太田述正コラム#1780(2007.5.25)
<法王またもや失言>(2007.7.8公開)

1 始めに

 就任以来、失言を繰り返してきた法王ベネディクト16世(Joseph Alois Ratzinger。1927年〜。コラム#701参照。イスラム教を「侮辱」した失言と弁明については、コラム#1409〜1411、1415参照)がまたもや失言をやらかしました。この失言について、例によって法王は弁明する羽目になりました。今回は、このことをご説明しましょう。

2 法王の失言

 ブラジル訪問時の5月13日に、法王は、15世紀の欧州の冒険家達の新大陸への到着について、それが「信仰と原住民」の「出会い」であったと語りました。
 そして、「イエスと福音の顕現は、コロンブス以前の諸文化の疎外を伴うものではなかったし、外国文化の押しつけでもなかった。」とし、新大陸の人々は、それまで自覚しないまま、キリストを「静かに希っていた」のであって、「彼らの諸文化を豊かにし、純化する」ためにやってきた「精霊を喜々として受け容れた」と語ったのです。

 しかし、私自身、以前(コラム#148で)、「新大陸への・・キリスト教(カトリック)・・布教経費はスペイン王室が負担・・し・・たし、原住民のカトリックへの改宗は、しばしば死を伴う暴力によって強制され・・た・・。やがて異端審問所も新大陸に設置されるに至<る>・・。布教者サイドが富を集積することもめずらしくなく、イエズス会などは、一時期、新大陸における最大の地主になったほど<だ>・・。」と申し上げたところです。
 この際、付言しておきましょう。
 1455年の法王布告(papal decree)では、ポルトガルが、アフリカ沿岸の「サラセン人等の異教徒達を侵略し、探しだし、捕獲し、征服し、服属させ、」その上で奴隷にし、財産を奪うことを認めました。
 また、コロンブスが新大陸への旅から帰った1493年に、法王アレクサンドル(Alexander)6世は、三つの布告を発出しています。
 第一の布告は、原住民がいることが分かっていたというのに、「他の者によって発見されなかったがゆえに」、コロンブスが発見した土地をスペインが領土にすることを認めたものです。
 第二の布告は、スペインが、将来発見するであろうすべての土地を、それが以前キリスト教徒によって所有されたことがない限り。領土にすることを認めたものです。
 第三の布告(Inter caetera II)は、北極から南極まで線をひき、全世界でそれより西側で発見された全ての土地を、キリスト教の普及に資するとの観点から、スペインが領土にすることを認めたものです。
 このような歴史があるだけに、冒頭の法王発言は、厳しい批判を招きました(注1)。

 (注1)5月9日、ブラジルに向かう機中で、早くも法王は失言に近い発言を行っている。彼は、妊娠中絶を認めるカトリックの政治家を破門したメキシコの司教達に同意すると述べたのだ。大騒ぎになり、翌日、法王の側近が、法王はあくまでカトリック教会法の一般論を述べたに過ぎないと弁明した。

 ペルーの原住民団体連合会は、「いわゆる伝道(evangelization)は暴力的に行われ、カトリック以外の宗派は迫害され残酷に弾圧された」ことを法王は知るべきだ、と記した公開書簡を法王に送りました。
 また、エクアドルの原住民団体の代表は、「当時のカトリック教会の代表者達は、一部の栄誉ある例外を除き、人間の歴史の中で最もおぞましいジェノサイドの一つの共犯者であり、欺瞞者であり受益者であった」と語りました。

 ベネズエラのチャベス大統領(コラム#732、733)は、法王に謝罪を求めました。
 「武器と血でもって来訪した以上、伝道が強制されたものではなかったとどうして法王は言えるのだ。・・この地の原住民の殉教者達の骨はいまだに燃え続けている」と。
 チャベスの怒りに油を注いでだのは、法王が、やはりブラジル訪問時に、事実上チャベスを批判する発言を行ったからだと考えられています。そのチャベスは、カトリック教会を批判し、イエスは「史上最も偉大な社会主義者だった」と言った人物です。
 チャベスの盟友であるボリビア大統領のモラレス(Evo Morales)は、ボリビア最初の原住民出身の大統領ですが、カトリック教会は、「祈るのか政治に関与するのか」決めるべき時期に来ている、と語りました。
 このボリビアの副大統領であるガルシア=リネラ(Alvaro Garcia Linera)は、前法王ヨハネ・パウロ(John Paul)2世は、1992年の南米訪問時に、原住民の代表者達と面会し、原住民と(アフリカ出身で拉致されて新大陸に連れてこられた)奴隷をカトリックに改宗させるにあたって過ちがなされたことを認めたというのに、現法王にも困ったものだと語りました。

