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太田述正コラム#1223(2006.5.9)

<裁判雑記(続)(その1)>

1 始めに

 訴状(コラム#1180)に対する答弁書を4月28日に東京簡裁に提出(原告にも送達)し、本日(5月9日)は午前11時30分からの第一回の公判期日に出席してきました。

 ところが、裁判官から、本件は150万円未満の請求額なので形式的には簡裁の管轄だが、事案の内容から地裁での審理が望ましい、例えば簡裁では証拠調べもできない、という理由でお隣の東京地裁への転送の提案があり、原告がこの提案を飲んだので、転送が決定しました。

なお、裁判開始前に、原告から準備書面が提出され、私もそのコピーを受け取りました。

関心のある方も少なくないと思うので、上記私の答弁書(正確には、答弁書中の「私の言い分」)と上記原告の準備書面を三回に分けてコラムに転載することにしました。答弁書は長文ですし、その中身については、コラム#1180後半、1182、1284、1185、1188、1190、1200とほとんど重複しますが、ご容赦願います。なお、答弁書と準備書面への添付証拠書類は、基本的に掲載しません。また、原告が当面和解に応じる意思がないことがはっきりしたことから、裁判の公開性に鑑み、答弁書中原告の実名を挙げている箇所は、そのままにしました。

2 私の答弁書

私の言い分

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               <目次>


1 原告が問題視している箇所は他人の著作物の引用紹介である


 (1)要約紹介である


(2)要約紹介したことに落ち度はない

2 その要約紹介には公共性・公益性がある

 (1)公共性

(2)公益性

3 部分的に不正確な要約紹介があった

 (1)部分的に不正確であった要約紹介

 (2)しかし全体として要約は正確であった

4 1、2、3に係る判例学説を掲げる

 (1)判例

 (2)学説

5 私は原告の社会的評価を低下させていない

 (1)総括

(2)原告の社会的評価は既に低下していた

  ア 出版物

  イ ネット上での記載

  ウ 結論

 (3)しかも原告の実名は記されていない

6 よって訴えの棄却を求める

 (1)実体的理由

 (2)手続き的理由

ア 総括

  イ 原告は裁判以外の手段を尽くしていない

  ウ 原告の請求は趣旨不明である

  エ 事後的に原告の訴えの利益が失われている

7 しかし和解を否定するものではない


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




               <本文>

1 原告が問題視している箇所は他人の著作物の引用紹介である

 (1)要約紹介である

 原告が問題にしている私のコラム#195(以下、「当該コラム」という)の大部分は、当該コラム冒頭で言及した一冊の本(矢野穂積・朝木直子「東村山の闇」第三書館。以下「この本」という)の内容を私が要約・紹介したものにほかならない。

当該コラムの終わり近くに「(以上、特に断っていない部分は矢野・朝木 前掲書により)」と記されていることからも、このことは明らかであるし、当該コラム中のどの部分がこの本の要約紹介であるかも分かるようになっている(注1)。

(注1)創価学会をカルトとしている箇所についても、カルトの定義を除けば、この本(の157??160、166??170、238??239頁)の要約紹介にほかならない。

 原告は、当該コラム中のこの本の要約部分に「虚偽性」があり、原告本人の「社会的評価をいたく低下せしめた」と主張しているところ、この本の著者または出版社を追及するのならともかく、この本の内容の単なる要約・紹介者に過ぎない私を追及するのは筋違いである。

 (ちなみにこの本は、現在も引き続き販売されている。)

 仮に、発言や出版物において引用した本等の内容の非虚偽性(真実性)について、引用した者が証明しなければならない、ということになれば、世上のほとんどの発言や出版ができなくなり、表現の自由は有名無実になってしまうだろう。

 (2)要約紹介したことに落ち度はない

なお、当該コラムの導入部の記述の真実性を調査することは私には事実上不可能であった上、そもそも私はその内容を真実と信じる相当の理由があった、ということを付言しておきたい。

私には部下はおらず、協力者もほとんどいないため、執筆材料の独自取材は原則として行わないこととし、もっぱらインターネットと公刊書籍に依拠して執筆している。その私が、インターネットや公刊書籍の記述の真実性を調査することは不可能に近い。

