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太田述正コラム#8882005.10.3

<中共に変化の兆し?(続)(その6)>

 ウ 党中央の守旧派との抗争

中共の現実質ナンバー2である、党政治局常任委員会(Politburo Standing Committee)委員にして国家副主席の曽慶紅(Zeng Qinghong1939年?)は、上海市党委員会副書記時代に上海市長だった江沢民に認められ、江沢民が党総書記になると北京に呼び寄せられ、江の右腕として頭角を現します。1993年には楊尚昆Yang Shangkun1903?98年)を国家主席から引きずり降ろして江沢民の国家主席就任を実現させ、また北京市長の陳希同を汚職事件を暴いて失脚させ、「殺し屋」と恐れられた人物です。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E6%85%B6%E7%B4%8510月2日アクセス)

江沢民は、国家主席を退いた後、中国共産党の最高権力機関である政治局常務委員9人のうち、この曽慶紅を始めとする江沢民系が5?6人も占めているところ、トウ小平に倣って党軍事委員会主席の地位に長くとどまり、曽慶紅を通じて胡錦涛政権に対して院政を敷くつもりでいたようです。

ところが、曽慶紅は胡錦涛政権側に寝返った、と噂されています。

曽は昨年9月に、江沢民に対し、形式的に党軍事委員会主席の辞表を出せば、江沢民系が多数を占める政治局でその辞表が却下され、江沢民の権威が一層増大する、ともちかけたというのです。この話に乗った江沢民が辞表を実際に出すと、曽はまず軍部に辞表を回覧して江沢民辞任を既成事実化した上で党政治局に話つないだ結果、政治局で辞表は受理され、江は完全に権力を失うに至った、というのです。

これを知った江は怒り、涙を流してくやしがったとされています。

最近の胡錦涛政権の一見矛盾するようなアクセルとブレーキを一緒に踏む政策について、NYタイムスは、胡錦涛と曽慶紅の合作である、と指摘しています。

この記事はまた、今年5月、胡錦涛と曽慶紅は、政治局常務委員らを集めた党の会合で、米国が陰で糸を引いてウクライナ・グルジア・キルギスタンの三国において体制変革が行われたことに注意を喚起し、爾来二人は、自由・民主主義化にブレーキをかけることに比重をかけたスタンスに転じた、とも指摘しています。

(以上、http://www.nytimes.com/2005/09/25/international/asia/25jintao.html?ei=5094&en=27e1c4a351301adc&hp=&ex=1127620800&partner=homepage&pagewanted=print(9月25日アクセス)による。)

このNYタイムス記事は、江沢民追い落としは単なる権力争いであって、胡錦涛と曽慶紅の結びつきはは権力を分かち合うための野合に他ならず、二人は自分達の掌握した権力を維持するために自由・民主主義化に逆行する政策を打ち出した、という見方をしていますが、私の考えは少々異なります。

 私は、胡錦涛政権は、守旧派の頭目である江沢民こそ完全引退に追い込んだものの、江沢民系の勢力が党中央でなお半分を占めていることから、上記三国における体制変革もこれあり、自由・民主主義化に対してブレーキをきかしていることを強調するという、守旧派目くらまし戦法をとらざるをえなくなったのではないか、と見ているのです。

エ 党地方組織の守旧派との抗争

 同じことが、胡錦涛政権と党地方組織との間でも言えそうです。

 江沢民政権下では、党中央宣伝部が中共の全メディアに対し、規制を強化しましたが、胡錦涛政権(200211月胡錦涛党総書記就任、翌2003年3月胡錦涛国家主席就任)は、メディア規制を緩和します。

 ところが、半年も経つと、党地方組織から、腐敗報道等がかくも盛んにメディアでなされては、秩序を維持するのが困難になってしまう、とのクレームが山のように寄せられ、胡錦涛政権はいまだ党地方組織を十分掌握するに至っていないこともあり、政策の軌道修正を余儀なくされた、というのです。

 (以上、http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,1578133,00.html(9月26日アクセス)による。)

 このような党中央の党地方組織に対する及び腰の姿勢は、Chen Guangcheng拘束事件への対応一つ見ても分かります。

 Chen Guangchengは、34歳の盲目の農民ですが、山東省臨沂(Linyi。人口1000万人)市の市政府が、本年3月、子供が既に二人いる両親に不妊手術を受けさせ、三人目の子供を身ごもっている妊婦は中絶させる方針を決定した上、逃亡した場合は、戻って手術を受けるまで、彼らの親族を拘束することまで始めたことに対し、市政府を被告とする集団訴訟を起こす準備を始めました。

 8月末にこの話がワシントンポストに掲載されたのですが、中央政府(党中央)は、既に1990年代半ばに、一人っ子政策の物理的強制はやめて、罰金と経済的メリットの付与という穏健な方法へと切り替えていたことから、市政府のやっていることは違法であるとし、Chenらを支持する意向を示しました。

 ところが9月初めに、臨沂市政府は、訴訟準備や中央政府関係者・シンパの法学者・海外メディア等との面会のために北京に赴いていたChenを拉致して市に連れて帰り、殴打した上で、何の説明もなくChenの自宅に軟禁し、100名以上の警官を配置し、Chenを誰にも会わせず、電話線も切ったのです。

 これに対し、中央政府の関係部局は文書で声明を発表し、市政府が人口計画の遂行にあたって法を遵守するよう呼びかけるとともに、臨沂市の件について調査中であることを明らかにしました。

 しかし、本件について、中共では国営の英字新聞一紙だけしか報じていません。

(以上、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/06/AR2005090600921_pf.html(9月5日アクセス)、及びhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/09/AR2005090901998_pf.html(9月11日アクセス)による。)

(続く)

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