3 法王の弁明

 上記発言について沈黙を保っていた法王は、10日も経った5月23日になってようやく、ローマでのイタリア語での説教の中で、めずらしくも盛んに英語を交えつつ、以下のように弁明しました。

 「植民者達によってその基本的人権が蹂躙されたところの、原住民が被った苦難と不正義を忘れることはできない。・・栄光の過去の記憶があるからといって、ラテンアメリカ大陸伝道の営みに伴う陰の部分を無視することはできない。だからといって、これらの罪を認識するからといって、宣教師達によって成し遂げられた善が傷つけられるわけではない。すなわち、このことに言及することは、数世紀にわたって人々の間に神の恩沢によって成就した様々な素晴らしいことを喜び、認めることを妨げるものではないのだ」と。

 法王は、弁明はしたけれど、決して謝罪はしていないことにご注意下さい。

 この弁明に対し、ブラジルのアマゾン地区の原住民団体連合会の代表者は、「われわれの文化的遺産を劣ったものとみなすのは傲慢で無礼である」と非難しました。
 また、ブラジルの高名な歴史家のアレンカストロ(Luiz Felipe de Alencastro)は、「植民地化の過程は、アメリカ大陸の文化の破壊だった。・・欧州の君主制の権威主義的にして専制的な要素を体現した宗教に宣教師達は奉仕していたのだ」と吐き捨てました。

4 コメント

 カトリック教会は、古代ローマ文明と欧州文明をつなぐ(私の言うところの)プロト欧州文明の担い手(トレーガー)であり(注2)、本来とっくの昔に歴史の表舞台から退場していてしかるべきところ、いまだに世界にわたって、有力な宗教的・政治的アクターの一つとして「活躍」している化け物です。

 (注2)ローマの王政時代の紀元前600年前後にスブリカス橋(Pons Sublicus)がローマのティベル河に架けられたが、法王のローマ司教としての正式呼称であるpontifex maximusは、この「橋の建設主任」という意味だ。(
http://library.thinkquest.org/26602/monarchy.htm
。5月3日アクセス)

 カトリック教会が今日まで生き残れたのは、あえて申し上げれば、常に権力者の側に立ってその民衆支配を正当化し、権力者の力と富のお裾分けにあずかってきたからです。
 ラテンアメリカについて申し上げれば、その植民地化の時がまさにそうであったことは上述したところですが、現在においても、この地域で盛んな解放神学(Liberation Theology)・・弱者の側に立ったカトリシズム・・をカトリック教会は敵視してきました。
 そして、その先頭に立ってきたのが、枢機卿時代以来の「理論家」たる現法王なのです。
 このままでは、法王はカトリック教会の衰亡をもたらしかねず、私に言わせればそれは大いに結構なことなのですが、残念ながら。既に80歳の法王に残された時間は余りありません。
 私の期待は、ここでも裏切られそうです。
 
 (以上、特に断っていない限り、事実関係は、
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-pope23may23,1,1758361,print.story?coll=la-headlines-world&ctrack=2&cset=true
(5月24日アクセス)、
http://www.time.com/time/printout/0,8816,1625275,00.html
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-pope24may24,1,2872475,print.story?coll=la-headlines-world
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-miller24may24,0,3567983,print.story?coll=la-opinion-rightrail
http://www.nytimes.com/2007/05/24/world/americas/24pope.html?pagewanted=print
http://www.guardian.co.uk/pope/story/0,,2087937,00.html
(いずれも5月25日アクセス)による。)