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太田述正コラム#1718(2007.4.3)
<米国に過剰適応した日系人・フクヤマ>

1 始めに

 情報屋台の掲示板で行われているやり取り(太田掲示板に転載)を、私の投稿部分を中心に整理してみました。

2 フクヤマのコラム

 『歴史の終わり』の著者として有名なフランシス・フクヤマ(Francis Fukuyama。1952年??)が最近、「日本の勃興するナショナリズムは東アジアでの孤立を招く」と題するコラムを書きました。
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2007/03/28/2003354232/print
 このコラムでフクヤマは、自身が見聞した靖国神社の付属施設である遊就館で展示されている先の大戦の歴史観や、最近の慰安婦問題をめぐる安倍発言について触れた上で、次のように締めくくっています。

 「米国の戦略家たちは、日米安保を進めて中国を包囲するNATOのような枠組みをつくろうとし、そのために日本が憲法9条を修正することを支持してきた。しかし、米国は憲法改正の向かうところに注意をすべきだ。なぜなら、極東における米国の軍事的な正当性は、日本の防衛力を自制させるところに成り立っているのに、日本の新しいナショナリズムからくる憲法改正は、日本をアジアから孤立させることになりかねないからだ。ブッシュ大統領は、日本がイラク戦争を支えていたので、日本の新しいナショナリズムについて余計なことは言わなかった。しかし、日本がイラクから自衛隊を引き揚げたいま、ブッシュ大統領は安倍首相に直言をするのではないか。」

 このコラムを踏まえ、「要するにフクヤマは、米国はこれまで対中戦略を考えて、日本の憲法改正の動きを支持してきたが、安倍首相のような日本の新しいナショナリズムを放置しておくと、対中戦略もうまくいかなくなると、警告しているのだ。当然、そんなフクヤマは日本の核武装など認めないだろう。」と指摘する声があります。

3 私のコメント

 このコラムは私も前に読んでいますが、その時、フクヤマが、日本についてはどシロウトであることを発見して憐憫の念さえ覚えました。
 ここにも、慰安婦決議を推進している某米下院議員同様、米国に過剰適応した日本人がいた、ということです。
 というのは、このコラムの中でフクヤマは、1990年代初めまで(当時既に評論家として大変な人気を博していた)渡部昇一なる人物の存在を全く知らなかったが、渡部がフクヤマの「歴史の終わり」の翻訳者として日本の出版社によって指名されて初めて渡部を知ったと述べているからです。
 しかも、フクヤマは、渡部の名前をWatanabe Soichiと誤記しています。
 これは単なる校正ミスと片付けるわけにはいきません。なぜなら、フクヤマが知るところとなった渡部に対する批判がこのコラムの中でかなりのウェートを占めているからです(注1)。

  (注1)なお、私は渡部ファンではない。太田述正コラム#1694??1696で渡部氏のアングロサクソン論批判を展開したばかりだ。(未公開だが、太田掲示板で、「コラム#1694(未公開)のポイント」(以下同じ)と題して内容の概要を示してある。)

 以上から、フクヤマがいかに日本について無知であるかは明らかです。

 その日本は、1980年代終わりには、文字通り米国の経済的脅威となっていました。
 にもかかわらず、フクヤマは、日本を知ることを避け続けてきた、ということになります。
 どうりで、フクヤマは『歴史の終わり』などという早とちりでノーテンキな本が書けたのでしょうね(注2)。

 (注2)フクヤマが昨年の新著 ’After the Neocons'(邦題『アメリカの終わり』) で従来のネオコン路線と決別し、ブッシュ政権批判に転じた時、彼に対して投げかけられた批判は、同時に『歴史の終わり』に対する批判になっていて興味深い(
http://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,,1744735,00.html
(4月11日アクセス)、及び
http://www.slate.com/id/2137134/
(3月2日アクセス))。

 日本について全く土地勘がない、というか土地勘を持つことを頑なに拒み続けてきた人物(注3)が書いた日本についてのコラムなんぞ、われわれは聞く耳を持ってはいけないのです。

 (注3)何が彼をそうさせたのだろうか。
    英語のフクヤマについてのウィキペディアには、彼の両親(片方は日系米人、片方は日本人)についてどころか、彼が日系人であることすら出てこない。これは、フクヤマが自分の履歴に頑ななまでにこれらのことを記していないことを推測させる。それに、彼は日本語が全くできない。
    どうやら原因は、彼の両親にあるらしい。父は日系2世の宗教学者、日本人の母は京都大教授の娘であり、父方の祖父は戦前、日系人として強制収容されているが、家庭内の会話は英語であり、両親は、息子に聞かれたくない時だけ日本語を話したという(「フランシス・フクヤマ氏 『アメリカの終わり』を出版した米政治学者」2006年12月20日付朝日新聞)。

 このコラムの最大の問題は、次の個所にあります。

 「上智大学教授の渡部は、『ノーと言える日本』を書いたナショナリストの政治家石原慎太郎の共謀者だ。私は彼が大人数の聴衆を前にして、占領軍たる関東軍が支那を去るにあたって、満洲の人々は、日本への感謝の念から目に涙をたたえたと述べた。渡部によれば、太平洋戦争はつまるところ人種問題が原因だったとし、米国は非白人を貶めようとしたのだというのだ。つまり、渡部はホロコースト否定論者に相当する。」

 「ホロコースト否定論者(Holocaust denier)」という言葉が欧米でもつ意味(コラム#969等)をご存じの方は、これがおよそ人間に対して投げかけられる最大の悪罵であることを容易に想像できることでしょう。
 フクヤマが紹介している渡部の言は、もう10年以上日本の論壇をフォローしていない私としては、は本当に渡部がそう言ったのか知る由もありませんが、仮に渡部がそう言ったとしても、第一に、「太平洋戦争」の米人種差別原因論は、昭和天皇の考えでもあります。

 「<先の大戦>の原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の承認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。・・かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない。」(昭和天皇の1946年の発言。「昭和天皇独白録」文春文庫24??25頁)

 第二に、満州の(日本人以外の)住民の中で、敗戦で日本人が引き揚げる時に涙した人々がいても全く不思議ではありません。
 これに関連し、今上天皇は、日中戦争の原因が中国側にあると考えているとしか思えないことを付言しておきます(太田述正コラム#214、215)。

 しかも、フクヤマは、渡部を石原慎太郎の共謀者(collaborator)であると言っているのですから、石原都知事までホロコースト否定論者に相当すると言っているに等しいわけです。
 これらは許しがたい暴言であって、渡部の数多くのファンのみならず、(私自身は石原に票を投じたことは一度もないけれど、)石原を都知事に選んできた東京都民、ひいては日本国民に対する侮辱です。
 フクヤマ自身は、全くそんな気はなかったでしょうが、論理的には、昭和天皇までホロコースト否定論者呼ばわりをしたことになることを考えればなおさらです。
 この一点だけでも、このコラムはゴミ箱に投棄されるべきでしょう。

 恐らく、フクヤマは、米国の学校の教科書に書いてある、「太平洋戦争」についての歴史観をうのみにしているのであって、この点に関しては全く思考停止状態にあるのでしょう。
 私が、フクヤマが「過剰適応」であると言ったことがご理解いただけたでしょうか。
  

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