太田述正コラム#1623(2007.1.17)
<1956年の英仏統合提案>(2007.7.21公開)

1 フランス首相の提案

 元英語教師で先の大戦中レジスタンスの闘士であったフランスのモレ(Guy Mollet。1905〜75年。首相:1956〜57年)首相は、1956年9月にロンドンを訪問し、英国のイーデン(Anthony Eden。1897〜1977年。首相:1955〜57年)首相に英仏両国の統一を提案しました。
 両国とも、もともとはケルト人の国なのだから一緒になってもおかしくないし、統合した場合、フランスとしてはエリザベス女王が元首で異存はない、というのです。
 イーデンはこの提案をその場で断りましたが、同じ月にイーデンがパリを訪問した際、今度はモレはフランスを英連邦(Commonwealth)に入れて欲しいと言い出し、さすがにイーデンも一旦は前向きの返事をします。
 
2 この提案の背景

 当時フランスは経済的困難、スエズ危機、及びアルジェリア戦争という三重苦に直面していました。
 特に、エジプトのナセル(Gamal Abdel Nasser。1918〜70年。大統領:1956〜70年)大統領によるスエズ運河の国有化とアルジェリアの民族解放戦線への支援をモレは憤っていました。
 またモレは、当時イスラエルとヨルダンの間で緊張が高まっていることに憂慮の念を抱いていました。フランスは親イスラエルで英国は親ヨルダンであり、現地でフランス軍と英軍が衝突する懼れがあったからです。
 だからモレは、先の大戦で緊密に連携した英国との関係の強化を図るとともに、英国の支援を得る必要があると考えたのでしょう。
 たまたまモレは、その経歴からも分かるように根っからの親英派でしたし、両大戦における英国のフランス支援に感謝していました。しかも、社会主義者として、英国の進んだ福祉制度に敬意の念を抱いていました。
 ところがその後、英仏両国は、スエズ戦争(第二次中東戦争。実態は対ナセル戦争)をイスラエルとともに起こしたものの、米国にハシゴをはずされて目的を何も達成できないままエジプトから撤収する羽目になります。
 このこともあって、フランスの英連邦入りの話も立ち消えになります。
 翌1957年にフランスはドイツとともに欧州共同市場(EEC)・・後にEUに発展する・・の創設メンバー国となり、他方英国は創設メンバー国にはならず、両国は異なった道を歩むことになるのです。

3 反響

 以上は、英国の国立公文書館で20年も前に秘密解除になっていた公文書が最近日の目を見たことで明らかになったことなのですが、フランスの有識者のほとんどは、当惑気味です。
 モレの提案が屈辱的であると受け止められたのでしょう。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/france/story/0,,1991309,00.html
及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6261885.stm
(どちらも1月16日アクセス)による。)
 フランス人の受け止め方が良く分かるのが、モレについてのウィキペディアの英仏独三カ国版の本件の取り上げ方の違いです。
 すなわち、英語版とドイツ語版では、早くも本件に言及しているのに、三カ国版の中で、一番分量の多いフランス語版では全く言及していません。
 (以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Guy_Mollet
http://fr.wikipedia.org/wiki/Guy_Mollet、及び
http://de.wikipedia.org/wiki/Guy_Mollet
(いずれも1月17日アクセス)による。)
 また、当然のことかもしれませんが、上記のいずれよりも分量の多いイーデンについてのウィキペディアの英語版(
http://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Eden
。1月17日アクセス)にも本件への言及はありません。
 これだけ見ても、モレの英仏統合提案は無理筋だったな、と思います。
 興味のある方は、本件に関する英BBCの投稿欄(
http://newsforums.bbc.co.uk/nol/thread.jspa?threadID=5233&&&edition=2&ttl=20070116042143
)も覗いてみてください。