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太田述正コラム#8792005.9.26

<先の大戦万華鏡(その3)>

 これが人種差別の産物であることについて、たまたま同じ場所で、同じ頃に、しかも一部同じ判事メンバーで行われた二つの軍法会議・・ただし一方の被告は黒人Kでもう一方の被告は白人H・・に、通訳として臨んだフランス人作家の証言があります。

 この作家は、随分時間が経ってから、登場人物の名前を変えてこの話を小説として発表したのですが、このたび、米国の女性の歴史家カプラン(Alice Kaplan)が、この小説が取り上げた歴史的事実を掘り起こし、本(The Interpreter)にしました。そのさわりの部分は以下のとおりです。

 Kは補給部隊の一兵卒に過ぎなかったが、Hはエリート部隊の大尉であり、ノルマンディー上陸作戦の英雄の一人だった。

 Kは、同僚達としこたま酒を飲んでから「誰かとやってくる(=強姦してくる)」と言い残して近所の村に出かけ、あるフランス人の家で中に入れてもらえなかったので、ドアめがけて銃を撃ったところ、中にいた家の主人とその夫人にあたってその主人を殺し、夫人を負傷させてしまった。その上、Kはこの夫人とことに及んだ。

Kは黙秘を貫いたが、状況から見て、彼が誰かに弾が当たるとは思っていなかったことは明らかだった。

 Kの検事に指名された将校は有能で経験豊富だったが、弁護人に指名された将校は刑事司法に関しては全く無能で未熟な人物だった。

 Kは軍法会議が始まった翌日に有罪判決を受け、この頃軍法会議は一審制だったので判決は確定し、二ヶ月後に公開で絞首刑に処せられた。

 Hは、米軍将校が大勢いたバーで徹夜で酒を飲んでいて、たまたま一緒になった、フランス人のレジスタンスのエリート闘士で特殊部隊の落下傘降下兵であった人物と口論になり、この人物がドイツのスパイだという、たまたま耳にした根拠のないうわさ話を本当だと思いこんでいたこともあり、バーの外でこの人物を射殺した。

Hは一貫して、これは正当防衛だったし、スパイの疑いのある者を射殺したという点でも正当な行為だったと主張した。

 有能で経験豊富な将校がHの弁護人に指名された。

 Hは軍法会議が始まった翌々日に無罪放免となったばかりか、その日のうちに、Hを裁いた軍法会議の判事メンバーは、Hと将校クラブで食卓を囲んだ。

 カプランは、パットン米第三軍団司令官はもちろん善意であのような布告を出したのだし、第三軍団の軍法会議の判事メンバー達も検事も弁護人もことごとく自分達はいいことをしていると思いこみ、大真面目に仕事に取り組んだのだけれど、当時の米国が黒人差別社会であったため、必然的に無惨な正義にもとる結果がもたらされてしまった、と指摘しています。

4 アングロサクソンにとっても正義の戦いではなかった先の大戦

 (1)始めに

 先の大戦が、少なくとも日本の立場からからすれば、決してアングロサクソンにとって正義の戦いでなかったことについては、これまで行く度となく申し上げてきたところです(コラムの引用は略す)。

 興味深いことに最近、先の大戦がアングロサクソンにとって必ずしも正義の戦いではなかったという主張が堂々と英国で行われるようになりました。

 その旗手は、オックスフォード大歴史学講師のドレイトン(Richard Drayton)(注5)です。

 彼の言っていることを簡単にご紹介しましょう。

(以下、特に断っていない限りhttp://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1480252,00.html(5月11日アクセス)、及びhttp://www.deanesmay.com/posts/1116018240.shtml(9月25日アクセス)による。)

 (注5)ドレイトンは、大英帝国の暗黒面を抉り出していることでも知られる。いずれ、その話もするつもりだ。

 (2)ドレイトンの主張

ア 戦争犯罪を犯したのはお互いさま

 先の大戦が終わった直後の1945年9月に米タイム誌は、「米軍も英軍も掠奪と強姦を行った。・・米軍もまた強姦者達の軍隊と呼んでしかるべきだ」と書いたが、これは例外中の例外であり、われわれは、そんなことはなかったような顔をして、敵方のドイツが行ったホロコーストや、先の大戦では味方側だったソ連軍が犯した強姦などだけを問題にしてきた。

 2001年には、1942年から45年にかけて欧州戦域で米軍兵士が行った強姦が少なくとも1万件以上に達すること等を記した本が米国で出版されるはずだったが、9.11同時多発テロが起こったことを幸いに(?)出版が自粛され、結局仏訳版だけが出ている。

 ドイツのドレスデンへの戦略爆撃は、軍事的意味のない、一般市民に対してなされた残虐行為だった(コラム#423831)。

 また、日本による捕虜虐待についてはよく知られているが、われわれが日本兵等に対して行った虐待については忘れてしまっている。

 ある米国人従軍記者は、1946年に、「われわれは<日本兵の>捕虜を冷血にも射殺したり、野戦病院で皆殺しにしたり、救命ボートを機銃掃射したり、<日本人の>一般市民を殺したり虐待したり、負傷している敵にトドメを刺したり、まだ生きている者を死んだ者と一緒に穴に投げ込んだり、太平洋では敵の頭を煮て肉を落としてテーブル飾りをつくったりした」と書いている。

(続く)

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