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太田述正コラム#1225(2006.5.10)

<裁判雑記(続)(その2)>

 (これは、コラム#1223から掲載を始めた答弁書の後半部分です。)


5 私は原告の社会的評価を低下させていない

 (1)総括

原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」(訴状より)作為不作為があったとの指摘、を私が当該コラムで紹介したことが、「原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめた」(同じく訴状より)という事実はない。

その理由は以下のとおりである。

(2)原告の社会的評価は既に低下していた

 ア 出版物

1995年9月に朝木市議転落死事件が起こって以来、この本が出版され、これを受けて私が当該コラムを上梓した2003年11月までの8年余だけをとっても、この本に言及されているだけで、TBSの『ニュースの森』(1995年10月)(190頁)、米『タイム』誌(95年11月20日号)(196頁)、『週刊新潮』(96年4月26日号)(203頁)、『月刊宝石』(95年9月号)(217頁)、『週刊朝日』(217頁)、『週刊現代』(95年9月23日号)(244頁)が、この本と同じ主旨で転落死事件(と万引き事件)を報じているほか、95年11月7日の前出の衆院での質疑応答があり、2002年3月28日には、原告の言い分に沿った記事を掲載した『潮』(95年11月号)をめぐる、前出の裁判の東京地裁判決が出ている。

その上、1996年5月には、この本とほとんど瓜二つと言ってよい、これまた乙骨前掲書が出版されている。(この本の253頁から、前出の『文藝春秋』が、1995年11月号であるらしいこと、及び、この『文藝春秋』掲載の記事も、私が典拠とした本と同じ主旨の記事であったことが分かる。)

  イ ネット上での記載

1995年9月以降、ネット上でも盛んに本事件が取り上げられ、その多くが、この本と同じ主旨のものであった。

例えば1999年4月24日(注2)に、http://www.asyura2.com/kj005100.htm(4月27日アクセス)に「No 5221」として、「福永恵治」名で、下掲の投稿がなされており(注3)、2006年4月26日現在もそのまま掲載されている。

タイトル 朝木明代市議転落死事件を追う掲示板

4月24日(土)00時40分

やっぱりウソだった
―副署長が裁判所で発言を否定―
 2月22日午後、東京地裁(民事30部)で、朝木明代議員の事件について朝木議員の汚名を晴らす極めて注目すべき事実が、はっきり確認された。 創価信者や例の熊谷グループ、ムラ議員らは、95年6月19日に朝木議員がこともあろに<ママ>、東村山駅傍の洋品店の店外のつるし販売のキュロットとTシャツセットから 「1900円のTシャツ」だけを万引きしたと決めつけて騒いだ。 そして、かれらは、東村山警察が書類送検したことを挙げ、特に東村山警察・千葉英司副署長(当時、現調布署)が 「朝木議員は同僚の男性議員と事件直後にアリバイ工作をした疑いが濃く、極めて悪質と判断した。書類送検には自信を持っている。」と語ったことを、最大の根拠として、朝木議員は万引き犯だなどと決めつけた。ところが「事件」から4年近く経った2月22日、東京地裁で、千葉副署長の弁護士は「千葉副署長は上記の発言をしていない」と「アリバイ工作」の事実がなかったことを認めたのだ。この4年近くの間、千葉副署長は、この点について朝木議員遺族や矢野議員側の弁護士が再三ただしても答えようとしなかった。が、この日、矢野議員自身が 「朝木議員と私がアリバイ工作した疑い極めて濃く悪質を判断し、書類送検したと千葉副署長が発言したと『聖教新聞』に書いてあるが、発言したのか、していないのか」と鋭く答えを求めたところ、逃げ切れずついに、千葉副署長の弁護士は「そのような発言はしていない」と答えた。 このやり取りの傍にいた創価の福島弁護士の不安そうな表情が印象的だった。 書類送検の根拠なし 矢野議員が、裁判官に、この事実を、裁判署の口頭弁論調書に記録することを求めたところ、裁判官もこれを認め、調書に右事実がはっきり残った。 もう一つ、朝木議員が事件現場で救急車を断ったとした千葉副署長の発言も根拠のないことがはっきりしている。朝木議員や矢野議員を誹謗して騒いだ関係者達、さあ、どうする!

http://www.tcup5.com/521/jfk.html

 (注2)書き込み時期を1999年と特定できたのは、上記No.5221より前の書き込みであるNo.5171の以下のような書き込みによる。

No 5171 河上イチロー 4月14日(水)06時50分

タイトル 祝・出版!佐々木さんおめでとう!

