太田述正コラム#0602(2005.1.22)
<2島返還で、北方領土問題解決を>

 『世界週報』2005年2月1日号(1月21日発売。60??61頁)に掲載された拙稿を転載します。これはコラム#549を書き換えたものです。
 なお、『世界週報』上ではle groupe des iles dites Kourilesにアンダーラインが施されていることをお断りしておきます。

            2島返還で、北方領土問題解決を

                       評論家(元防衛庁審議官) 太田述正

1 北方領土問題とは何か

 北方領土問題とは、1951年の対日平和条約第2章第2条C項「日本国は、千島列島・・に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」にいう「千島列島(Kuril Islands)」に国後・択捉両島が含まれるか否か、という単純な問題である。
 日本政府は、「1875年に締結された樺太・千島交換条約は、千島列島を日本領、樺太をロシア領とした。同条約は、千島列島として18の島の名前を全て列挙しているが、北方四島はその中に含まれていない。・・・1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島を放棄しましたが、放棄した千島列島の中に我が国固有の領土である北方四島は含まれていない」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/hoppo.html)と主張している。
 それに対し、ロシア(ソ連)政府は、日本はサンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」には当然国後・択捉が含まれる、と主張しているわけである。
 1956年の日ソ共同宣言によって、両国間で平和条約が締結されることを条件にソ連が歯舞・色丹両島を平和条約締結後に日本に引き渡すことに同意したのは、この両島が「千島列島」に含まれない、という理解からである。
 結局焦点は、「樺太・千島交換条約は、千島列島を日本領、樺太をロシア領とした。・・北方四島はその・・千島列島<の>・・中に含まれていない」との日本政府の指摘が正しいかどうかである、と言っていい。

2 日本政府主張に法的根拠なし
 
樺太・千島交換条約(Treaty of St Petersburg)には次のような規定がある。
 同条約前文「大日本国皇帝陛下ハ樺太島(即薩哈嗹島)上ニ存スル領地ノ権理全露西亜国皇帝陛下ハ「クリル」群島上ニ存スル領地ノ権理ヲ互ニ相交換スルノ約ヲ結ント欲シ・・・左ノ条款ヲ協議シテ相決定ス・・・」、同条約第二款「全魯西亜国皇帝陛下ハ第一款ニ記セル樺太島(即薩哈嗹島)ノ権理ヲ受シ代トシテ其後胤ニ至ル迄現今所領「クリル」群島即チ第一「シュムシュ」島第二「アライド」・・<中略>・・第十七「チエルポイ」並ニ「プラット、チエルポエフ」島第十八「ウルップ」島共計十八島ノ権利及ビ君主ニ属スル一切ノ権理ヲ大日本国皇帝陛下ニ譲リ而今而後「クリル」全島ハ日本帝国ニ属シ柬察加地方「ラパツカ」岬ト「シュムシュ」島ノ間ナル海峡ヲ以テ両国ノ境界トス」
日本政府は、これらの条文を根拠に、「千島列島」とはウルップ島以北の18島である、と主張しているわけである。
 しかし、この条約は、フランス語で書かれたものが正文であり、フランス語ではこの前文は、"En echange de la cession a la Russie des droits sur l'ile de Sakhaline, enoncee dans l'Article premier, Sa Majeste l'Empereur de Toutes les Russies pour Elle et pour ses heritiers, cede a Sa Mejeste l'Empereur du Japon le groupe des iles dites Kouriles qu'Elle possede actuellement, avec tous les droits de souverainete decoulant de cette possession, en sorte que desormais ledit groupe des Kouriles appartiendra a l'Empire du Japon."となっている(http://www.atimes.com/atimes/Japan/FK30Dh01.html)。
"le groupe des iles dites Kouriles"の後にカンマがあれば、ロシア領であった諸島だけが「クリル(千島)列島」だということになるのに対し、カンマがなければ、日本領であった国後・択捉両島を含んだ全体が「クリル(千島)列島」だということになる。ところが、カンマはない。よって日本政府の指摘は誤りなのである(Journal of Oriental Studies, Vol 36, 1996, p10)。
 だから、まともな法律家であれば、北方領土問題ではロシアに軍配を上げるだろう。
 日ソ中立条約を破って対日開戦し、あまつさえ日本が受諾したポツダム宣言にも違反し(注)、「千島列島」の占拠を続けてきた無法者のロシア(ソ連)に対して、残念ながら、対日平和条約で「千島列島」を放棄した以上、日本が「千島列島」全体であれ、その一部である国後・エトロフであれ、もはや返還を求める法的根拠がないことは、このようにはっきりしているのである。

