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太田述正コラム#9532005.11.18

<フランスにおける暴動(その5)>

6 残された最大の問題

 (1)予想されていた暴動の発生

 振り返ってみれば、フランスで移民の青年達による暴動が起こり、その結果として、フランス政府が、差別解消に向けてアファーマティブアクションを含む抜本的諸対策を打ち出すことになる、などということは、前から予想されていたことでした。

 デトロイト出身の黒人で、今年5月までワシントンポストのパリ特派員をしていたリッチバーグ(Keith Richburg)がそう指摘しています。

 彼は1年以上も前に、ウェッブ上で、フランスでの移民暴動勃発は必至、と書いたといいます。(内容が内容だけにワシントンポストそのものには、掲載されなかったということでしょう。)

 彼は、1960年代の米国の、デトロイト等における黒人差別状況、そこで吹き荒れた黒人暴動、そしてその後ジョンソン政権が打ち出した黒人差別に向けてのアファーマティブアクションを含む抜本的対策、の経験に照らし、フランスでの移民差別の状況が、当時の米国と瓜二つなので、そう書いたのだそうです。

 ところが、傲岸不遜なフランスのエリート達は、米国で黒人暴動は起こっても、フランスで移民暴動は起こらない、と思いこんでいたわけです。

(以上、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/11/11/AR2005111102277_pf.html1117日アクセス)による。)

(2)マルセイユに追いつこうとしているフランス

 ところで、米国やフランスではこの種暴動が起こっても、フランス以外の西欧諸国や英国ではどうして起こらなかった・・より正確に言えば、こんな大きな暴動は起こらなかった・・のでしょうか。

 私は、将来とも起きない可能性が高いと思っています。

 その理由は、マルセイユ(Marseille)が物語っています。

人口80万人でその四分の一は(北アフリカ・サハラ以南アフリカ系の)移民であるマルセイユでは今回、たった一回、35台の車が燃やされただけで、後は何も起こりませんでした。

ほかの都市と同じように、荒廃した移民街があり、高圧的な警察が移民を取り締まっているというのに・・。

なぜか?

移民が貧乏で失業率が高いために移民街が荒廃することも、また、国家警察たる警察が高圧的に移民を取り締まることも、マルセイユ限りではどうしようもないけれど、その他の点が、フランスの他の都市とは大きく異なっているからです。

まず、マルセイユが、北アフリカ・サハラ以南アフリカ系の移民こそ四分の一ですが、それ以外の「移民」が溢れている都市であることです。フランスの他の都市同様、北アフリカ・サハラ以南アフリカ系の移民の歴史は50年しかありませんが、マルセイユの移民の歴史は100年以上に及び、イタリア人・ギリシャ人・アルメニア人・スペイン人・ユダヤ人・植民地引き揚げのフランス人、そして支那人が住んでいるのです。だから、ここでは、「フランス」と(北アフリカ・サハラ以南アフリカ系の)移民の対峙はなく、必ずしも絶対多数ではない「フランス」人が、様々な「移民」と同格の形で共存している、ということです(注5)。

(注5)このあたりの雰囲気は、小学生時代に、ナセルの「民族浄化」政策がとられる前のカイロの、しかも外国人居住区に住んでいた私にはよく分かる。要するに、マルセイユは、地中海地方に多数見られる、多人種・多民族都市の一つだ、ということだ。

もう一つは、マルセイユが、フランスどころか古代ローマよりも古い、2,600年以上の歴史を誇る都市であることです。ですから、マルセイユには、パリなにするものぞ、という気概があり、パリのいわゆる共和国原理・・市民はみな平等であって、移民なるものは存在しない、という考え方・・を認めていない、ということです(注6)。北アフリカ・サハラ以南アフリカ系移民であろうが、その他の「移民」であろうが、移民としてのアイデンティティーを持ち続け、それをみんなが互いに認め合うことは当然だ、というわけです。つまり、巧まずしてマルセイユは、英国の多文化主義を実践してきた都市なのです。

(以上、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/11/15/AR2005111501418_pf.html1117日アクセス)による。)

(注6)マルセイユは、ローマ帝国領時代にも、反ローマ的であったことで知られ、歴代のローマ皇帝は、うるさい執政官(consul)を一種の流刑としてマルセイユ駐在ローマ総督に任命したという。

 フランスは、マルセイユに追いつくべく、全力を挙げることでしょう。

 (3)残された最大の問題

残された最大の問題は、フランスの一般大衆が公然と、そしてフランスのエリートが内心、移民に対して抱いている差別感情には根拠がある、ということです。

換言すれば、移民の貧困と失業には根本的原因があるのであって、米国で1960年代以降にとられてきたアファーマティブアクションを含む抜本的な差別対策が、黒人の貧困と失業の根本的原因を解消できなかったように、(マルセイユを含む)フランスでも移民の貧困と失業の根本的原因は解消できないだろうということです。

アファーマティブアクション等の結果、米国で高等教育を受ける黒人が増えたり、警官中の黒人の割合が増えたり、TVのキャスターに黒人が増えたりしたことと同様、フランスでも、「黒人」を「移民」に読み替えれば、全く同じことが実現することでしょうが、平均的な黒人の境遇が改善されなかったのと同様、フランスでも平均的な移民の境遇は改善されないであろう、ということです。

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