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太田述正コラム#827(2005.8.18)

<郵政解散の意味(その1)>

1 始めに

8月8日午後の参議院本会議で郵政民営化法案が否決されたのを受け、小泉首相は衆院を解散し、総選挙が、30日公示、9月11日投票で行われることになりました。

 この郵政解散の意味をわれわれはどう考えたらよいのでしょうか。

2 郵政解散の意味

 (1)明治維新以来の日本の歩み

 縄文モードと弥生モードという私のパラダイムを用いて明治以来の日本の歩みを振り返ってみると、明治維新は日本が、英国化という目標を掲げて意識的に江戸期の縄文モードを弥生モードへと切り替える試みであったと言えるでしょう。

 その頂点は大正時代であり、日本の政治は(男子)普通選挙に立脚した英国的二大政党政治となり、日本の経済はイングリッシュ・ウェイ・オブ・ライフである資本主義に近似した、株主主権的にして投機的的な資本主義が機能するに至っていました。

 弥生モードが行き着くところまで行けば、何もなくても縄文モードに回帰し、新たな国風文化を確立しようとする動きが出てくるのが日本の常です。

 しかも、ちょうどその頃、資本主義の全般的危機が叫ばれるようになり、日本周辺にはファシスト勢力や共産主義勢力が勃興し、その上英国に代わって世界の覇権国になりつつあった米国が日本敵視政策をとるようになったのですから、日本の政治も経済も変調をきたし、日本は否応なしに縄文モードへの回帰を迫られた、といってもいいでしょう。

 こうして日本型政治・経済体制の構築が、当時の(軍事官僚を含む)官僚の主導で意識的に行われることになり、日本の政治は安定し、経済も再び力強い成長を始めます。

 日本の縄文モード化は、先の大戦における敗戦によって日本が占領され、日本が他律的に鎖国状態に置かれることよって完成します。そして、世界史上他に例を見ないことですが、日本の戦後の政財官のエリート達は、日本の経済の再建と高度成長に専念するねらいから、「主権」回復後も日本は憲法第9条に象徴される吉田ドクトリンを墨守し、自ら「主権」に制約を加え続けることによって事実上占領状態を継続させ、米国の保護国であり続ける道を選ぶのです(注1)(注2)。

 (注1)以上は、以前から(コラム#154、155や226で)何度か指摘してきたところだ。「縄文モード」、「弥生モード」の定義はここでは繰り返さ   ない。

 (注2)日本の近現代史における、弥生モード化の成功の象徴が日露戦争における日本の勝利であり、それに引き続く縄文モードへの回帰の成功の象徴が日本の経済大国化だ。前者の衝撃が欧米の植民地の独立をもたらし、後者の衝撃が欧米の旧植民地のうちのアジア諸国の経済的離陸・高度成長をもたらしたことに日本人はもっと誇りを持ってよい。日本の日露戦争勝利と経済大国化の衝撃については、シンガポールを代表する知識人である(インド系の)マーブバニ(Kishore Mahbubani)も力説するところだ(http://www.time.com/time/asia/2005/journey/introduction.html。8月11日アクセス)。

 (2)郵政解散の意味

この間、日本の宗主国米国は、世界の覇権国として、自らの市場を世界に開放するとともに、世界の市場における障壁の解消に努め、この開放的な秩序を維持するために軍事力を整備し、行使してきました(注3)。

(注3)これは、未成熟な覇権国であった米国が世界の政治と経済を混乱に陥れた結果、先の大戦という人類にとっての未曾有の惨禍を引き起こしてしまったことへの当然の償いであった、と総括することができよう。

しかし、日本が世界第二の経済大国になった頃から、米国は、日本に自立を促し、応分の国際貢献を行うように強く求めるようになります。

 ところが、日本は言うことを聞きません。

このような日本に業を煮やした米国が、日本が米国の保護国であり続けようとしていることを逆手にとって、占領下で徹底できなかった日本の国内体制の米国化を徹底的に行うことによって、日本の経済力が米国を脅かすようなことにならないように掣肘を加えるとともに、日本の経済力を米国の利益のために活用しよう、と考えるに至ったのはごく自然なことでした(注4)。

(注4)日本の「主権」回復以降も、米国のお眼鏡にかなわない人物は日本の首相にはなれなかったし、日本政府は米国の意向に添わない政策は実行できなかった(http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050811_kaigai/。8月17日アクセス)。保護国とはそういうものだ。

 そして、いかにも米国らしいことですが、1994年からは、かかる観点からの米国の対日要求が毎年公開されるようになっています(関岡英之「拒否できない日本―アメリカの日本改造が進んでいる」文春新書2004年52?55頁)。

 それ以前においても基本的に同じなのですが、特に日本のバブル崩壊以降、小泉政権を含む歴代の自民党政権が行ってきた「改革」なるものは、ことごとく米国の要求によるものだ、と言ってもいいでしょう。

 つまりは、日本の(米国化という)弥生モードへの切り替えが、まことに不甲斐ないことに、日本の歴史上初めて、日本の主体的意思によってではなく、他国の意思によって、他国の利益のために行われつつあるのです。

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