というわけで、河上の第2弾「サイバースペースからの攻撃」(雷韻出版)も連休明けには書店に並ぶと思います(東京だと5月1日には並ぶかも)

スケジュールには以下のように書き込んでくださいね m(。。)m

1999年春の書籍購入予定

4月下旬 佐々木敏『西暦2000年・神が人類をリセットする日』徳間書店

5月上旬 河上イチロー『サイバースペースからの攻撃』雷韻出版(注3)同文が、2000 年 5 月 10 日に下掲のサイトにも転載されている。(http://info-soukagakkai.hypermart.net/bd1/messages/14.html。2006年4月27日アクセス)。

また、いつから掲げられているかは不明だが、http://www.sokamondai.to/125/index.htmに2006年4月27日現在、2002年発行の下掲のミニコミ紙記事が転載されている。

「事件当時、創価幹部信者の地検・捜査担当検事に指揮された東村山署の千葉英司署長が、事件当時、でまかせで根拠のないことを創価系記者らに話し法廷での証人尋問では、これを翻して否認するなどしたことから、判決は「千葉の供述は信用できない」と断罪した。最近、警察官の不祥事と同様(ママ)、やはりウソつき警官だったことが判明。」(東村山市民新聞2002年4月30日)

  ウ 結論

つまり、「原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」・・作為不作為があったとの指摘」は、あらゆるところでなされてきており、2003年11月時点では、既に公知の事実になっており、「原告<等>の職務遂行についての社会的評価<は既に>いたく低下せしめ<られてい>た」、と言うべきであろう。

そうである以上、当該コラムは、単に、既に公知の事実となっていたところの、「原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」・・作為不作為があったとの指摘」を行う媒体がもう一つ新たに出現した(出版された)ことをネット上で知らしめた、というだけの意味しかないのである。

 (3)しかも原告の実名は記されていない

 (2)で引用した出版物やネット上での記載とは異なり、私は、当該コラムにおいて、原告の実名を記していない。

 当該コラムの読者が、原告の実名を知るためには、この本を読むか、ネット上で転落事件を取り扱っているサイトを探して読むかしかない。もちろん、当該コラムを読む前から転落事件をめぐる論議を知っていた読者がいた可能性も理論上はある。

しかし、前述した私のミスを指摘した読者がいなかったどころか、当該コラムを掲載した私のホームページへの、この当該コラムに係る投稿が一件もなかったことから推察すると、上記のような熱心な読者はほとんどいなかった可能性が高い。

現在、私のコラムを読んでいる読者は2,000人余と推定されるが、2003年11月当時は、その数分の一であったことを考えると、これは必ずしも不思議ではない。

 いずれにせよ、当該コラムを読んで、原告に「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」作為不作為があったとの指摘を、原告らの実名を伴った形で認識することとなった読者はほとんどいなかった可能性がこのように高いのだから、私のコラムが「原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめた」、かどうかなど論ずるまでもないことになる。

 また、当該コラムの読者は、私のミスにより、原告が創価学会員であるとする記述がこの本にあると誤解させられたわけだが、読者には原告の実名が分からない以上、これだけでは原告に全く不利益を与えていないということにもなる。

 なお、以下のような判例がある。

 「仮に他の報道と併せて考察すれば報道対象が明らかとなる場合であっても、そのことから、直ちに当該報道が報道対象を特定して報じたものと認めるのは相当でない・・裁判所がそのような事後的な総合認定により、匿名で書かれた記事の匿名性を否定するとすれば、報道の任に当たる者の匿名記事を作成しようとする意欲を著しく減殺することとなり、結果として、不当な実名記事の作成を助長しかねない。」(東京地判1994年4月12日。判タ842号271頁。佃前掲書103??104頁)

6 よって訴えの棄却を求める

 (1)実体的理由

 以上の理由から、原告の訴えの棄却を求める。

 (2)手続き的理由

  ア 総括

本訴は、以下のような手続き的理由からも棄却されるべきであると考える。

  イ 原告は裁判以外の手段を尽くしていない

 そもそも、言論に対しては言論で対抗すべきであり、原告は、私のホームページ上の掲示板に匿名または実名で当該コラムに対する反論を投稿する等の手段をまず講じるべきであった。

