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太田述正コラム#9032005.10.11

<六カ国協議の「進展」をめぐって(その7)

 (前回コラムで、ブッシュ演説の日付を誤記していました。正しくは10月4日です。HP・ブログ訂正済み。)

 米ブッシュ政権が、具体的にいかなる対シリア軍事攻撃を考えているかが、9日付の英ファイナンシャル・タイムスの記事でおぼろげながら分かってきました。

 この記事によれば、イラクから国境を越えてシリア領内のイラク不穏分子ないしイラク不穏分子志向者の中継・訓練基地を叩き(注14)、このショックによって併せてバシャール・アサド大統領の失脚・・シリアの体制変革(regime change)ならぬ態勢変革(behaviour change)・・を図る、というのです。

 (注14)マクナマラが、事実上ベトナム戦争に嫌気が差して国防長官を辞任して世銀総裁に転じて(コラム#213)からちょうど一年経った1969年2月、1月に大統領に就任したばかりのニクソンは、秘密裏にカンボジャ内の北ベトナム/ベトコンの聖域(中継・補給基地)の空爆を開始し、翌1970年4月末から5月初めにかけて、南ベトナム軍、次いで米軍の地上部隊をしてこの聖域を攻撃させた(http://www.rotten.com/library/history/war/vietnam/1010日アクセス)、という史実が思い起こされる。

 

また、既にハドレー(Stephen Hadley米大統領安全保障担当補佐官は、米国内の関係省庁や諸外国と、バシャール・アサドに代わってイラクの大統領には誰が適当か、調整を始めており、軍人がいいのではないかという議論が出ている、というのです。

 9日には米国務省高官のウェルチ(David Welch)がエジプトのムバラク大統領に会っており、会見後の記者会見で、ウェルチはシリアを非難しましたが、この会談の場で、米国がエジプトに対し、軍事作戦の事実上の事前通知を行ったという可能性も考えられます(注15)。

(以上、http://www.sankei.co.jp/news/051010/kok033.htm1010日アクセス)、及びhttp://news.ft.com/cms/s/42ea38dc-38ea-11da-900a-00000e2511c8.html1010日アクセス)による。)

 (注15)もっとも、10日発売の米ニューズウィーク誌は、10月1日に開催された米国の首脳レベルの会議で、ライス米国務長官が、対シリア軍事攻撃推進派の説得に成功した、と報じている。

 (7)追補:イランとイラク・シーア派をめぐる動向

  ア 始めに

イラクのバスラにおける、英軍とシーア派民兵との確執や、シーア派民兵とイランのつながりの話は唐突な印象を与えたかもしれません。

 この際、補足しておくことにしましょう。

  イ イランとイラク・シーア派

 昨年夏の段階では、イラクではシーア派が多数を占めているとは言っても、イラクのシーア派は、かつてシーア派の学術の中心だったイラクの地位をイランが簒奪したことを快く思っておらず、イランがへたにイラクに手を出せば、イラクのシーア派から強い反発を招くであろうことから、イラクがイランの影響下に置かれるようなことは考えにくい、と見られていました(http://www.csmonitor.com/2004/0921/dailyUpdate.html?s=ent22004年9月22日アクセス)。

 しかし、今年の中頃になると、シーア派の多いイラク南部が、シスタニ師(Grand Ayatollah Ali Sistani)の最高指導の下で、女性が顔と身体を隠さないと外出できなくなった等(注16)、シーア派の宗政国家化(Islamic theocracy)しつつあること、つまりはイラク南部がイランと瓜二つになりつつあること、が憂慮されるようになります。

 (注16)イラク第二の大都市であるバスラでは、イラク全体では週末は金土なのに、土曜日はユダヤ教の休日だというので、木金が週末とされてしまったし、酒屋やCD販売店が姿を消しつつある。

 

 そして、バスラで4月から6月にかけて1,000人ものスンニ派住民が殺されたところ、これはイランの諜報員が目星をつけた人間を、イランの息の掛かったシーア派諸政党の殺し屋に殺させているのだ、という噂が立ち始めます。

(以上、http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-scheer28jun28,0,1779113,print.column?coll=la-news-comment-opinions(6月29日アクセス)、http://www.nytimes.com/2005/07/07/international/middleeast/07shiites.html?pagewanted=print(7月8日アクセス)、及びhttp://www.csmonitor.com/2005/0713/p01s01-wome.html(7月13日アクセス)による。)

そして今度は、7月17日のイラクのジャファリ首相の(米国にとって仇敵の)イラン訪問です。

 その時、イラク・イラン両国は、両国国境にまたがる石油パイプラインの設置、共同での安全保障提案、諜報情報の共有、等の協力を行うことを合意した、という共同声明が発出されました。

 それだけではありません。10年間もイランで亡命生活を送ったことがあるジャファリは、ホメイニ(Ayatollah Ruhollah Khomeini)廟を表敬訪問したばかりか、イラン・イラク戦争について、イラン側に謝罪したのです。

 米国は、せっかくイラクでフセイン政権を倒して態勢変革を行ったと思ったのに、結果としてイラン・イラク「同盟」をもたらしてしまった、と臍をかんだに違いありません。

 (以上、http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-scheer19jul19,0,599463,print.column?coll=la-news-comment-opinions(7月20日アクセス)による。)

(続く)

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