太田述正コラム#1703(2007.3.25)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その5)>



<太田>
 前回のコラム(掲示板の#197参照)に係る、読者とのやりとりを掲げます。
 事柄の性格上、公開させていただきます。



<島田>
>この場合、ventromedeial領域が病気で破壊された人間は、破壊されていない人間に比べて、赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す、という決断を下す確率が2??3倍に達するというのです。



 (ventromedial prefrontal cortex=VMPC=腹内側前頭葉皮質))       
 この手の実験でいつも思うのは、確率が2??3倍というのが有意な実験結果なのかという疑問です。
 VMPC領域に損傷している人でも「赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す」という選択をしていない人も大勢いるわけです。これをどう説明するのでしょうか?
 「VMPC(腹内側前頭葉皮質)という脳領域が、私達の道徳的な判断に関して【重要な】役割を果たしている」という命題はどう考えても論理的に成り立たないと思います。



 こんな実験で
>Yet the findings, appearing online yesterday, in the journal Nature, confirm the central role of the damaged region, the ventromedial prefrontal cortex, which is thought to give rise to social emotions, like compassion.



なんて言えるのでしょうか?
 「VMPC(腹内側前頭葉皮質)という脳領域が、私達の道徳的な判断に関して影響を与えている可能性がある」という程度のものでしょう。
 以上、傍論ですが。
 
<太田>
 人間の大脳には、損傷を受けた領域を他の領域が代替する機能が備わっています。
 脳梗塞で言語能力や身体能力が損傷を受けた患者がリハビリによってある程度回復することがその証左です。
 従って、たとえ確率が2??3倍でも、それが統計学的に有意でさえあれば、上記のような結論を導き出すことは可能であると考えます。



<バグってハニー>
 あのですね、ちょっと誤解が(先生のコラムにも)あるようなので補足したいのですが・・・。
 まず、どんな実験をしたのかですね。実験には三つの被験者群がいました。ventromedial prefrontal cortex(前頭前野腹内側部)に損傷のある人(実験群)、損傷のない人(ネガティブ・コントロール群)、別の部位に損傷のある人(ポジティブ・コントロール群)。
 それでまあ、いろいろ質問するわけです。例えば、5人の作業員の命を助けるために暴走列車の進路を転轍機で変えるか(その進路の先には別の一人がいてそれでもその一人は死ぬことになる)、貧乏のために娘を遊郭に売り飛ばすか、どうでもいい赤子を見殺しにするか、といった類の質問です。これらの質問に対してはどの被験者群も同じように答えます。つまり、5人のためだったら転轍機を操作する、娘を売り飛ばすなんてもってのほか、赤ん坊はたとえどうでもよくでも殺したりなんかしない、といった具合です。
 答えが大きく違うのは次の質問です。5人の作業員を救うためには自分がその場にいる誰か一人を線路に突き落とさなければならない、という質問です。二つのコントロール群がそれはしない、と答えるのに対して、前頭前野腹内側部に損傷のある被験者はそれをためらわない、と答えます。つまり、構造的によく似た質問では差が出ないのに、この自分が直接手を下すのかどうかで答えに大きな差が出るようになる、というのがこの実験のミソですね。
 違いが一点だけ出てくるのでその違いを脳の特定の部位に結び付けることができるわけです。言い換えると、健常な人にとって、少数を犠牲にして多数を救えるのは頭(損得勘定)では良いことだと分かってはいても、生身の人間を誰か一人直接自分で殺すのは到底できない、ということですね。それで、よく訓練された狙撃手でもどうたらこうたら、という話に繋がります。
 前頭前野腹内側部がこの「仲間(他の人間)を直接殺すことができない」という原始的な倫理観を司っているのではないか、というのがこの実験をした人たちの結論ですね(私、このDamasioと言う人だけ名前を聞いたことあります)。
 それでDamasio先生、記事の最後でこう言ってます。“A nice way to think about it is that we have this emotional system built in, and over the years culture has worked on it to make it even better.”前段は今言った通りの生得的な倫理観のことで、後段の文化を通して獲得する倫理観とは、多数のために少数を犠牲にする、ポルノを忌避する、赤ん坊を大事にするといった倫理観を指しているのではないでしょうか。
 つまり、「娘をポルノ産業でポルノ女優として...働かせることを是とするか非とするかは、サルと人間が共有する倫理感覚とは全く無関係である」と、太田先生同様、このDamasio先生も考えているわけです。むしろ、ポルノを忌避するのはヒトがサルではない、人を人たらしめている倫理観である、という風に考えているんじゃないでしょうか。
 まあ、私はアングロサクソン論をぶつ立場にはないですが、今までアメリカ人・文化を見てきて、この人たち人間は進歩し続けなければならないという強迫観念に取り付かれているような気がします。ポルノに対する態度はそういう強迫観念とよく合致していると思いますね。
 ところで、従軍慰安婦シリーズは「小林よしのりを英訳」とか言い出したときはどうなることかと思いましたが、いい感じになってきたと思いますよ。なんつうか、両者の論点がかみ合ってないんですよね(まあ、政治論争にはつきものですが)。ただ、相手の言い分、なぜそう主張するのか、目的は何なのかをよく理解せずに、論争に勝てるはずはないです。小林よしのりは、主張が一貫していず、反米が嵩じて左翼と迎合したりすることもあって、軍事オタク(私は”広義”の軍オタ)の間では非常に評判が芳しくないです。



