太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#0663(2005.3.18)
<分かりにくいレバノン情勢(その4)>

 (前回のコラム#662に「(注3)」を挿入し、#661にもちょっと手を加え、それぞれHP(http://www.ohtan.net)に再掲載してあります。)

 あらかじめお断りしておくべきでしたが、このシリーズでは、親シリア、反シリア、という言葉は、文字通りの意味ではなく、シリア軍等の撤退に賛成であるか、反対であるか、という限定的な意味で用いていることをお忘れなく。
 ハリリ暗殺事件の結果起こった最大の変化は、シリア軍等の撤退に賛成、という意味で反シリアである人がレバノン住民の間で一挙に増えた、ということなのです。

 (4)レバノンの自由・民主主義化
  ア 自主政府の樹立
 現在のレバノン政府は、大統領(マロン派)も、それに一旦辞任して再び大統領によって首相に指名された人物(スンニ派)も含め、行政府全体がシリアの傀儡であり、立法府の長たる議長(シーア派)にもシリアの意向で、(シーア派の最大のグループであるヒズボラではなく、)シリアに忠実なアマル(Amal)(注4)の代表が就いています(http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4348129.stm。3月17日アクセス)。

 (注4)1975年に創設されたシーア派団体。かつて民兵を保有し、1982年に創設されたもう一つのシーア派団体たるヒズボラの民兵組織との間で協調と抗争を繰り返してきた。アマルは腐敗していてシーア派住民の間で人気がなく、ヒズボラが創設されてからは、勢力的にヒズボラのはるか後塵を拝して現在に至っている。(http://countrystudies.us/lebanon/88.htm。3月17日アクセス)
     ちなみに、アマルもヒズボラも、それぞれパレスティナ難民のレバノン定着化に反対しつつ、PLOと協調と抗争(武力抗争を含む)を繰り返してきた(http://www.meib.org/articles/0202_l1.htm。3月17日アクセス)。

 現時点で反シリアの政治家達は、首相指名者からの入閣要請を拒否しており、5月に予定されている議会総選挙までに彼らを取り込んだ選挙管理内閣が編成できるかどうかが、レバノンの自由・民主主義化の第一の関門です。そして議会総選挙後、行政・立法の両権にわたって、シリアの傀儡でない自主政府が樹立できるかどうかが、次の第二の関門です。

  イ ヒズボラの武装解除
 レバノン自主政府の樹立のほか、ヒズボラの民兵の武装解除ができるかどうか(これは安保理決議にも謳われている)もレバノンの自由・民主主義化の大きな関門です。
 ブッシュ米大統領は、15日、これまでテロリスト団体と名指ししてきたヒズボラに向かって、武装解除するとともに、レバノンの政治過程に全面的に参加するよう呼びかけました(注5)。これは米国のこれまでの政策の転換だと評価されています。(http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-hezbollah16mar16,1,6318337,print.story?coll=la-headlines-world。3月17日アクセス)

 (注5)EUは米国やイスラエルと違って、これまでヒズボラをテロリスト団体と名指しすることを避けてきた。ちなみに、ヒズボラの民兵の規模は2万人にのぼる。また、ヒズボラはレバノン議会で総議席128議席中12議席を占めている。(議席数についてはhttp://www.lebanonembassyus.org/country_lebanon/parlam.html(3月17日アクセス)による。以下同じ。)

ヒズボラはただちにこの呼びかけを拒否しました(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A41627-2005Mar16?language=printer。3月17日アクセス)。
しかし、ヒズボラがイスラエルのレバノン撤退後も、イスラエルに対するゲリラ攻撃を細々とではあるけれども続けてきたのは、1967年にイスラエルが占領したゴラン高原をシリアが「奪還」するための代理戦争としての側面が強く、そのシリアがレバノンを去ることになった以上、ヒズボラが武装解除に応じる可能性はある、と考えたいところです。
また、かねてからヒズボラはレバノンの政治に大きな影響力を持つことに対しシリアから掣肘を加えられてきた(注6)こともあり、レバノンの政治過程への全面的参加は、むしろヒズボラにとって望むところであるはずです。
 (以上、http://www.meib.org/articles/0007_l2.htm(3月17日アクセス)やhttp://www.meib.org/articles/0202_l1.htm前掲、も参考にした。)

 (注6)ヒズボラがシーア派に割り当てられた25議席中12議席しか占めていないのは、ヒズボラより更にシリアに忠実なアマルに、議席を譲らされているからだ。

  ウ 国家協約の修正
 最終的には、国家協約抜きの自由・民主主義をレバノンで確立しなければならないわけですが、いまだ親イラク勢力と反イラク勢力の間に大きな亀裂がある以上、中期的には国家協約による権力配分スキームを維持せざるをえません。
 ただし、各派の人口の相対的変化を踏まえて、国家協約の内容に大改訂を施す必要があります。
 例えば、大統領の権限を縮小しつつマロン派に引き続き大統領を割り当て、権限を拡大した首相にはスンニ派に代わってシーア派を当て、議会議長にはシーア派に代わってスンニ派を当てることが考えられます。
 議会の議席の配分も、かつてのキリスト教徒6対イスラム教徒5が、タイフ協定で1対1に改訂されたところですが、再度、大幅にイスラム教徒の割合を増やす形で改訂されることになります。
 (以上、http://www.danielpipes.org/article/1590前掲、を参考にした。)

 (5)シリアの自由・民主主義化
ハフェズ・アサドが亡くなってその息子のバシャール・アサドがその後を襲ったシリアは、偉大な頭目を失ったマフィアをできそこないの息子が跡目相続したようなものだ、とこきおろす人もいます(http://www.guardian.co.uk/syria/story/0,13031,1436096,00.html。3月12日アクセス)。
 しかし、私はかねてより、バシャールは、マフィアを堅気に善導すべく苦心惨憺している、と考えてきました(コラム#97、488)。
 ですから私は、バシャールは、父が保護国化したレバノンからの離脱についても腐心してきた、と見ており(コラム#488)、今回、安保理決議とそれ以降のレバノン情勢の進展に伴い、シリア国内の「マフィア」からの妨害に遭うことなくレバノンから完全撤退する運びとなったことで、肩の荷を下ろしたような気持ちでいるであろうと推察しています。
 レバノンからの完全撤退は、「マフィア」の経済利権の大幅縮小にもつながるものであり、バシャールのシリアでの権力掌握度は上がることでしょう。
 後は、かねてからバシャールが打ってきたシリアの自由・民主主義化への布石と、かつての保護国レバノンの自由・民主主義化の進展がシリア国民世論に及ぼす影響とがあいまって、シリアの自由・民主主義化も大いに促進されるであろう、と私は確信しているのです。

(完)

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/