また、訴えの提起は最終的手段であって、原告が、私に対して書状やメールを送ること、或いは私と面談をすること等によって問題の解決を図ろうとせず、いきなり訴訟を提起したのはいかがなものかと思う。

更に、原告は、私が5(2)ア及びイで挙げた、東村山事件における原告の作為不作為を批判した出版物やネット上での記載・・しかもその大部分は原告の実名を明記・・をとがめ、すべて、訴えの提起をしているのであろうか。少なくともイで掲げたネット上での記載に関し、訴えを提起した形跡はない。従って、当該コラムだけを問題視し、提訴したことは著しく権衡を逸すると言わざるをえない。

 かかる論点に関連する判例を二つ掲げておく。

 判例その一:「フォーラム、パティオへの参加を許された会員であれば、自由に発言することが可能であるから、被害者が、加害者に対し、必要かつ十分な反論をすることが容易な媒体であると認められる。したがって、被害者の反論が十分な効果を挙げているとみられるような場合には、社会的評価が低下する危険性が認められず、名誉ないし名誉環状毀損は成立しないと解するのが相当である。」(東京地判2001年8月27日。判例タイムス1086号181頁、判例時報1778号90頁。佃前掲書83頁)

 判例その二:「民事訴訟制度は・・社会に惹起する法律的紛争の解決を果たすことを趣旨・目的とするものであるところ、かかる紛争解決の機能に背馳し、当該訴えが、もっぱら相手方当事者を被告の立場に置き、審理に対応することを余儀なくさせることにより、訴訟上又は訴訟外において相手方当事者を困惑させることを目的とし、・・相手方当事者に対して有形・無形の不利益・負担若しくは打撃を与えることを目的として提起されたものであり、右訴訟を維持することが前記民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠き、信義に反すると認められる場合には、当該訴えの提起は、訴権を濫用する不適法なものとして、却下を免れないと解するのが相当である。」(東京高裁平成12年11月13日(ネ)第3364号 損害賠償請求控訴事件判決。山崎正友「続々「月刊ペン」事件――信平裁判の攻防」第三書館2002年9月 346??347、356頁)

  ウ 原告の請求は趣旨不明である

 また、私としては、不法行為が成立しないと考えているので、本来原告の請求内容について論じる必要はないが、原告は140万円を賠償請求しているところ、この金額の積算根拠が示されていないばかりか、原告が当該コラムの訂正ないし削除要求や、謝罪文のコラムへの掲載等を要求していないことから、原告の請求は趣旨不明であると言わざるをえない。(例えば、140万円を支払えば、当該コラムについて引き続きネット上での掲載を認める、という要求趣旨であるとも受け取れる余地がある。)

 エ 事後的に原告の訴えの利益が失われている

部分的に不正確であった私による要約(3(1))については、訴状を受け取った後、2006年4月15日付のコラム#1184(裁判雑記(その3))(http://www.ohtan.net/column/200604/20060415.html#1)において訂正し、その事実は広く知られるところとなっている。

 従って、原告の訴えの利益はもはや失われていると考える。

7 しかし和解を否定するものではない

 原告が、賠償請求を取り下げるのであれば、私は和解に応じる用意がある。

私としては、以下のような和解内容を希望している。

 原告が、実名を明記して自分に「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」作為不作為はなかった旨の主張を記し、これを私のホームページの掲示板に投稿した場合、これを削除することはしない。

また、原告が上記主張を、実名を明記して、私のコラムの一環として配信するとともに、私のホームページに掲載することを希望するのであれば、これを受け入れる。

なお、原告が上記を匿名で行うことを希望する場合は、原告の執筆であることが私には分かる形であれば、これを受け入れる。

 原告が東村山事件当時に創価学会員であったとの記述がこの本になかったにもかかわらず、私が当該コラムで原告を創価学会員と誤って記述した点について、原告が私に対し、私のコラム上での謝罪を要求する場合は、創価学会員であることが、なにゆえ「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせ」(訴状より)るのか、あるいは、なにゆえ「原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめ」(訴状より)るのか、についての原告の見解を同時に私のコラム上に掲載するという条件を原告が受け入れた場合に限り、謝罪を行うことを受け入れる。

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