太田述正コラム#1393(2006.8.31)

<裁判雑記(続x3)>


 (昨日のコラムの冒頭部分について、ホームページの掲示板上で議論がなされているのでご参照ください。)
 (本篇はコラム#1370の続きです。)




1 始めに




 本日午後、東京地裁で第三回弁論準備手続が開かれました。
 その次第をご報告する前に、この間、被告たる私の準備書面(コラム#1368)に対する原告の準備書面(2)が提出され、それに対して更に被告たる私の準備書面(2)が提出されているので、それぞれの内容を掲げておきます。なお、過去のコラムを引用してある箇所は、参考のため、私自身が付け加えたものです。
 第三回弁論準備手続きでは、この二つの準備書面は全く話題にならなかったことをお断りしておきます。




2 二つの準備書面




(1)原告の準備書面(2)(平成18年8月25日)




第1 被告準備書面に対する反論
 1 被告の主張が変遷
 被告は、答弁書(コラム#1223以下)において、本件記事は、一冊の本(東村山の闇)が指摘した「原告の捜査ミス」に関する記述内容を要約紹介したものであると述べ、批判対象は原告ら個人であると主張した。
 しかし、準備書面においては、批判対象は捜査機関であって捜査にあたった原告ら個々人ではないと述べ、その主張は著しく変遷した。
 2 真実性・相当性の立証がない
 被告は、答弁書で「執筆材料の独自取材は原則として行わない。公刊書籍の記述の真実性を調査することは容易ではない」とか「ミスを発見・是正することは容易ではない」と述べ、本件記事を掲載する際に引用した著作物の記述の真実性を調査することは不可能に近い」と述べ、本件記事を掲載する際に引用した著作物の記述内容に対し真偽の検証をしなかったことを自認し、現に、原告に対する取材もしなかったのである。
 また、準備書面においても、本件の争点は「著作の引用紹介の正確性」であると強弁し、引用紹介の正確性を縷々と主張し、結局、本件記事に引用した著作物の記述内容の真実性・相当性については主張をしなかったのである。
 3 小括
 本件記事は、一般の読者の、普通の注意と読み方を基準にすると、「創価学会員の原告が万引き事件をでっち上げ、殺人事件を隠蔽した」との事実を摘示したものであり、被告による真実性・相当性の立証対象は上記事実である。
 しかし、被告は、本件記事の真実性・相当性の立証を行わなかったのであり、よって、本件記事で生じた不法行為責任を免れることは出来ない。
第2 和解に対する回答
 被告が提示する「破格」と称する和解案は、独善的な内容であるので、原告は和解を拒否する。
第3 求釈明に対する回答
 原告が求めた損害賠償の内容は、訴状の4「損害」の項で述べた通りである。
                                   
(2)私の準備書面(2)(平成18年8月30日)




第1 原告の準備書面(2)に対する反論等
 第1の1について
 原告は、係争対象たる(被告の)コラム(コラム#195)の批判対象が原告ら個人であると言ったり、捜査機関であると言ったり、主張が変遷していると指摘するが、被告の答弁書及び準備書面(1)の記述にぶれはない。以下その理由を説明する。
 被告は答弁書において、「当該コラムの主旨<は>、公明党批判・・である・・、<そして>当該コラムの導入部において、警察と検察という捜査機関(=公権力の行使に関わる公務員)の捜査ミス・・疑惑に係る本の要約紹介を行った・・」と記述したところであり、当該コラムの主旨(すなわち当該コラムにおいて被告が主張したかったこと)が公明党(=創価学会)批判であること、(すなわち、原告らへの批判ではないこと、)を明言している。
 また、「」内の後段の部分が、当該コラムの主旨ではなく、被告が引用した本の主旨(本の著者達の主張)についての被告の理解であることは明白である。なお、被告はこの本の主旨に係る被告の理解について、答弁書の後の箇所で、「第一に、原告らに・・警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実製などを疑わせる・・作為不作為があったことを指摘するとともに、第二に、原告らの作為不作為の陰に創価学会ないし創価学会員の姿が見え隠れしていることを示唆するところにある」、と若干敷衍しつつ同趣旨のことを繰り返 して述べているところである。
 一方、被告は準備書面(1)において、「当該コラムは、・・日本の政治<の>第一の深刻な問題点が、・・創価学会すなわち公明党が・・日本の政治のキャスティングボードを握ってい・・ることであると論じたものであり、その理由として例示的に、創価学会がゆゆしき不祥事に関与している疑いが強いと主張しているところの、・・著作の内容を引用紹介(要約紹介)したものであ<る>」、あるいは、当該コラムにおける「被告の批判の対象<は>、主として・・創価学会すなわち公明党・・、従として・・捜査機関なのであって、捜査にあたった被告ら個々人ではな<い>」と記したところであるが、これらが答弁書における記述と同趣旨の記述であることは言うまでもなかろう。