また、当該コラム導入部が典拠としたこの本は、東村山事件を対象に、言及された捜査関係者から名誉毀損で訴えられたり、関係捜査機関によって報復的に微罪を追及されたりする懼れがあるにもかかわらず、転落死した東村山市議の同僚市議(公選された公務員)2名によって執筆され、歴とした出版社(第三書館)によって出版されたものであり、本の内容において、私が知っている事実に関し誤りがなかったこともあり、私としては当時、本の他の部分も真実性が高い、と判断する相当の理由があったと思っている。

ちなみに、前述したように、(自発的にあるいは裁判等によって、絶版にされることなく、)この本が現在もなお市場に出回っていることは、私の当時のこの判断の妥当性を事後的に裏付けるものであると考える。

2 その要約紹介には公共性・公益性がある

 (1)公共性

 当該コラムの主旨が、公明党批判という公共的事項についての論評であることはさておき、当該コラムの導入部において、警察と検察という捜査機関(=公権力の行使に関わる公務員)の捜査ミス(=公務執行に係る瑕疵)疑惑に係る本の要約紹介を行ったことは、公共的事項についての(公的活動とは無関係な私生活暴露や人身攻撃にわたらない)論評であると言えよう。

時あたかも1999年に発生した会社員リンチ殺人事件についての4月12日の宇都宮地裁判決は、栃木県警の捜査ミスと死亡の因果関係を認めたところであるが、近年、捜査機関の作為または不作為による捜査ミスに対する、犯罪被害者、ひいては世論の姿勢は厳しさを増しており(例えば、http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060412/eve_____sya_____008.shtml(2006年4月13日アクセス))、女性東村山市議転落死亡事件(以下、「東村山事件」という)についての捜査機関の捜査ミス疑惑を紹介することの公共性は高かったと考える。

ちなみに、原告は、訴状の中の「2 訴状の核心部分」で、「女性市議の・・転落死はほぼ自殺と判断され警察及び地検の捜査は・・終結している」と記しており、「ほぼ」という言葉を用いている以上、東村山事件が他殺によるものであった可能性があることは、原告自身が認めているところである。

(2)公益性

以上記したことは同時に、私の当該コラム執筆公表の目的が、もっぱら公益を図るため(=一般市民の「知る権利」行使に資するため)であることを裏付けていることだ。しかも、私のコラムはすべて、無償で公開されており、私はコラムの執筆公表によって何ら金銭的利益を得ていない。

そうである以上、当該コラム執筆公表の目的の公益性は明らかであろう。

3 部分的に不正確な要約紹介があった

 (1)部分的に不正確であった要約紹介

 当該コラムにおけるこの本の要約が部分的に不正確であったことは認める。

 私は、以下のように要約した。(一、二、三は、便宜上、今回特に付した。)

一 東京都東村山市は、創価学会の勢力が強いところで、市議26名中、(建前上はともかく創価学会の政治部以外の何者でもない)公明党は6名で、自民党の7名等とともに与党を構成しています。

 明代市議は、議員活動の一環として創価学会脱会者の支援や人権侵害の被害救済活動を行っていたことから、東村山市の創価学会員や公明党市議らと緊張関係にありました。このような背景の下で、1995年に明代議員を被疑者とする万引きでっちあげ事件が起こり、更にその直後に明代議員殺害事件が起こったのです。

 当時捜査当局によって、昭代市議は万引きの被疑者として送検され、また、昭代議員のビルからの転落死は万引き発覚を苦にしての自殺と断定されてしまいます。

二 ところが、所轄の東村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、また、捜査を指揮した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事もことごとく創価学会員だったのです。

昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったと思われます。

三 しかし、彼らの画策したでっちあげや隠蔽工作は、この本の著者達やマスコミによって、創価学会の執拗な妨害を受けつつも、徹底的に暴かれ、社会の厳しい批判に晒されることになります。

