太田述正コラム#1629(2007.1.20)
<戦前の米国の対英戦争計画(続々)(その2)>(2007.8.1公開)

 朝河は、「昨年末<の>米国社会学会の年会における、・・・論者は皆当国大学の教授なりしが、余一人の論を除きては、皆東洋人をもって根本的に西洋人と異なるものとなせり」(183頁)と嘆いています。もちろん日本人も東洋人です。
 当時の米国の知識人すらこんな考えだったのですから、米国の民衆が黄禍論の虜になるのも当然だったのです。
 民意がそうである以上は、日本移民が「農商工業の要地を占めんと・・・せば・・・経済的と人種的との感情の結合は、きわめて自然にして極めて強大な<るがゆえに、>政府または法令の力にてこれを圧迫し去らんとするがごときははなはだしき無謀にして、かえりて急速にこれを増進せんのみ。況や米国のごとき民主国においてをや」(198頁)と、朝河はローズベルトが日本移民排斥に与したことに理解を示しています。
 そのローズベルトが、日本移民排斥に与しただけでなく、米海軍を増強するのは移民を排斥するために海軍力が必要であるからだと述べ、(彼個人は日本および日本人に敬意と親近感を抱いていながら、)黄禍論ないし日本移民排斥論を、あえて海軍力増強の口実に用いていることも朝河は見抜いています(199〜200頁)。

 では、そんなローズベルトが、一体どうして日露戦争の調停に乗り出したのでしょうか。
 ローズベルトは、日露交渉開始を勧告するにあたって、ロシア大使に、「日本が露海軍を挫きて自国の海軍を強からしめたることは、米国のために利ある事にあらざるを説<いたところ、同大使はローズベルト>氏が日本の連勝を見て・・・恐慌を感ぜし・・・こと等の印象を得たりと、本国政府に報告したるもののごとし」と朝河は記しています(190頁)。また、日露交渉が始まる直前に、ローズベルトが後任のロシア大使に対し、「露国が全く太平洋岸より排除せられんことは極東の均衡上最も米国のために望ましからざるところなれば・・・事ここに至らざる前、露国がいかなる苦痛を忍びてもすみやかに和を結ばんことを祈る」と語ったとも朝河は記しています(191頁)。
 私は、日露交渉が始まる前の時点で日本が戦力的・財政的に限界に達していたという説に異論を唱えるつもりはありませんが、朝河の本に全くそのことへの言及がなされていないこと、そして朝河が、米国のローズベルト大統領が、日本がロシアに大勝利を収めて日本の力が強くなり過ぎる前に終戦に持ち込みたかったことをもっぱら強調している点に注目せざるをえないのです。

 結論的に改めて申し上げますが、ローズベルトは、(個人的には日本に敬意と親近感を抱いていたにもかかわらず、)大多数の米国人に共有されていた黄色人種差別意識を利用して、日本の勢力伸張を阻むための戦略を練り、実行に移した最初の米国のリーダーであり、この戦略が歴代の米政権によって受け継がれて行った結果がその約半世紀後に起こった日米戦争だった、と私は考えているのです。

 ところで、当時の米国の黄色人種差別意識について、「米国人」朝河(1873〜1948年)が1909年に上梓したこの本の中で理解を示してしまっている観があるのは極めて遺憾です。
 もっとも、1918年に上梓された近衛文麿(1891〜1945年)の有名な論考「英米本位の平和主義を排す」でも、黄色人種差別意識を声高に非難するだけに終わっています(注1)し、米国が排日移民法を制定した1924年における幣原喜重郎(1872〜1951年)の外務大臣としての談話も、朝河流の歯切れの悪いものであり、「純正日本人」の方もだらしないことおびただしいものがあります(注2)。

 (注1)「黄人と見れば凡ての職業に就くを妨害し、家屋耕地の貸付をなさざるのみならず、甚だしきはホテルに一夜の宿を求むるにも白人の保証人を要する所ありと云うに至りては、人道上由々しき問題にして、仮令黄人ならずとも、筍も正義の士の黙視すべからざる所なり。即ち吾人は来るべき講和会議に於て英米人をして深く其の是非を悔いて傲慢無礼の態度を改めしめ、黄人に対して設くる入国制限の撤廃は勿論、黄人に対する差別的待遇を規定せる一切の法令の改正を正義人道の上より主張せざる可からず。」
 (注2)「米国は日本人種の劣等を理由として排斥条項を可決した次第ではない。彼等の云う所は日本人と米国人とは恰も油と水との関係である。何れが優等とも劣等ともいうことは出来ないが、油は水と一体になることが出来ぬものである。即ち日本人は米国に同化せざるものである、同化せざるものを米国の社会組織中に入れることは米国の将来に禍を為すものであるということが、日本人排斥論の最も重要な前提となって居るものと認められる。尤も我々は日本人不同化性の前提が、今日迄何等確定的事実に依って証明せられざる所の一片の独断的見解なることを信じ、其の趣旨は既に日本政府の米国政府に送りたる公文書中にも大体説明してある所である。」
 (注1、注2ともhttp://www.kanda-zatsugaku.com/saturday-L/030215/0215.htm
(1月11日アクセス)による。)

 日本文明は米国を含むアングロサクソンの文明と極めて親和性のある文明であるところ、このことを記した、駐米公使当時の星亨(1850〜1901年)の1897年の英文草稿が残っていますが、実際に使われたものかどうかは不明です(拙著「防衛庁再生宣言」日本評論社 192〜193頁)。
 幕末から維新にかけて、星を含め、日本の指導層の間で広範に共有されていたこのような常識が日本で急速に失われて行ってしまったということなのでしょうか、日本政府が、かかる論旨でもって対米世論向けの情報宣伝活動を行ってこなかったことも、日本がローズベルト流戦略に翻弄されることになった原因の一つでしょう。
 
(完)