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太田述正コラム#7252005.5.17

<戦略的要衝ウズベキスタン(その1)>

1 始めに

 ウズベキスタンの東部のフェルガナ盆地の都市アンディジャン(Andijan/Andijon)における刑務所襲撃に端を発した騒動を、13日に政府の治安部隊が銃を乱射して鎮圧し、500名もの死者が出たかと思ったら、16日にはその近傍の町で更に200名の死者が出た、と報じられています。

 政府の鎮圧行動で700名の死者、というのは、アジアでは1989年の中国での天安門事件以来の大事件ということになります。

 (以上、http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,1485270,00.html(5月17日アクセス)による。)

 語弊を恐れずに言えば、ウズベキスタンは、サハラ以南のアフリカのどこかの国とは比較にならないくらい、アングロサクソンの立場からすると戦略的に重要な国であるだけに、われわれとしても、上記事件の成り行きに注目せざるをえません。

2 ウズベキスタンの重要性

 まず、ウズベキスタンの重要性を押さえておきましょう。

ウズベキスタンは、旧ソ連の中央アジア諸国の中で一番人口の多い国です(注1)。

(1)カザフスタン1491万人、キルギスタン505万人、タジキスタン631万人、トルクメニスタン486万人、ウズベキスタン2560万人。ちなみに、アフガニスタンは2877万人。(Military Balance 2004/2005 PP313?315

 しかも、ウズベキスタンは旧ソ連の中央アジア諸国の真ん中に位置し、かつてのシルクロード沿いのブハラ(Buxoro/Bukhoro)・サマルカンド(Samarqand)・タシケント(Tashkent/Toshkent。現首都)という有名な都市を擁する、東西南北の交通の要衝です。

 だから、かつて英国とロシアがユーラシア大陸の覇権争い(Great Game。コラム#100)をした際、アフガニスタンとその北隣のウズベキスタン・・19世紀においては現在のウズベキスタン領の一部を占めていたブハラ汗国(Bukhara Khanate)・・はその焦点となりました(注2http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4550065.stm。5月16日アクセス)

 (2)英国は1838年にブハラ汗国に一人の中佐を送り込み、太守(Emir Nazrullah Khan)にキリスト教徒の奴隷を解放するよう働きかける。ロシアがこのことを口実にブハラ汗国に支配の手を伸ばすことを恐れてのことだった。ところが、太守はこの中佐を投獄します。そこで、英国は今度は、Great Game という言葉を初めて用いた人物とされるコノリー(Arthur Conolly)大尉を投獄された中佐を釈放させるために送り込むのだが、彼も投獄されてしまい、結局二人とも首をはねられてしまった、というエピソードがある。

 今でも、ウズベキスタンのこのような地政学的重要性には変化はありません。すぐ東には勃興しつつある中国が控えているのですから、地政学的重要性は更に増している、と言って良いでしょう。

 しかも、19世紀にはなかった重要性が中央アジアに生じています。

 第一に、コーカサスから中央アジアにかけての一帯が、中東に次ぐ石油と天然ガスの埋蔵・産出地域になったことです。

 ウズベキスタン自身、天然ガスを産出しており、ウズベキスタン等からアフガニスタンを通ってパキスタンの港に至る天然ガスパイプラインの敷設を、複数の米国企業が請け負う契約が今春成立したところです。

 もう一つあります。

 2001年の同時多発テロ以降、米国はアフガニスタンのタリバン政権を打倒し残党狩りをするとともに、アフガニスタンを本拠としていたアルカーイダを壊滅させるため、中央アジアに軍事基地が必要になり、ウズベキスタンにも空軍基地を確保し、現在に至っています。

 つまり、対テロ戦争の観点からも、ウズベキスタンは米国にとって重要となっているわけです。

 (以上、http://www.guardian.co.uk/comment/story/0,3604,1484631,00.html(5月17日アクセス)による。)

(続く)

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