太田述正コラム#9712005.11.27

<サッチャー首相のエピソード>

1 初めに

 以前(コラム#334335で)サッチャー時代の英国を回顧したことがあります。

 その時は、少し英国について、悲観的に見過ぎており、「欧州における歴史的瞬間」シリーズ(コラム#784786?791793794)で、楽観論に軌道修正させていただきました。

 さて、戦後の英国について、「大変な重荷で<あったけれど>・・英国<が>・・身の丈以上の対外政策遂行能力を持ち続けた」と(コラム#335で)指摘したことがありますが、この対外政策遂行能力を背景に、最も見事に対外政策を遂行した戦後の英国の首相がサッチャーでした。

 最近明らかになったエピソードを二つご紹介しましょう。

2 フォークランド戦争

 今月末に上梓されるミッテラン(François Mitterrand1916?96年)仏元大統領に関する本の中で、ミッテランがサッチャーの思い出を語る場面が出てきます。

 ミッテランは、かねがねサッチャーについて、「カリグラ(Caligula。ローマの暴虐な皇帝)の眼とマリリン・モンローの口を持っている」と評していたというのですが、1982年のフォークランド戦争の時のこと、アルゼンチンのシュペルエタンダール(Super-Etendard戦闘機から発射されたエグゾセ・ミサイルによって英国の駆逐艦シェフィールドが火災を起こし、撃沈されてしまうという事件があった後、サッチャーはミッテランに向かって、「(ミサイルも戦闘機も)全部フランス製じゃないの」と大声を上げ、エグゾセを無能力化する秘密コードを渡すように迫ったというのです。そして、渡さないのなら、南大西洋に派遣済みの4隻の原子力潜水艦からアルゼンチンを核攻撃する、と脅したというのです。怒り狂って島国的発作を起こしたじゃじゃ馬のイギリス人女め、殆ど羊しか住んでいない寒冷地帯のいくつかの島のために核戦争をやらかすなどとよく言うよ、とは思いつつも、ミッテランは抵抗を諦め、コードを引き渡した、というのです。

 ミッテランは、よほどその時のことが悔しかったのか、その代わり、その後サッチャーに、ナポレオン3世以来のフランスの悲願を飲ませた、としばしば胸を張ったといいます。「どうやってやったかって?サッチャーの小商店主(shopkeeper)的精神をくすぐったのだ。英国政府は一銭も出す必要はないよって言ってね」と。

(以上、http://books.guardian.co.uk/news/articles/0,6109,1647764,00.html1123日アクセス)による。)

3 東西ドイツ統合

つい最近、ドイツの前首相ならぬ元首相になったばかりのコール(Helmut Kohl)は、今月上梓した回顧録の中で、サッチャーの思い出に触れています。

コールは、サッチャーについて、「高い知性を持ち、情熱的で、力をちらつかせることを躊躇しないので、敵に回すと極めて不愉快な人物だった。彼女に抱いた敵意は翌日まで持ち越すのが常だった」と前置きした上で、東西ドイツ統一の頃のことを次のように 記しています。

ベルリンの壁が崩れた翌月の198912月、当時の英国首相のサッチャーに対し、当時の西ドイツ首相だった私が「マーガレット・サッチャーと言えども二つのドイツがその<統一という>目的地を目指すことは止められない」と言ったところ、サッチャーは、怒りに我を忘れ、足を踏みならしながら、「それはあなたの考えよ」と叫んだ。

同じ月に次に会った時には、サッチャーはハンドバッグから欧州の地図を取りだし、色が付けられていたところの、ドイツが戦後ポーランドに割譲させられた領土を私に見せながら、「ドイツはこの<旧ドイツ領の>全部とチェコスロバキアを併合しようというのね」と言った。

そして同じ月に、結局ドイツの再統一を支持する覚え書きに署名せざるを得なくなったサッチャーは、私に最後の捨て台詞を吐いた。「私たちはドイツを二度ぶちのめした。それなのに奴らはまたもや戻ってきた(Now they're back)。」私は未来永劫、この言葉を忘れないだろう。

(以上、http://www.guardian.co.uk/germany/article/0,2763,1607372,00.html11月3日アクセス)による。)