太田述正コラム#1402(2006.9.9)
<マクファーレン・マルサス・英日(その1)>(有料。ただし当初から公開)

1 始めに

 マクファーレンの2冊目の本、The Savage Wars of Peace---England, Japan and the Malthusian Trap, Palgrave Macmillan, 2003 の内容をご紹介しましょう。
 なお、この本は、1997年にBlackwell Publishers Ltd. から出版されたハードカバー版のペーパーバック版であり、ハードカバー版の時のIntroductionの前に新たにPrefaceが付されています。
 (ちなみに、既に2回にわたってご紹介してきた1冊目の本はハードカバー版であり、318頁であるのに対し、2冊目の本は427頁であり、いずれの本も一次資料に基づく研究成果というよりは、他人の研究成果をマクファーレンが適宜取捨選択した上で綜合したもの、と言った方がいいでしょう。)
 この本のテーマは、マクファーレンが言うところの、マルサスの二つの罠(Malthusian trap)から人類がどのように逃れることができたかを、人類史上最も早くこの罠から逃れた国であるイギリス(PP25)と、二番目にこの罠から逃れた国である日本とを比較しつつ論じたものです(注1)。

 (注1)マクファーレンは、イギリスと日本は、どちらも島国であるほか、「封建」時代を持ち、世界宗教のピューリタン的形態が見られ、それぞれの地域における産業化の先鞭を切ったといった点で大変良く似ているだけでなく、人口増加のパターンまで類似していて、どちらの国も生産力の増加と人口の増加との関係を早期に断ち切った点まで似ていることを発見して驚いた、と記している(PP6)。
     ちなみに、私は以前(コラム#54で)「イギリスは、<地理的意味における>ヨーロッパ諸国の中で、初めて人口増加と飢饉、疫病等による人口減少のくりかえしの悪循環から逃れることができた」と指摘したところだが、日本の人口動態をイギリスのそれと比較する視点は当時なかった。
 
 マルサスの第一の罠とは、戦争・飢饉・疾病、による人口減少の罠であり、第二の罠とは、第一の罠を逃れた場合に生じる人口増大が、新たに戦争・飢饉・病をもたらすという罠です(PP6??7)。
それでは、この本のさわりをご紹介しましょう。

2 英日はどのようにマルサスの罠を克服したか

 (1)戦争
 支那を例にとれば、13世紀のモンゴルの侵攻により、50年間で人口の約半分の6,000万人を失った(注2)。また、1660年代の清の侵攻時には、人口の17%にあたる2,500万人の人命が失われた。更に、1850年から1863年にかけての太平天国の乱では2,000万人の死亡者が出た(PP52)。

 (注2)イギリス(を含む地理的意味の欧州)と日本がモンゴルの侵攻を免れた意義は大きい。

 イギリスは基本的に島国であり、1066年以降、外敵による大規模な侵攻を受けたことがなく、また、国防のために大きな軍事力を維持する必要もなかった(PP53)。更に、たびたび内乱はあったものの、庶民まで内乱に巻き込まれて難渋したり死亡したりする、ということは基本的になかった(PP54)。
 他方、日本は完全な島国であり、外敵による大規模な侵攻を受けたことが一度もない、という希有な存在だ。しかも、イギリス同様、戦国時代のような内乱期はあったものの、やはり庶民が内乱に巻き込まれて難渋したり死亡したりする、ということは基本的になかった。(PP55??57)

 (2)飢饉
 イギリスで起こった最後の飢饉は、長雨による1315??16年の飢饉であり、当時500万人であったイギリスの人口の約10%の50万人の死亡者が出たのではないかという説もある(PP65??66)。
 日本に関しては、江戸時代に至るまで、飢饉に関する記録はほとんど見出すことができない。
 しかも、江戸時代の累次の飢饉については、それぞれ特定の地方におけるものであって、江戸・大阪・京都等の大都会に地方から飢えた庶民が押しかけたことも、これらの大都会で餓死者が出たこともないし、また、地方における飢饉死亡者の数字は各藩によって意図的に大幅に誇張されたものだ、ということが最近の研究によって明らかになりつつある(PP70??73)。
 これは、日本が、可耕地当たりの人口において、江戸時代、アジア一であったことを考えると驚くべきことだ(PP74)。
 イギリスと日本に飢饉による死亡者が少なかった理由としては、どちらも島国であって海産物を摂れたこと、気候が多様で変わりやすく、日照りや長雨によって全国が一律に被害を受けることがなかったこと(PP75)、前述したように戦争や内乱が少なかったこと、海や河川を利用した水運が発達しており、食糧の運搬が容易にできたこと(PP76)、農業生産性が高く、大きな都市人口を養ったり原始蓄積をすることができるような余剰があったこと(PP77??80)、イギリスでは16世紀末から、日本では江戸時代に入ってから、飢饉の際に政府が価格統制や食糧の放出等の飢饉対策を講じたこと(PP81)、地主が小作人を助けたり小作人が低金利でカネを借りられたりする社会制度が確立していたこと(PP82)、総じて言えば、イギリスも日本も周辺諸国に比べて豊かな国であり、そのことともあいまって、どちらも少なくとも14世紀以降、高度な市場経済が成立していたこと(PP82??83)が挙げられる。

(続く)