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太田述正コラム#1151(2006.3.29)

<米国の経済・社会の現状>

1 始めに

  「ペシミズム溢れる米国」シリーズを補完する意味で、ワシントンポストに掲載された米国の経済に関する論説と米国の社会に関する書評を、それぞれご紹介しましょう。

2 論説:絶好調の米国企業

 エンロン事件によって露呈した米企業倫理の問題や、GMの不調が象徴している伝統的米国産業の衰退にもかかわらず、米国の企業はまさに現在絶頂期を迎えようとしている。 1995年頃から、それまでの20年間日本とEU諸国の後塵を拝してきた米国の生産性の伸びが、日本とEU諸国のそれを上回るに至った上、ROE(資本収益率)においても、米国は日仏独を引き離すに至った。

 また、それまでは日本的経営やドイツ的徒弟制度が称賛されていたところ、爾後はスターバックス(Starbucks)・プロクター&ギャンブル(Procter & Gamble)・アップル(Apple)・シスコ(Cisco)といった米国企業の経営が世界の模範となったし、英ファイナンシャルタイムスの発表する尊敬される世界の企業中、2004年も2005年も米国企業がトップ15社のうち12社を占めた。

 更に、米スタンフォード大の教授と英LSEの教授の共同研究は、経営の質において、米国の企業(米国企業の在欧子会社を含む)は欧州の企業を凌駕しており、経営の質の差が、両国の企業の生産性の差のうちの50%を占めることを明らかにした。

 このような日本やEU諸国の企業に対する米国企業の優位をもたらしたものは一体何だろうか。

 第一に、米国では貿易や規制の障害が少なく競争(competition)が激しいからだ。

 第二に、米国では能力主義(meritocracy)が徹底しているからだ。例えば、ファミリー企業における、経営者の地位の長子相続が、英仏では米国の5倍も多い。

 第三に、競争と能力主義は昔からの米国社会の特徴であるところ、このところの米国企業の好調の最大の理由は、米国の経営文化(business culture)が現代の経営環境にマッチしているからだ。

 工業の時代には日独に一日の長があったが、米国が強いサービス・知識産業の時代ないし情報化時代・・権限の委任と業績給を特徴とする分散型ネットワークの時代・・が到来した。

 しかも、米国はグローバリゼーションの時代に強い。そもそも米国は、多文化社会であって、企業の経営陣が多文化の人々によって構成されている上、世界中から人々が米国にやってきてMBAを取得し、それらの人々が米国の企業で働き、或いは母国に戻ってその多くが米国企業の子会社で働くからだ。

 (以上、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/03/26/AR2006032600878_pf.html(3月28日アクセス)による。)

3 書評:米国の若者の窮状

 物価上昇分を差し引いて計算すると、米国の公立大学の授業料は1980年に比べて三倍近くに上がっている。しかも、この間、連邦政府による奨学金は、供与からローンに変更されている。この結果米国の学生は、卒業時点で一人当たり平均2万ドル前後の借金を負うに至っている。大学院の学生の場合は、その二倍以上の額だ。

 また、クレジット会社に対する規制が緩和されたため、学生でもカードを持っているのが普通になった。

 こんな状態で社会に送り出された若者達は、結婚を先送りしてひたすら、美容術・セラピー・ヨガ・携帯電話等々のありとあらゆる商品の消費に狂奔している。こうしてただでさえ借金が嵩む上に、事故にあったり病気になったりしたら、米国では国民健康保険制度がないので大変なことになる。

 その結果が、20台や30台の若者の破産の増大であり、貧富の差の拡大だ。

 ところが、戦後のベビーブーム世代とは様変わりで、現在の若者達はニュースに関心がないし、棄権率も高く、自分達の要求をひっさげてロビー活動をしたりすることなど聞いたこともない。

 だから、国民健康保険制度の導入・奨学金供与の復活・育児休暇制度や児童手当制度の導入・法人税の引き上げと所得税減税の取りやめ、等、当然なされるべきことがなされないまま、米国の若者の窮状は募っていくばかりだ。

 (以上、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/03/16/AR2006031601663_pf.html(3月19日アクセス)による。)

4 感想

 米国は、経済は好調である一方で、(一断面を見ただけでも)その社会に構造的な問題を抱えていることが分かりますね。

 米国もまた、フランスとは違った意味でではあるけれど、まともなアングロサクソン社会(英国的社会)へと変貌する必要がある、ということでしょう。 しかし、それを行うことはフランス同様、米国でも不可能に近いと思います。 結局、栄光が既に失われたフランスの後を追う形で、米「帝国」が衰亡することもまた必定、と言えそうですね。

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