太田述正コラム#1234(2006.5.14)

<対外政策と宗教(その2)>

 (ブログへのアクセスが急減し、コラム読者数が目減りしています。「経済社会の英国モデルと米国モデル」シリーズ(未完結)には経済に詳しい方からの、「叙任権論争の今と昔」・「対外政策と宗教」の両シリーズにはクリスチャンの方等からのコメントや反論をたまわることで、太田述正コラムの活気を取り戻したいと考えておりますのでどうぞよろしく。)


 これは、米国憲法が謳う政治と宗教の分離と抵触するような話ではあるまい。
私自身、ユダヤ教徒の祖先を持ち、熱烈なカトリック教徒であり、主人は英国教会信徒であって、神の存在を信じている。そして、私の生地であるチェコスロバキアのマサリク(Masaryk。1918年に近代チェコスロバキア国家を創建)同様、神の信仰とヒューマニズムとは密接不可分の関係にある(linked)と考えている。
念のために言っておくが、私は依然世俗的・自由主義陣営(民主党陣営(太田))の一員だと思っているし、1993年にハンチントン(Samuel Huntington)が打ち出した文明の衝突論にも与しているわけでもない。

3 私のコメント

 (1)始めに
 このオルブライトの本の序で、クリントン前大統領は、彼女がこの本のテーマを、友人達の忠告の逆らって選んだ、と記していますが、「友人達」の中にはクリントン政権時代にオルブライトの政策立案を助けた人々が含まれているに違いないし、クリントンその人も含まれているかもしれない、とワシントンポストの書評(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/05/11/AR2006051101323_pf.html前掲)にあります。
ことほどさように、米国の対外政策において宗教をもっと重視すべきだとするオルブライトの主張は米国では革新的なのです。
しかし、私に言わせれば、従来の米国の対外政策の考え方がそもそもおかしかったのである上、オルブライトの今回の主張もまた問題があるのです。



 (2)世俗的リアリズムはおかしい

 ナチスドイツの、とりわけホロコーストを思い起こせば、ヒットラー等がドイツ国民の福祉を考えていた合理的な国家的アクターであったとは到底思えませんし、国民が餓死してもおかまいなく核開発に狂奔する北朝鮮の金正日等もまた同様です。

 米国で戦後リアリズムがはやったのは、冷戦時代に米国の主敵であったソ連が、一応・・あくまで一応ですが・・国民の福祉を考えていた合理的な国家的アクターであったことから、リアリズムの考え方がいかにも正しそうに見えたからにほかなりません。

 つまり、世俗的リアリズムは、普遍性のない考え方だ、ということです。


 (3)オルブライトの主張にも問題がある

 さりとて、オルブライトの、「世俗的リアリズムは宗教を軽視しすぎていた」、との主張も、私には舌足らずに思えるのであって、イデオロギー国家であるナチスドイツと北朝鮮の例からも分かるように、「世俗的リアリズムはイデオロギーや宗教を軽視しすぎていた」と主張すべきであったと思うのです。

 彼女の言う「宗教」も狭すぎます。

 オルブライトにとって「宗教」とは、正義・慈善・愛・平和、といった価値観を共有するアブラハム系の宗教を一歩も出ない感があります。逆に言うと、彼女は、アブラハム系の宗教に精通しておれば、相当程度対応しうる、南北アメリカ・欧州・ロシア・アフリカ・中東・オセアニア以外には関心がなかったと疑われても仕方がないのではないでしょうか。

 ヒンズー教や仏教や神道といった非アブラハム系宗教(、更には共産主義やファシズムといったイデオロギー)に対する理解が不可欠であるところの、インド・東南アジア・北東アジアはどうしてくれる、ということです。

 そして何と言っても最大の問題は、米国の有力なアブラハム系宗教たるキリスト教(とユダヤ教)に導かれた米国の対外政策をオルブライトが提唱していることです。

 こんなことをすれば、彼女の先回りした弁明にもかかわらず、米国は文字通りの宗教国家に堕してしまうでしょうし、米国は世界のイスラム教徒や非アブラハム系宗教信徒を敵に回すこととなり、世界の各所で文明の衝突を深刻化させてしまうことでしょう。

 オルブライトの新著は、彼女がキリスト教原理主義国家たる米国を贔屓の引き倒しにする、移民の過剰適応の典型例であることを示しているように、私には思えてなりません。

(完)