太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#11152006.3.9

<中共経済の脆弱性(補足)(その2)>

3 中共の創造性の欠如

 中共経済は、「工業製品を開発する意欲と能力に欠ける」と指摘したところです(コラム#1102)が、労働力が枯渇する懼れがあるのであれば、ますます中共は、「工業製品を開発する意欲と能力」を身につける必要性にかられるわけですが、それは、中国共産党が中共支配権を放棄しない限り、不可能だと言わざるをえません(注5)。

 (注5)8年間にわたる策定期間を経て、今期の全人代に上程される予定であった私有財産保護法が、共産党内の「左派」からの反対で来年回しになった(http://www.guardian.co.uk/china/story/0,,1726689,00.html。3月9日アクセス)こと一つとっても、中共の資本主義的経済と一党支配、就中マルクスレーニン主義の母斑を残す共産党による一党支配、との間の矛盾は深まりつつある。

 そもそも中共は、いまだにたった一人のノーベル賞受賞者を生み出すことにさえ成功していません(「中共」を「支那」と言い換えても同じ)。

 そんなことはない、という反論が予想されますが、これは2003年7月に私の北京への四度目の訪問の際に、中共の政府関係者が、日本の受賞者の多さに敬意を表しつつ私に示した見解です。

 それはもっともであり、支那出身でノーベル賞を受賞した人は科学賞が4名、文学賞が1名いる(注6)のですが、ノーベル賞受賞時には外国で活動していたり、外国籍を取得していたりしているために、中共としては、ノーベル賞受賞者にカウントしていないのでしょう。

 (注6)文学賞を受賞した高行健(Gao Xingjian1940年?)は、亡命してフランス国籍をとった(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E8%A1%8C%E5%81%A5、及びhttp://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/1990/112.html(どちらも3月8日アクセス))。

     なお、支那系米国人で科学賞を受賞した者が一人いる。

ちなみに、台湾出身の台湾人でノーベル科学賞を受賞した李遠哲(Yuan Tseh Lee1936年?)は、受賞時には米国で活動していたが、現在、台湾に戻っている(http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/05/050929b.htm、3月8日アクセス)。台湾出身者は頑張っている。米国で活躍しているアン・リー(Ang Lee=李安)監督が「ブロークバック・マウンテン」で、アジア出身者としては初めて今年アカデミー監督賞を受賞したこと(http://www.guardian.co.uk/china/story/0,,1725585,00.html。3月8日アクセス)はもっと注目されていい。

 アジア出身のノーベル賞受賞者の出身地は、日本・支那・インド・パキスタン・台湾の5カ国だけであり、日本は科学賞9名(うち2名は受賞時には米国で活動)文学賞2名、支那は上述のように科学賞4名(全員受賞時には米国で活動)文学賞1名(受賞時にはフランスで活動)、インドは科学賞3名(うち、植民地時代の1名を除き、受賞時には米国で活動)経済学賞1名(受賞時には英国で活動)文学賞1名(植民地時代)、パキスタンは科学賞1名(受賞時には英国で活動)、台湾は科学賞1名(受賞時には国で活動)です(注7)。

 (注7)政治的に授与される平和賞は除く。

 

受賞時には外国で活動していた者を除くと、日本7名、支那0名、インド2名、パキスタン0名、台湾0名、となり、日本はもとより、インドに比較しても支那のだらしなさは一目瞭然です(注8)。

 (以上、データはhttp://kjs.nagaokaut.ac.jp/mikami/asianSTP/nobel-laureates.htm(3月9日アクセス)による。)

 (注8)韓国では、ノーベル賞受賞者がゼロであることが、(特に日本との比較で)国の恥と受け止められている。ソウル大学の黄禹錫教授の胚性幹細胞(ES細胞)の研究・・多くが偽造であることが判明した・・にあれほど韓国の人々がフィーバーしたのは、同教授が韓国初のノーベル賞を受賞することを期待したからだ(http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20051223/mng_____tokuho__000.shtml20051223日アクセス)。

 結局、大科学者や大文学者が生まれるためには、思想・表現の自由が必要条件であり、高等教育研究機関の充実が十分条件なのでしょう。

 英領植民地時代のインドに二人もノーベル賞受賞者が出たのに、独立後のインドからは(パキスタンを含めても)一人も出ていないことは考えさせられます。

 このように見てくると、中共がノーベル賞受賞者を生み出せないのは、中国共産党の一党支配下で思想・表現の自由が制限されていることだけではなく、そもそも清朝崩壊後の近代支那の歩みそのものに問題がある、という気がしてきませんか。

 支那出身で唯一人ノーベル文学賞を受賞した高行健が、台湾訪問時に、「『五四運動』の特徴は、『文学によって社会を改造する』というもので、文学者は、文学を社会改革の道具と見なし、文学と政治を強く結び付け、非常に強い使命感を持っていた。このため、政治改革に合わせて文学自身も改革されなければならず、それまでの古典文学は一掃されるべき対象となった。この特徴は、二十世紀の中国文学を貫いていた・・・二十世紀の中国の文学作品を振り返ってみると、見どころのある作品ほど『革命的』ではない。なぜなら、これらの作品には比較的ヒューマニティーが感じられるからだ。革命の結果、文学そのものも一掃されてしまったのだ」と語っています(http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/1990/112.html前掲)が、私も全く同感です。

(完)

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/