、それが宗教の属性のいくつかを帯びており、宗教的感情を喚起するところにある」、「量りがたい存在についての認識、そして最も深遠なる理性と最も輝ける美の顕現についての認識。かかる認識と感情こそ、われわれを宗教へと誘う。このような意味において、そしてこのような意味においてのみ、私はまことに宗教的な人間なのだ。」、「未来の宗教は宇宙的宗教だろう。それは人間のような神を超越し、教義や神学を排除したものであるべきだ。それは自然と精神の両領域をカバーするものであって、あらゆる自然と精神とが意味のある形で統一されているという経験が惹き起こす宗教的感覚に立脚するものでなければならない。仏教こそ以上にぴったりだ。現代の科学の必要性に合致する宗教があるとしたら、それは仏教だ。」

 英国(イギリス)人、すなわちアングロサクソンは、20世紀にアインシュタインのような巨人がやっとのことで到達することができた宗教意識を、原初から抱いていた、という点でも類い希なる存在なのです。

(完)

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