 なお、明代市議の殺人犯はまだつかまっていません。

 しかし、再度、この本を読み返してみたところ、副署長(原告)と刑事課員が創価学会員であった旨の記述はなかった。

 よって、今にして思えば、上記中の二は次のように記述されるべきだった。

二 これは第一に、転落死事件を担当した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事が二人とも創価学会員であったところ、昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったからであり、第二に、この地検支部の捜査指揮を受ける立場の所轄の村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、村山市の創価学会関係者への配慮や上記地検支部長及び担当検事への配慮を、公僕としての義務より優先させたからである、と思われます。

 (2)しかし全体として要約は正確であった

 しかし、私が既に引用した箇所からだけでも、この本の主旨が、第一に、原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」(訴状より)作為不作為があったことを指摘するとともに、第二に、原告らの作為不作為の陰に創価学会ないし創価学会員の姿が見え隠れしていることを示唆するところにあることは明らかであろう。

 そうである以上、私によるこの本の要約紹介は、部分的に不正確ではあったものの、この本の主旨に基本的に沿ったものであり、全体として正確性を欠くものでないと考える。

なお、原告らを創価学会員と誤解した私のミスにはやむをえない面があることを弁明しておきたい。

(文中に登場する「万引き・・事件」とは、1995年6月19日に発生したとされる(乙骨正生「怪死 東村山女性市議転落死事件」(教育史出版会1996年5月)65頁による)朝木明代市議「万引き」事件のことを指し、「転落死事件」とは、1995年9月1日??2日(13??21頁)に発生した朝木明代市議転落死亡事件を指す。)

(一)原告と創価学会との癒着を示唆する記述(例示)

 「母<(後に転落死することになる朝木明代市議)>を犯人扱いした「万引き冤罪事件」でも、東村山警察の千葉英司副署長は、「万引き事件の捜査は、私が直接指揮を取った」と胸を張り、「絶対にクロだ、自分の首をかけてもいい」と言い切っているのだ。そして、母が、事件に関する正式な調書もないまま、”だまし討ち”のような方法で「書類送検」したその当日には、古顔の創価学会信者の木村という市議が、東村山警察の所長室で小林署長や千葉副署長と面談しているところが目撃されている。」(73??74頁)、「「万引きねつ造疑惑」・・『事件』<の>「書類送検」当日、創価学会信者の古手市議木村芳彦(副議長)が東村山警察の所長室で署長・副署長と「密談」していたのを目撃された。」(118頁)、「7月12日、<万引き事件の>『書類送検』は午後におこなわれた。が、その前に、千葉英司副署長が、創価学会党の古参市議で副議長の木村芳彦という人物を署長室に招きいれて、小林浄署長、副署長と話しこんでいた。」(234頁)

「東村山警察幹部すなわち千葉副署長の談話をもとに書かれた『潮』<(創価学会系の総合雑誌)><の記事>は、「万引き冤罪事件」について、母が話してもいない内容の調書、それも署名、捺印のないものが「正式な『供述調書』として、今も地検にある」と断定した記事を掲載している・・。しかし、この・・『潮』の名誉毀損記事裁判・・で千葉副署長の供述を裁判所が断罪することになる」(133頁)、「判決書42頁で・・はっきりと「千葉の供述は信用することができない」と断罪している・・」(264頁)

「物的証拠は全くなかった。朝木議員と「万引き」とは繋がるものは何一つなかった。商品を取り戻し、実害もない。しかし女店主は「動かぬ」証拠もないのに、警察に訴え出た。朝木議員を名指しでだ。しかも、「動かぬ証拠」もないのに、東村山警察は必死に動き、「書類送検」までしたのだ。だが、書類送検は、<創価学会員である>信田昌男検事が・・指示したと千葉副署長が語った。」(221頁)、「『月刊宝石』は、「万引き冤罪事件」の舞台の用品店の女店主の夫に取材している。「創価学会の信者ですか?」 この人物は、次のように答えた。「違います。私は恥ずかしいことだけど不信心・・(妻は)確か真言宗だったよな」・・女店主は頷かなかった。夫の方は、唐突にこう続けた。「聖教新聞はとっていたことがあります。・・」(218??219頁)

(二)副署長が創価学会員であることをも示唆しているとも受け取れる記述

「<1995年>11月7日の衆院・宗教法人特別委員会・・で朝木明代の事件は取り上げられた。・・

質疑応答(収録ビデオから)