<島田>
 解説どうもです。
 ネイチャーに30ドル払わなければ読めないので残念ですが、
http://www.nytimes.com/imagepages/2007/03/22/science/22moral_graphic.html
瀕死の人一人を捨てれば、救命ボートが沈没しなくてすむ場合、前頭前野腹内側部に損傷のある人は80%強、損傷のない人は20%強が捨てることを選ぶ、という実験結果を紹介した記事(太田))



 80%強がyesなんですね。これは驚き。
 即座に損得計算をして、感情に惑わされず(または殺して)に実行できる「軍事頭脳」「危機管理頭脳」みたいで、国防総省のマッドサイエンティストが喜びそう。



>答えが大きく違うのは次の質問です。5人の作業員を救うためには自分がその場にいる誰か一人を線路に突き落とさなければならない、という質問です。



 5人対1人と命の比較とか、質問の立て方が異文化的で面白いですね。自己犠牲の選択肢がないのも面白い。
 ただ、わたしはこの質問の状況が、いまいちレアルに想像できないのですが・・・



<太田>
 私は、大元のネーチャー誌にあたらず、NYタイムスとスレート誌の記事だけに拠って前回のコラムを書いているわけであり、NYタイムスとスレート誌がネーチャー掲載論文を正しく要約紹介しているかどうかは、私の関知するところではないことをお断りしておきます。
 その前提で、バグってハニーさんのご指摘を受け、この二つの私の典拠、とりわけNYタイムスを改めて読み返してみたのですが、



・・they had to decide whether to divert a runaway boxcar that was about to kill a group of five workmen. To save the workers they would have to flip a switch, sending the car hurtling into another man, who would be killed. <All・・groups>favored flipping the switch. All・・groups also・・would not send a daughter to work in the pornography industry to fend off crushing poverty, or kill an infant they felt they could not care for. But a large difference in the participants’ decisions emerged when there was no switch to flip ? when they had to choose between taking direct action to kill or harm someone (pushing him in front of the runaway boxcar, for example) and serving a greater good.



という肝心な箇所を、私は「誤解」することなく、正しく要約紹介していると思います。
 (コントロールグループの話や、スイッチ(転轍機?)の話をはしょったのは、適切な要約でしょ。)
 さて、「娘を売り飛ばすなんてもってのほか、赤ん坊はたとえどうでもよくでも殺したりなんかしない」と前頭前野腹内側部に損傷のある人も損傷のない人も同様に判断するというのですから、「娘をカネで売り飛ばす」ことと「人間を殺す」ことは同次元の禁忌だと米国人は考えていることになります。
 これは、前頭前野腹内側部での判断と損得勘定をする前頭葉の領域での判断に矛盾が生じ得ないケースということになりますから、「娘をカネで売り飛ばす」ことへの禁忌は前頭前野腹内側部での判断・・サルと共有する倫理感覚・・だということを意味します。
私は、米国の脳科学者達までがそう考え、実際に「娘を売り飛ばす」という想定の実験を行ったとは思いたくない・・そうだとすれば、慰安婦問題での日米間の対話など絶対に不可能だということになりかねない・・ことから、この記者の筆の綾ではないかとあえて記した次第です。
 また、結論の部分(下掲)をもう少し広く眺めると、



 The area probably adapted to help the brain make snap moral decisions in small kin groups ? to spare a valuable group member’s life after a fight, for instance. As human communities became increasingly complex, so did the cortical structures involved in parsing ethical dilemmas. But the more primitive ventromedial area continued to anchor it with emotional insistence on an ancient principle: respect for the life of another human being.
“A nice way to think about it,” Dr. Damasio said, “is that we have this emotional system built in, and over the years culture has worked on it to make it even better.”



 この箇所は、前頭前野腹内側部は「人間を殺す」ことへの禁忌に頑固に固執してきたものの、前頭葉の損得勘定をする領域を次第に発達させることで、人間はより複雑な判断を的確に下せるようになってきた、というDamasio博士の楽観的な考えを紹介したものである、と理解すべきでしょう。

(続く