 3 2島返還での平和条約締結を

 それでは日本はどうすべきなのであろうか。
 ロシアとしてのみようがない北方領土返還要求をいつまでも続けることは、あまりにも非生産的となる。
 とはいえ、北方領土返還要求をただ単に取り下げるわけにもいかないだろう。
 私は、実際の提訴は当分の間控えるとの前提で、日本が北方領土問題を国際司法裁判所に提訴したらこれを受けて立つとの約束をロシアからとりつけた上で、ロシアと平和条約を締結し、歯舞・色丹を返還させることで手を打つことを提唱したい。

 (注)大西洋憲章(1941.8。英米)「一、両国ハ領土的其ノ他ノ増大ヲ求メス」が連合国全体の共同宣言(1942.1。英米ソ華等))に引き継がれ、カイロ宣言(1943.11。英米華)「右同盟國ハ・・領土擴張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス」となり、ポツダム宣言(1945.7。英米華)「五 吾等ノ条件ハ左ノ如シ・・八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク・・」にソ連が対日開戦と同時に加わり、日本がこの宣言を受諾することによって、ソ連は「領土・・増大ヲ求メヌ」法的義務を日本に対して負った(高野雄一『日本の領土』東京大学出版会1962年180??181頁)。

<読者Kiri>
太田さん
 2島返還で、北方領土問題解決を読みました。
 外交における解釈論は幾つかあるようです。
太田さんが仰るように国際法を守ることが国家100年の計に適するという「信念』はそれでいいと思います。
 しかし、外交史を見ると法律の解釈と法律の制定には『力』が常に存在しているわけです。
 正しさとは解釈を作る力かもしれません。
 書かれたものの裏には数々のドラマがあり、今回の例で言えば、米国側の無知もあるわけです。無関心かなあ?問題設定を太田さんのように作れば、そういう結論になるのかもしれません。
 「北方領土問題とは、1951年の対日平和条約第2章第2条C項「日本国は、千島列島・・に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」にいう「千島列島(Kuril Islands)」に国後・択捉両島が含まれるか否か、という単純な問題である。」
 米国と日本の間では双方にとってクリルには北方4島が含まれていないという前提で上記条文が作られたとしたらどういうことにあるのでしょうか?

<太田>
>  しかし、外交史を見ると法律の解釈と法律の制定には『力』が常に存在しているわけです。
>  正しさとは解釈を作る力かもしれません。

 国際法は法なのか?という基本的な問題提起ですね。結論だけ書きますが、法だ、という立場、従ってまた、解釈には自ずから限界というものがあるという立場に私は立っています。

>  米国と日本の間では双方にとってクリルには北方4島が含まれていないという前提で上記条文が作られたとしたらどういうことにあるのでしょうか?

 対日平和条約の該当部分の制定経緯についてのご質問ですが、私自身つまびらかにしません。
 一井さん。
 「片岡鉄哉氏が「日本永久占領」(講談社α文庫1999年刊)の第17章で2つの憶測を披瀝されています」と以前ご投稿をいただきましたが、片岡氏は何とおっしゃっているのでしょうか。(この本を読んだと申し上げましたが、私の勘違いでした。)

<一読者>
お丁寧な返信ありがとうございます。

私が問題としたいことは、問題設定の時点で既に半分は結論が見えてきているということです。
太田さんの問題設定には私も同意できるところはありますが、日ソ二国間の問題として捕らえることは限界があります。
自衛隊の事も同様でして、憲法9条2項によると戦力は保持しないにもかかわらず、日本国政府はいろいろな解釈でこれを維持してきました。太田さんの言うように9条をそのまま解釈すれば、自然法である自国防衛をも放棄したと取られるわけです。これを国家100年の計として憲法を守ることが日本民族にとっていいのかといえば議論のあるところでしょう。そこにはいろいろと解釈が存在するわけです。重要な事は国家の存続であり、その為には正当化できるための論理性を付帯することです。
もしはじめから 樺太・千島交換条約(Treaty of St Petersburg)を基に、これを法的にも唯一の根拠とすることは議論を制約してしまい、あらぬ方向へと議論を導きます。
もう少し冷静な論文を期待しています。

<太田>
1 基本的考え方

 憲法9条の問題は国内法上の問題であり、国際法上の問題とは性格を異にします。
 憲法は法であり、守られなければならないことは自明であり、しかも守られるべく国家権力によって担保されています。
 それはともかく、「緊急状態は法を破る」という自然法上の大鉄則が存在することは事実です。
 国家存亡に係わるときに活動することを本旨とする自衛隊のために憲法は非常識的な拡大解釈をされてきましたし、実際国家存亡の時がやってくれば、自衛隊はこの拡大された憲法解釈も乗り越えて超法規的に活動することを命じられることになるでしょう。
問題は自衛隊が、平素からかかる超法規的活動ための訓練を行ったり、必要な装備を調達しておくことができないことです。
 さて、北方領土問題は、国家「「緊急状態」にかかわるようなイッシューでは全くありません。
ですから、関係の国際法(条約)の常識的な解釈で日本政府は自らを律して行く必要がありますしそれで十分でしょう。日本のような国際的に影響力の大きい国が、国際法(対日平和条約等)をこのような意味で遵守する姿勢を取らなければ、永久に国際法は法にならず、世界は無秩序のままに推移することになってしまいます。

