太田述正コラム#1628(2007.1.20)
<戦前の米国の対英戦争計画(続々)(その1)>(2007.7.25公開)

<バグってハニー>
 当時の日本はまだ小国でして、大国ロシアに比して国力は貧弱そのものであります。19億円(当時の国家予算の4倍に相当)にも上る膨大な戦費はどうやって調達したか知ってますか?7割は国債発行で賄い、残りは増税です。詳しい数値は
http://diep.u-gakugei.ac.jp/output/002009002/Data.htm
 もちろん、国内市場も小さいですから、そのうち半分は外債です。そして、それを引き受けたのがシフやロスチャイルドと言った米英のユダヤ系資本家で、米国で先頭で音頭を取ったのがセオドア・ルーズベルトですよ。日露戦争は米国が不当に介入したというよりも、そもそも米国の支援がなければ継続するのは不可能な戦争でした。ポーツマス条約にしたって、伊藤博文が金子堅太郎をルーズベルトのもとに送り込んで行った対米工作が功奏したのであって、開戦直後から日本はすでに講和を模索していたわけです。ここら辺りが理想と現実をバランスさせる明治の政治家の本領です。ちなみにルーズベルト大統領は金子の持参した新渡戸稲造の武士道をいたく気に入り、部下や家族に配って回ったそうです。朝河はこれらの事実を知らないか、無視したのでしょう。

<太田>
 まず、セオドア・ローズベルトについて、帝京大教授で元産経新聞編集委員の高山正之氏の書いておられるものを見つけたのでご紹介しておきましょう。

 セオドア・ルーズベルトを多くの日本人は親日家だと信じている。ホワイトハウスに畳を入れて柔道をやったとか、『日露戦争』では継戦能力のない日本のために講和の労を取ってくれたとか。しかし彼の本音は全く違い、日本を叩き潰すことにあった。
 そのきっかけは1893年、米国のハワイ王朝乗っ取りだった。米戦艦ボストンがリリウオカラニ女王の宮殿に砲口を向け、彼女を退位させた直後、日本の巡洋艦『浪速』と『金剛』がホノルルに入り、米戦艦をはさむように錨を下ろした。米国の横暴を牽制したもので、米国はハワイの併合を断念、ハワイ共和国という体裁を取った。巡洋艦の艦長は東郷平八郎といい、彼は翌年もホノルルにやってきたが、同共和国の建国1周年を祝う礼砲要請を『その要を認めず』と断った。『錨泊中の他国の艦船も彼に倣いホノルル港はあたかもハワイ王朝の喪に服したようだった」と地元紙が報じている。共和国は報復に日系移民の帰化を拒否した。
 東郷の行動を見た米海軍省次官ルーズベルトは1897年3月、友人に『できることなら今すぐにハワイを併合し、ニカラグア運河を完成させ、日本を凌ぐ軍艦を建造したい。私は日本の脅威をひしひしと感じている』と書き送っている。
 (以上、Aによる。)
 そのために彼は新聞王のハーストと組み、世論を焚きつけて翌98年に『米西戦争』を起こし<た。>(A)「<その時、>友人のアルフレッド・マハンの言葉を入れ、太平洋戦略の基地としてスペイン領フィリピンの奪取作戦も<行った>。スペインに抵抗していたアギナルド将軍<を>、独立支援を餌に<味方につけ、後で裏切るということもやっている>。米上院へのレポート<には、フィリピン人>20万人が殺された<と記されている。>(B)<こうして米国は西太平洋で>グアムとフィリピンを手に入れた。(A)
 <ルーズベルトは、>脅威の日本人を米国から追い出す作業も始めた。その1つが、米国に併合を済ませたハワイの日系人の本土移住の禁止措置だ。ハーストの新聞も一役買って反日キャンペーンを展開する。『日本人は怠け者で売春や賭博にふける』とか『白人の知恵を盗む』とか『貯蓄して米社会に還元しない』とか思いつく悪口をすべて並べ立てた。結果、日系人の子弟は学校から締め出され、土地所有を禁じられ、市民権の取得も拒否された。(A)
 彼は<1902年に大統領に就任すると、ただちに>、フィリピン領有の次の太平洋戦略の手を打っ・・・た。コロンビアの一州を煽動して、反政府独立運動を起こさせる。彼はそれをキューバのときと同じように、「自由を求める人々に」手を差し伸べて独立支援をする。独立した州に、米国はその返礼として運河用地の租借を要求する。これが、大西洋艦隊が太平洋にすぐ回航できるためのパナマ運河である。(A)
 <1904年に>日露戦争が起き、<やがて>日本海海戦の勝利が伝わると、ニューヨーク・タイムズは「制海権を握った日本はウラジオストックを取って、この戦争を終わる。ロシアはシベリアの半分を割譲するだろう」と伝えた。それぐらいが近代戦争の相場だった。 ・・・その記事の出た翌日、ルーズベルトは日露講和の斡旋を名乗り出る。そしてポーツマス条約にいたるが、そんな人物が、真剣に日本のためになる講和をやるだろうか。しかし、日本は愚直にも彼の善意を信じた。その結果が、賠償金は一銭もなし、領土割譲もシベリアなどとんでもない、わずかにロシアがもっていた満州の権益だけに終わった。(B)

A:http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe150.html (1月20日アクセス。以下同じ)からの孫引き
B:http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/00083.HTM

 ここには掲げませんでしたが、高山氏は、ローズベルトが大統領の時にオレンジ計画をつくったと書いておられました。正しくは、ローズベルトは海軍次官(副長官)の時に後にオレンジ計画に発展するところの米海軍の対日作戦計画をつくった、です。
 こういうところから見て、高山氏の書いておられることには、細部の事実関係の誤りが他にもあると思われますが、大きな流れの描写としては、高山氏の書いておられることは正しいと思います。

 さて、日本の戦費調達のための国債の引き受けにローズベルトが尽力したという話は、バグってハニーさんが示された典拠にしか出てこないので、棚上げすることとし、有名な、新渡戸「武士道」に関わる話はどう考えたらよいのでしょうか。
 新渡戸自身が、「ルーズヴェルト大統領がみずから本書を読まれ、かつ友人の間に配られたということを聞く・・・」と言っています(『武士道』岩波文庫 14〜15頁)し、井口朝生『新渡戸稲造―物語と史蹟をたずねて』(成美堂出版1996年)にも、「セオドール・ルーズヴェルトは、この本を読んで非常に感銘を受け、さらに60冊も買い求めて子供や友人に贈り、愛読をすすめたばかりではなく、アナポリスの海軍兵学校、ウエスト・ポイントの陸軍士官学校の生徒たちにも読むようにすすめたということである。」(139頁)とあります。
 そもそも、ローズベルトはハーバード大学の同窓生である金子堅太郎と親友であった(
http://shuyu.fku.ed.jp/syoukai/rekishi/kaneko.htm
)ことからしても、ローズベルトが日本人や日本に対して親近感と敬意を持っていたことは確かだと思います。
 しかし、米国人一般が旧宗主国であるイギリスやイギリス人に対して親近感と敬意を持っていたことと、先の大戦直前に至るまで米国が一貫して英国(イギリス)を仮想敵国の第一としてきたこととが矛盾がない以上に、米国の指導層の一部が日本に親近感と敬意を持っていたことと、米国が当時、日本を英国に次ぐ仮想敵国としていたこととは矛盾がないのです。
 朝河貫一の『日本の禍機』を注意深く読むと、このことが良く分かります。
 
(続く)