太田述正コラム#1782(2007.5.27)
<英国・日本・捕鯨(その2)>(2007.7.14公開)

3 米国の裏切りと日本の捕鯨

 (1)記事Aの概要

 1982年に国際捕鯨委員会で捕鯨禁止が決まり、すべての商業捕鯨が1986年に終わることとなった。
 これは環境保護団体の全面的勝利と言ってよかったが、現在、ノルウェーとアイスランドは商業捕鯨を行っているし、日本も、科学的調査と称して捕鯨を行っている。
 一体どうしてそんなことになってしまったのか。

 日本は、絶滅に瀕していない鯨種まで捕鯨が禁止されたことに怒りを募らせていた。
 そもそも、かつて日本よりはるかに大量の捕鯨を行ってきた英国や米国から、日本が鯨を絶滅に追いやろうとしていると非難されてきたことに、日本は割り切れない思いを抱いていた。
 そこで日本は、ノルウェー、ペルー、ソ連とともに、捕鯨禁止の適用除外を宣言した。
 これは国際捕鯨委員会加盟国の権利として認められていたことだった。(ノルウェーは、この宣言を踏まえ、商業捕鯨を続けて現在に至っている。)

 しかし、日本にとって不幸なことに時期が悪過ぎた。
 先の大戦において叩きつぶした日本が、経済大国となって米国を脅かし始めたことに対する反発が米国で強まっていたのだ。

 このムードに乗ずる形で、米国の環境保護団体は、米国民、米国の政治家達、そしてレーガン政権に働きかけ、日本に対して捕鯨を止めるように圧力をかけさせようとした。
 当時、米国には、国際的な環境保全協定を遵守しないとみなした国の米国の経済水域内での漁獲割り当てを減らすことができることとした法律(The Packwood-Magnuson Amendment)と、好ましからざる国に対して経済制裁を科することができることとした法律(Pelly Amendment)があった。
 そして、日本は、アラスカ沖を中心とする米国の経済水域で年間100万トン以上の漁獲高を挙げていた。1983年には4億2,500万米ドル相当の漁獲高があったと算定されている。
 1984年末には、環境保護団体が連合して、レーガン政権に、上記2法律を日本に対して発動するように求める訴訟を提起した。
 しかし、レーガン政権はこの訴訟を無視して日本政府と交渉し、日本は上記適用除外宣言を撤回し、1988年に捕鯨を止め、米国は上記2法律を日本に対して発動しない、というラインで両国は合意した。
 1986年6月には上記訴訟の米最高裁判決が下され、米国政府は日本政府と合意を交わす権限があるとされ、環境保護団体は敗訴した。
 その翌月、日本は上記適用除外宣言を撤回した。
 この時点では、日本は本当に捕鯨を止めるつもりであったと思われる。

 ところが、米国の漁業者達は、環境保護団体等と一緒に、日本の漁法がネズミイルカ、アザラシ、鳥に危害を加えているとして、米国の経済水域から日本の漁船を閉め出すよう求めて訴訟を提起した。
 米国政府は、日本の漁獲割り当てを1985年の90万トンから、翌年には半分にし、翌々年には10万4,000トンまで削減した。そして、1988年には割り当てをゼロにした。
 日本政府や日本の漁業者達は、米国にだまされたと怒り狂った。

 数ヶ月も経たないうちに、日本は、科学的調査のための捕鯨を始めると宣言した。
 そして、彼らは、米国と英国にぶったたかれ続けてきたけれど、正義は自分達の側にあるとし、絶対に白旗を掲げることなく頑張ることを心に誓ったのだ。
 どうやら、環境保護団体はやり過ぎて、日本を心底怒らせてしまい、一旦捕鯨をあきらめた日本にUターンをさせてしまった、というのが真相のようだ。

 (2)私のコメント

 以前確か、捕鯨問題での対米抵抗こそ、意識するとせざるとにかかわらず、日本が米国の保護国的な国の在り方からの脱却を期して行った最初の動きである、と申し上げたことがあるはずです。
 この記事を読んで、皆さんもこの私の指摘はもっともだと思われたのではないでしょうか。

4 総括的コメント

 このBBCの二つの記事は、米国のメディアならぬ英国のメディアだからこそ書けたと私は思います。
 だから私は英国が好きなのです。

(完)