太田述正コラム#1819(2007.6.18)
<いまだに健在な吉田ドクトリン>

 (本篇は、情報屋台への出稿を兼ねており、即時公開します。)

1 始めに

 まずは、次の一連の引用をご覧ください。

 A:先月、・・朝日新聞は、21世紀の新たなビジョンについて論じた21の社説の中で、憲法第9条の修正に反対し、その代わり日本の国会が自衛隊の合憲性を認める決議を行うことを提案した。朝日は、日米安保条約が日本の安全保障の基盤として意義があることを認めつつも、日本に集団的自衛権があるとする考えを否定した。
 興味深いことに、憲法第9条を堅持する理由の一つとして、朝日は、米国からの「有志連合」による軍事行動に加わるように促す圧力に、日本がよりうまく抵抗することを可能にするであろうことを挙げている。(
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2007/06/14/2003365250
。6月14日アクセス)

 (注)'Diet <should> legalize the role of the Self-Defense Forces'をこう訳してみた。何しろ、朝日の社説そのものを読んでいないので・・。

 B:安倍さんは「器量」が足りない・・安倍内閣に対する支持率の急落は驚きですが、国民が安倍政権の危うさに気付いてきたのではないでしょうか。考えて見れば、憲法改正や集団的自衛権の見直しなどの保守的イデオロギーのごり押し、「宙に浮いた年金」での対応のまずさ、松岡農水相を自殺に追い込んだ無神経さなどを見れば、支持率が下がらない方がおかしいかもしれません。(朝日新聞論説委員高成田享)(
http://johoyatai.com/?page=yatai&yid=50&yaid=475
。6月17日アクセス)。

 C:集団的自衛権に関する政府の有識者会議は、公海上での米軍艦船防護を「集団的自衛権行使」と位置付けた上で実施可能とするよう求める方向だ。これに対し・・公明党の北側一雄幹事長は「有識者会議で決めることではない」と不快感を示し、集団的自衛権行使を禁じた 憲法解釈見直しは国会が判断することだと強調。その上で「わが党の立場は変わっていない」と、行使を容認しない姿勢を重ねて示し有識者会議の議論に異を唱えた(
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007061701000236.html
。6月18日アクセス)

 D:日本国は専守防衛国家であり、侵攻用戦力は特に必要が無い。・・自衛隊は・・侵攻型軍隊ではない。(JSF)(
太田述正コラム#1817)

2 引用についての補足

 Bの筆者は、Aの執筆陣のうちの一人なので、だぶっていますが、情報屋台に敬意を表してBを採り上げさせていただきました。
 Dの筆者は誰かって?
 このところ、日本の軍事愛好家の皆さんと、愉快な議論を交わしているのですが、彼らの代表格の人です。
 ハンドルネームがJSFと自衛隊の略称であることからも想像できますが、私は、彼は自衛官であるか自衛官の多くと同様のメンタリティーを持った人物であると受け止めています。またこのことは、日本の軍事愛好家全体についても多かれ少なかれ当てはまる、という印象を持っています。

3 私のコメント

 (1)頭の整理

 さて、A〜Dに共通しているように見えるのは、日本が攻撃的能力を持つこと、ないし集団的自衛権を行使すること、への反対という点です。
 その彼らに、まず初歩の初歩として分かって欲しいことは、憲法第9条と日米安保条約のそれぞれの存在根拠と両者の関係です。

 まず、日本の戦略的環境と米国のそれとは似通っており、北米大陸ほどではないとしても、日本列島への直接的軍事脅威は(核弾道弾を除いて)ほとんどないということを理解して欲しいものです。
 とはいえ、だからといって日本が軍隊を持つ必要がない、ということには必ずしもなりません。
 旧帝国陸海軍がそうであったように、また、米軍がそうであるように、外征軍としての軍隊を持つという選択肢はありえます。戦後の日本政府も、日本にとって外征軍としての軍隊は必要であるという認識においては変わりありません。
 吉田茂が首相として、憲法第9条を容認するとともに、その一方で日米安保条約を締結したのは、当分の間、経費節約の観点から、日本自身は日本列島防御のための軍隊はもちろんのこと、外征軍としての軍隊も持たず、その代わり、もともと外征軍であるところの米軍に日本の外征軍としての機能を事実上代替してもらおう、という魂胆からです。