(質問者)熊代・衆院議員(自民党)

 先程、東村山市の問題が出ました。・・亡くなりました朝木明代市議は、同市では市議会、市職員、それに警察署員に創価学会の方の比率が、相当に高い、ということを批判し、その癒着、業者との癒着、あるいは採用における癒着を批判しておられたということでございます。先程、船田先生から権威のある雑誌であるとご評価頂きました「文藝春秋」の今月の11月号に載っております。私が問題にしたいのは、人が事件死した場合に・・は・・まず他殺を疑って、とことんそれを調べ・・そしてそれを潰していって初めて自殺という結論に達するんです。ところが、この東村山署は、殊に副署長さんというふうに言われておりますが、直ちに『自殺説』を出して、頑張っていると聞きます。・・『ナアナア主義』で正義を明らかにする情熱に欠けているんではないか、そんなふうに思われます。」(193??194頁)

 「すでにお気づきのとおり、東京地検八王子支部に、創価学会幹部信者の吉村弘検事が支部長として着任したのは1995年4月、東村山警察に千葉英司副署長が異動になったのは同じ1995年2月、いつも当直の時に事件が起きる東村山警察の須田豊美盗犯二係長の異動も同じ1995年2月・・」(206頁)

このような記述から、私は、副署長は創価学会員であるとこの本に記述してある、と誤解してしまったようだ。

 この種の思いこみ、勘違い、記憶違い、もしくはミスプリは、人間にはつきものであって、完全に排除することは不可能だ。

 本や雑誌の場合、時間的余裕があるので、何度も校正等を行うことによって、このようなミスを発見し是正することが相当程度できるし、新聞やTV・ラジオの場合なら、時間的余裕がなくても、複数の人間がチェックすることでこのような誤りを発見・是正することがある程度はできる。

 しかし、私のように、たった一人で、現在では毎日おおむね二篇弱のコラムを執筆・上梓し、当該コラム上梓当時でも既におおむね毎日一篇のコラムを執筆・上梓しているような場合、最低一度は読み返すものの、ミスを発見・是正することは容易ではない。

(もとより、ミスを読者から指摘されれば、ネット掲載文書の性質上すみやかに、遡って訂正したり、訂正文を上梓する形で対応することが可能であるし、実際そうしてきたところだ。しかし、当該コラムについては、上梓以来、二年半弱の間、創価学会員云々についてはもとより、いかなるミスの指摘もなく、読み返したことすら一度もなかった。)

 よって私のミスはやむをえない面があったと考えるものである。 

4 1、2、3に係る判例学説を掲げる

(1)判例

他人の言動、創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の客観的な社会的評価を低下させることがあっても、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明があるときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものでない限り、名誉毀損としての違法性を欠くものであることは、当審の判例とするところである(最高裁1985年(オ)第1274号1989年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁、最高裁1994年(オ)第978号同1997年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。そして、意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合には、右著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから、当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ、前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解すべきである。

(最高裁1994年(オ)第1082号同1998年7月17日第二小法廷判決。http://patent.site.ne.jp/jd/lib/sp/980717.htm(2006年4月24日アクセス)より孫引き)

(2)学説

 「現実の悪意の法理とは、1964・・年に米国連邦最高裁が「ニューヨークタイムズ対サリバン」事件において使用した名誉毀損の免責法理であり、公務員に対する名誉毀損表現については、その表現が「現実の悪意」・・故意ないしそれに準ずる概念・・をもって、つまり、それが虚偽であることを知っていながらなされたものか、または虚偽か否かを気にもかけずに無視してなされたものか、それを原告(公務員)が立証しなければならない、とするものである。」(佃克彦「名誉毀損の法律実務」弘文堂2005年2月 262??263頁)

 現実の法理を採用した日本の裁判例としては、いわゆる「サンケイ新聞意見広告事件」に係る東京地判1977年7月13日(判タ661号115頁、判時857号30頁)と、いわゆる「北方ジャーナル」事件に関する最大判1986年6月11日(判タ605号42頁、判時1194号3頁)における渓口正考判事の意見があるが、判例はまだない。(佃上掲書264??265頁)

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