2 北方領土に関する論議

 「樺太・千島交換条約(Treaty of St Petersburg)・・を法的に・・唯一の根拠と」して(国後・択捉は対日平和条約に言う千島列島に含まれない、よって日本に返還されるべきだ、と主張し)北方領土問題にアプローチしているのは日本政府であって私ではありません。(コラム#603参照)
 だからこそ、同条約の日本政府による解釈を(二つの理由をあげて(コラム#603))覆したLasserre論文が面白いと思って(うち一つの理由に特に着目してコラム#549と602で)援用した次第です。
 しかし、私はこの新解釈を持ち出すまでもなく、日本政府の主張には根拠がないと考えています。
 第一に、千島列島に国後・択捉が含まれることは戦前の日本人にとって常識であったことです(コラム#549、603)。
 第二に、Lasserre論文の中にも出てきますが、日本政府は戦後、一旦ハボマイ・シコタン両島だけの返還をめざすスタンスをとったものの、ソ連を敵視するに至った米国によって(四島返還に切り替えなければ、小笠原・奄美等を返還しないぞ)と恫喝されスタンスを変更した、という経緯があっただけでなく、最初の段階の日ソ交渉の過程でも日本政府のスタンスが二転三転したことです。
 国際司法裁判所の裁判官に任命されるくらいの法律家であれば、第一の点に注目し、だからこそ、第二のような日本政府のスタンスのぶれが出た、と考えて、北方領土問題ではロシア(ソ連)の主張に軍配をあげるでしょう。
 これに加えて、「樺太・千島交換条約」の解釈のどんでんがえしという葵の印籠が出現した、というわけです。
 コラム#549で第二の点に触れず、コラム#602で第一と第二の点にふれなかったのは、スペースの関係と、新たな論点に焦点をしぼりたかったからにほかなりません。

<読者>
北方4島の問題は法律論としてよりも戦略論として捕らえるべきです。
 我々が守らなくてはいけないものは、現在の世界の現状を鑑みて、サンフランシスコ条約です。
 この点では太田さんの論点ははっきりしています。
 よって、千島列島は放棄しました。
 この経緯を詳しく分析して米国を巻き込むことが必要でしょう。
 小宮さんがおっしゃる通り、サンフランシスコ平和会議において吉田茂が「千島列島に北方四島は含まれ ない」と各国代表に注意を促しているのですが、その後の経緯はどうなんでしょうか?
 沖縄との比較で申せば、マッカーサーは琉球を日本人とは認めていませんでした。
 アイヌも少数民族で、同じく認めていません。
 違いは、ソ連の統治と米軍の違いです。
 その後の歴史は皆さんの知るところです。
 返還の唯一のチャンスはハブルラートフ国会議長の訪問のときで、ロシアの混乱期にあったので、彼の言うがままの支払いをしていれば言質が取れたでしょう。
 現状は石油の価格が高騰しており2島返還以外に道はありません。
 よって、先に望みを託すか? それまでは現状維持? プーチンのあとの大統領は交渉する用意はあるのでしょうかねえ?
 それとも2島返還で平和条約を結び、北東アジアに秩序を構築する気運を醸成するか?
 こう考えていくと、鈴木宗男氏は結構上手くやっていたと思われます。彼はロシアと仲良くしすぎたのでああなってしまいましたが・・・

<太田>
>  返還の唯一のチャンスはハブルラートフ国会議長の訪問のときで、ロシアの混乱期にあったので、彼の言うがままの支払いをしていれば言質が取れたでしょう。

 ここのところをもう少し詳しく教えていただけませんか。

>  よって、先に望みを託すか? それまでは現状維持? プーチンのあとの大統領は交渉する用意はあるのでしょうかねえ?
>  それとも2島返還で平和条約を結び、北東アジアに秩序を構築する気運を醸成するか?

 ここは皆さんのご意見をぜひうけたまわりたいですね。

<もう一人の読者>
 太田氏の主張は、千島樺太交換条約の原文解釈から、千島列島に国後・択捉が含まれるかというものである。しかし結論から言えば、原文解釈の問題は日露間で解決済みなのだ。

 それが「日露間領土問題の歴史に関する日本国外務省とロシア連邦外務省の共同作成資料集(日本国外務省・ロシア連邦外務省)」(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPRU/19920900.O1J.html)だ。