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太田述正コラム#12452006.5.20

<男女比と国際政治>

1 1998年のフクシマによる問題提起

 19989/10月号の米フォーリンアフェアーズ誌に、フランシス・フクヤマは、概要以下のような興味深い小論考を発表しました。

 一般に動物の世界では、同一種同士の暴力は、特定の雌に気のある雄による、競争相手である他の雄の子供であるところのその雌の子供の殺害に限られている。同一種同士での殺戮を常とするのはチンパンジーと人間だけだ。

 このチンパンジーと人間は、どちらも、まことに社会的動物であって、自分の社会的地位の向上のために、脅迫・懇願・おだて・贈賄等の手段を尽くして仲間集めをすることに余念がない。

 最も重要なことは、暴力的手段でこの仲間集めをするのは、主として雄だということだ。(そもそも、雌は気の合う者・・あまり無理をしなくても誘える者・・を対象に仲間集めをすることが多い。)

 このことは、現代の国際政治においていかなる意味を持っているだろうか。

 先進国においては、女性が政治の世界で次第に力を増しつつあるため、攻撃的な紛争解決手法は次第に用いられなくなって来ているのに対し、貧しく非民主的な国が多い発展途上国においては、男性が引き続き権力を握り続けると見込まれている。

 果たして「女性化された」民主主義諸国は、非民主主義諸国の若く野心に溢れ、何物にも掣肘されない男性達に伍していけるかどうか、心許ないものがある。

(以上、http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-brooks19may19,0,1769927,print.column?coll=la-news-comment-opinionshttp://www.foreignaffairs.org/19980901faessay1415/francis-fukuyama/women-and-the-evolution-of-world-politics.html(どちらも5月20日アクセス)による。)

2 上記の問題提起のブルックスによる敷衍

 ブルックス(Rosa Brooks)が5月19日付のロサンゼルスタイムスに上梓した論考は、フクシマの上記問題提起を以下のように敷衍しています。

 (以下、ロサンゼルスタイムス上掲による。)

 発展途上国では、そのいくつかの国で、宗教過激主義が女性の立場を再び弱めている。

アジアの発展途上国では、もともと男尊女卑の考え方が強かったところへもってきて、様々な「間引き」技術が新たに登場したことによって、女性の胎児や子供が一層殺されるようになった。その結果、合計して世界人口の4割を占める中共とインドでは、2000年生まれの男女比は、106100になっている。しかも、男女比のギャップは逐年拡大しており、中共での2002年生まれの男女比は、実に116100になった。

このように発展途上国では、女性が相対的に少なく、従って再生産年齢の女性も少ないので、彼女たちを専業主婦として家庭に閉じこめようとする傾向が強まっている。当然、政治の世界から女性は排除されていく。その結果は貧困と紛争の増大だ。なぜなら、男女差別と貧困・紛争は強い正の相関があるからだ。

その上、結婚相手が見つからず、あぶれてしまった男性達は、犯罪や紛争を引き起こす懼れがある。これらの男性はテロリスト団体や軍事集団の予備軍なのだ。

 これと対照的なのが、先進国だ。

 米国では来年の大学入学生の58%を女性が占めると推計されており、英国では医者や法曹の資格を得るのは女性の方が多くなっている。女性の投資家の方が男性より高い利回りを得ているという研究もある。

とにかく、女性にとっての機会がどんどん拡大していくのに伴い、先進国は一層繁栄した社会になっていくことだろう。そしてパワーエリートは、より教育程度が低く生産性も低いところの男性ではなく、女性で占められるようになるだろう。

問題点の一つはフクシマが指摘したように、そうなった先進国が、果たして発展途上国の男性のパワーエリートに伍していけるか、ということだ。

より大きな問題点は、男性の不足・・高所得をもたらす技能を身につけていない男性の相対的不足ですら・・が社会に不安定をもたらす懼れなしとしないことだ。(米国の黒人の社会は既にそうなっている。)

もちろん、このような女性優位の近未来の先進国で、教育程度が低い男性が専業主夫に甘んじてくれる可能性も残されてはいるが・・・。

3 感想

 英国において、女性優位社会の前兆があらわれていることや、発展途上国におけるあぶれ者の男性の増加による犯罪・紛争増加の懼れについては、以前にも触れたことがあります。(コラムナンバーは省略する。)

 しかし、フクシマの指摘する女性優位社会の男性優位社会に比しての懸念や、ブルックスの指摘する女性優位社会固有の問題点については、今まで触れたことがありませんでした。

 ところで、現代日本は、男性優位を堅持したまま、社会が女性化している、という世界で他に例を見ないユニークな社会です。

 私がこれを日本社会の縄文モードへの回帰、ととらえていることは、長期にわたるこのコラムの読者にはお馴染みのことと思います。

 その日本が、暴力を厭い、安全保障から目を背け、社会が依然男性的にして覇権国でもある米国に自らの安全保障を丸投げしている、というのは、確かに「賢明」であるものの、その代わり日本は米国の保護国に甘んじているわけです。

 しかし、その米国もまた、早晩社会が必然的に女性化するのだとすれば、日本は安閑とはしておられません。

 先進世界の一員として、とりわけ世界第二位の先進国として、日本は、先進世界が女性化した暁において、発展途上国の暴力的な男性指導者達が引き起こす犯罪やテロに対する安全保障をいかに確保するか、真剣に考えるべき時期に来ていると私は考えています。

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