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太田述正コラム#1515(2006.11.18)
<産業革命をめぐって(その3)>(有料)

4 産業革命はなかった(詳論)

 (1)疑問の始まり

 1988年に英国に「留学」していた時、何班かに分かれて英国の国内研修旅行に行くことになり、私はイギリス中部を訪れる班に入りました。
 その時には、かつての大西洋貿易のメッカであり、ビートルズ発祥の地としても名高い港湾都市のリバプールや工業都市でロンドンに次ぐ人口を誇るマンチェスターやセラフィールド核燃料再処理施設、更にはピーターラビットの絵本の里である風光明媚な湖沼地帯(Lake Districts)を訪問したのですが、この旅で最も印象に残っているのが、ダービーシャーのアークライト(Richard Arkwright。1732??92年)が1771年につくった紡績工場(
http://www.massonmills.co.uk/。11月18日アクセス)の見学です。
 この外観は立派なオフィスビルのような工場に、当時のものとおぼしき、綿糸の紡績機(water-powere spinning frame)が無数に据え付けられていて、産業遺構の保存にかける英国人の熱意に目を見張ったのですが、紡績機の動力が、工場に接して流れている川の水だと聞いて、それまで自分が抱いていた産業革命のイメージが間違っていたことに気づいたのです。
 つまりその時までは、ワット(James Watt。1736??1819年)が発明した蒸気機関を動力として用いた紡績工場等の出現が産業革命である、というイメージを持っていたのですが、蒸気機関が出現するまでに水力を動力とする紡績工場が多数つくられていたとなると、人類の水力利用の長い歴史に照らせば、紡績工場の出現程度のことを産業「革命」と呼ぶことはできないのではないか、更には、その後に起こった、紡績工場等の動力の水力から蒸気機関への転換についても、それを産業「革命」と呼ぶのは大げさではないのか、という疑問が生じたのです。
 そこで、私は、さっそくこの疑問の解明に乗り出しました。

 (2)疑問の解明へ

 そこで、The Oxford Illustrated History of Britain, Oxford University Press 1984 にまずあたってみたのです。
 驚くべきことに、Industiral Revolution(産業革命)という言葉は、索引にも、また本文のいかなる章名にも、節名にも出てこないのです。
 さすがに、アークライトやワットについての記述は出てくる(PP427、428)のですが、それは、第8章のRevolution and the Rule of Law (1789-1851)の中なのです。
 しかし、年代をごらんになれば分かるように、このRevolution はフランス革命を指しており、産業革命を指してはいません。
 つまり、フランス等が革命に血道をあげている間に英国が一層法の支配にみがきをかけていた時代(!)を扱った章の中で、産業「革命」はエピソード的に出てくるだけなのです。
 そこでは産業「革命」について、次のようなことが書かれていました。

 産業革命という言葉が英国で使われるようになったのは、1881年にオックスフォード大学で経済史学者のアーノルド・トインビー(「歴史の研究」で有名なトインビーは彼の甥)が、Lectures on the Industrial Revolution という講義を行ったことに始まる。
 しかし、フランス革命を嫌悪の念を持って見ていた大部分の英国人にとって、フランス革命を連想させるような産業「革命」など、不適切用語以外の何物でもなかった。
 この産業革命という言葉が初めて著作の中で用いられたのは1827年のことであり、フランスの経済学者のブランキ(Adolphe Blanqui)によってだった。そして、この言葉が人口に膾炙するようになったのは、ドイツのマルクス(Karl Marx)が1848年の著書の中で用いてからだ。

(続く)

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