第1の2、3、及び第2、第3について
 内容的に新規の記述がないので、コメントは差し控えたい。




3 第三回弁論準備手続きの次第




 (1)判例論議
 主任裁判官は、論評中の他人の著作物の引用紹介に適切を欠く部分があったとしても全体として正確性を欠くとまでは言えない場合は、この論評に名誉毀損としての違法性があるということはできない、としたところの、私が依拠した判例(最高裁平10・7・17)は、著作物を論評したケースであり、係争対象たるコラムは、引用した著作物を論評したものではなく、単に紹介したものであるので、ケースが異なるのではないか、と指摘しました。
 では、単に他人の著作物を紹介したケースに係る名誉毀損判例はないのか、と私が問い返したところ、同裁判官は、「引用紹介<が>全体として正確性を欠く」かどうかが名誉毀損成立の基準となる、と上記判例の文言そのままで答えたので、とまどってしまいました。
 同裁判官は、もう一点、私による著作物の紹介の仕方は、読む人によっては、私自身の見解を述べたものと思うのではないか、と指摘しました。
 これに対しては、私より、答弁書にも記したように、この著作物は、市議会議員という「公職に就いている二人の著者」による「本」であることから信憑性が高いと判断したが、引用紹介であることは、引用(要約)紹介部分の冒頭と末尾に記した文言から明らかである、と答えました。
 気になったのは、同裁判官が、自分は判決を下す時にはその判決の社会的意義を考える、と言ったことです。
 私には、係争対象たるコラムの記述が、そもそも他人の著作物の引用紹介と言えるか、仮に言えるとしても全体として正確な引用紹介と言えるか、といった点で、この裁判の判決が新しい判例となる可能性があることを示唆した発言のように思えました。
 判決で新判例が打ち出されるようなことがあれば、勝訴敗訴いずれにころんでも面倒なことになるな、というのがその時の率直な私の気持ちでした。




 (2)和解について
 まず被告の私だけが部屋に残されて、主任裁判官から、和解に応じるつもりがあるかどうか聞かれたので、原告を創価学会員と誤った点については、非金銭的な方法(謝罪・訂正等)であれば、和解を受け入れる余地がある。金銭的な方法についても、昼飯代くらいなら考慮できると答えました。(同裁判官が1万円くらいかと言うので、フレンチのランチ代ではあるまいし、1万円は昼飯代としては高すぎる、と答えました。)
 しかし、原告の捜査ミスを引用紹介したことについては、原告のためにもならないので、和解に応じるつもりはない、と付け加えました。(原告のように、係争対象たるコラム(の記述)の削除を求めないのは、名誉を金銭で売るに等しく、いかがなものかとも言っておきました。)
 次に、原告が私と入れ替わって主任裁判官等と話し合ったのですが、原告は和解に応じるつもりが全くなかったため、結局和解はなし、ということになりました。




 (3)今後の段取り
 10月3日の午後に弁論が行われ、その後また日にちをおいて判決、ということになりました。
 弁論が行われると言っても、これまで原告被告双方が提出した準備書面が弁論として正式に採択されるだけであって、実際に口頭で弁論が行われるわけではありません。
 どうやら判決期日は10月3日に言い渡されるようですが、強い関心をお持ちの方もおられるようなので、分かり次第コラムでご紹介させていただきます。