 その吉田にとって計算外だったのは、朝鮮戦争が勃発したことです。
 この時、米国から日本に再軍備要求がつきつけられたため、日本も軍隊らしきものを持たざるをえなくなります。
 そこで吉田は、米国の要求した軍隊の規模を値切りに値切った上、外征軍としては使い物にならない軍隊もどきをつくります。これが後に自衛隊になるわけです。
 外征軍として使い物にならないというのは、自衛隊に攻撃的能力を持たせないということです。しかし、それでもなお、自衛隊が米軍に組み込まれる形で外征軍として使われる可能性が残ります。そこで日本は、海外派兵はできない、集団的自衛権は行使できない、という憲法「解釈」をひねり出し、ここに自衛隊が外征することが絶対にない態勢が整うのです。

 さて、米国と日本のそれぞれの戦略や国益が常に一致することはありえないにもかかわらず、日本は自らの戦略や国益を追求するための自らの手段(軍隊=外征軍)を持たないのですから、日本は、米国の戦略や国益を即自分のものとして受け容れなければならないところの、米国の保護国、属国ということにならざるをえません。
 ですから、誇り高い吉田は、この政策が早晩廃棄されることを心から願っていました。
 ところが吉田の願いに反して、この政策は廃棄されるどころか、吉田の不肖の弟子達によって、吉田ドクトリンとして恒久化してしまうのです。

 (2)コメント

 A〜Dでは、この吉田ドクトリンが今後とも堅持されるべきであるされているように思いますが、私は全く同意できません。
 きちんと批判すると長くなりすぎるので、ここではごく簡単な批判を加えるにとどめます。
 
 Aは、吉田ドクトリンを堅持すれば、「米国からの「有志連合」による軍事行動に加わるように促す圧力に、日本がよりうまく抵抗」できると主張していますが、それならば、米国を中心とする「有志連合」に、保護国日本が自動的に賛成し、自衛隊の派兵こそしないけれど、米国に言われるがままに、「有志連合」にカネを出し後方支援をする現状をこのまま維持すべきなのでしょうか。
 米国を中心とする「有志連合」による軍事行動に反対するフリーハンドを得たいのであれば、日本は、吉田ドクトリンを廃棄し、集団的自衛権を行使できるようにし、自衛隊を攻撃的能力を持ったものに改造し、米国からの独立を果たさなければならないのです。
 Bについては、別途批判する必要はなさそうです。
 このところ、朝日の論調はかなり「まとも」になりつつあります。
 朝日のクォリティーは日経と並んで日本のメディアの中では良い方です。それだけに、朝日には無視できない影響力があります。
 その朝日の人々に安全保障問題への理解を一層深めてもらうためにも、私の説得努力を続けようと思っています。

 Cについては、安全保障問題に全く関心がない日本の大半の国民、とりわけ女性の心情が投影されており、理屈で説得するのは容易ではありません。

 また、Dでも吉田ドクトリンの堅持が当然視されているように見受けられますが、ほとんど存在意義がなく、絶対に実戦で血を流すことのない自衛隊において、高度で高価なオモチャ(武器)を使ったお遊び(訓練)を楽しみながら、そこそこ給料もよくてしかも安定したサラリーマン生活を送りたい、だから吉田ドクトリンを堅持して欲しい、という大半の自衛官の無理からぬ心情がDには投影されている、と私は見ています。
 半ば確信犯であると見られる彼らを説得するのもやはり容易ではありませんが、引き続き説得努力を続けたいと考えています。

 では、この朝日・一般国民・自衛官等からなる「有志連合」に包囲されているところの、安倍首相及びその周辺の「タカ派」自由民主党議員達だけはまともなのでしょうか。
 そうとも言えません。
 踏み絵は、憲法改正や憲法解釈変更と政権の維持のどちらを彼らが優先するかです。
 自民党内の吉田ドクトリン堅持勢力や同じく吉田ドクトリン堅持勢力たる公明党との野合を続けている限り、彼らを信用するわけにはいきません。
 そもそも、彼らの属する自民党は、結党以来憲法改正を党是に掲げてきたにもかかわらず、戦後三分の二世紀も経過した現在、いまだ憲法改正どころか、憲法解釈変更すら実現させていません。
 そんな自民党に、(上記とは違って)志のある自衛官は愛想づかししています。
 だからこそ、自民党に自衛官出身の国会議員がいなくなって久しいのです。

 それでも、私は決してあきらめません。