太田述正コラム#1630(2007.1.21)
<イギリス大好き人間の弁明(その3)>(2007.8.2公開)

 ついでに、米国についても触れておきましょう。
 私は、以前(コラム#502〜504で)次のように書きました。

 「米国<は>アングロサクソン文明を主、欧州文明を従とする両文明のキメラで<あり、>北米植民地、そして後の米国の人々は、旧約聖書的キリスト教に媒介された選民意識の下、アングロサクソン文明をイデオロギー化し、自分達にはその全世界への普及という使命が神から与えられていると思いこんでい<ます。>まさに米国は・・・アングロサクソン文明を主、欧州文明を従とする両文明のキメラ・・・なのです。(最初の選民であったユダヤ人がジェノサイドを行うことすら神から嘉されていたように、)北米植民地人=米国人は自分達は神から特別な恩寵が与えられている選民だ、と思いこんでいたからこそ、彼らは最終的勝利を確信して英本国からの武力独立という暴挙を決行し、奴隷制・黒人差別を当然視し、インディアンを絶滅させつつ領土を拡大し、ラテンアメリカから領土を奪い、かつ隷属させ、黄色人種差別に血道を上げ、戦前において東アジアに恣意的な介入を行って東アジアの平和と安定を破壊し、東京大空襲や原爆投下を平然と行い、現在世界中に米軍基地網を張り巡らせ、唯一の超大国として世界で覇権をふるっている、ということになります。」

 キリスト教、特に新約聖書のキリスト教は、本来愛、すなわち仁の宗教であるはずのところ、それが旧約聖書における選民思想と結びついた結果として、自由・民主主義的なアングロサクソン文明の伝道に血道を上げ、伝道で宣撫できない者は殲滅したり、非選民とみなされた者は奴隷にするか排除したりする、危険でおぞましいバスタード・アングロサクソン「文明」が誕生してしまった、というわけです。
 
 長い話になったので、ここで一休みしましょう。
 米国をこれまでいささか貶めすぎたきらいがあることから、口直しの意味も込めて、バスタード・アングロサクソン「文明」とイスラム文明との関わりについての話をします。
 イスラム文明と比較すると、バスタード・アングロサクソン「文明」も捨てたものではないという気がしてくるから不思議です。
 手がかりにするのは、イスラエルの歴史学者のMichael B. Oren による、POWER, FAITH, AND FANTASYAmerica in the Middle East, 1776 to the Present, Norton です。
 (以下、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-oren15jan15,0,2915992,print.story?coll=la-opinion-rightrail
(1月16日アクセス)、及び
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/01/19/AR2007011901298_pf.html
(1月21日アクセス)による。)

 建国の父達の時代から、米国の人々はアラブ人やイスラム教徒を政治的・精神的・経済的に自由でキリスト教的な原理に改宗させようと何度も試みてきた。また、ピューリタンの時代から、米国の人々の多くはユダヤ人をパレスティナの地に戻すという考えに取り憑かれてきた。更に、植民地時代から、米国の人々の大部分はイスラム教を野蛮で暴力的で専制的な宗教だと考えてきた。

 ジョン・クィンシー・アダムス(John Quincy Adams。1767〜1848年。大統領:1825〜29年)は、イスラム教を、非イスラム教徒への憎しみに立脚した狂的で詐欺的な宗教であると評した。
 このイスラム教評は必ずしも宗教的偏見であるとは言い切れない面があった。というのは、米国が独立後間もない頃、地中海南岸のイスラム教徒たるベルベルの(Barbary)海賊が米国の船を襲い、何千もの米国人を拘束し、拷問を加え、奴隷にしたからだ(コラム#1538)。
 前出のアダムスの父のジョン・アダムス(John Adams。1735〜1826年。大統領:1797〜1801年)とジェファーソン(Thomas Jefferson。1743〜1826年。大統領:1801〜09年)は、それぞれワシントン(George Washington。1732〜99年。大統領:1789〜97年)の下での米副大統領と国務長官として、北アフリカのトリポリの太守に対し、海賊行為を止めさせるように要請した。その時、太守は、どんな非イスラム教徒を発見した場合でも、彼らに対し戦争を行い、捕虜にできた者は奴隷にするのは、イスラム教徒の義務であると答えた。激怒したワシントンは、この敵のやつらを人間に改造するか、たたきつぶして殲滅するための海軍を持っていないのが残念だ、と歯がみしたものだ。こうして1790年代に米議会は海軍を作り出した。その上で、ジェファーソンは大統領になった時に、ベルベルの太守に戦争をしかけ、現地に米海軍を恒久的に配備することを命じた。
 このジョン・アダムスは、中東には貪欲と恐怖が満ちており、専制君主どもがその臣民達をリンゴの木にたかる毛虫のように扱っていると述べているし、ジェファーソンは、中東の国と平和条約を結んでも、その支配者の存命中しか有効ではないので意味がないと考えていた。ジェファーソンの友人で1788年に中東を初めて米国人として探査したレドヤード(John Ledyard)は、不思議なことにアラビア語には自由に相当する言葉がない、と記している。
 1820年代からは、米国のニューイングランドのプロテスタント宣教師達が中東にでかけて行った。イスラム教徒をキリスト教に改宗させることには失敗したが、それにもめげず、彼らは現地に学校をつくって、アメリカニズムの福音であるところの自由主義と技術と民主主義、そしてこれらの基礎となる郷土愛と市民的道徳を普及させる努力を続けた。
レバノンのAmerican University of Beirut (最初はSyrian Protestant Collegeと言った) やトルコの Roberts Collegeがそうだ。これらの学校には、人種や宗教宗派にかかわらず、入学が認められた。

 ユダヤ人をパレスティナに帰すことについては、ピューリタンが、米国に渡来する以前からオランダ政府にこのことを請願しており、これらピューリタンの有名な子孫であるジョン・アダムスも、そうなることを希望するという言葉を残している。リンカーンの国務長官であったセウォード(William Henry Seward)もウッドロー・ウィルソン(Woodrow Wilson。1856〜1924年。大統領:1913〜21年)も同様だ。
 当然アラブ側はこのような米国に不快感を抱く。
サウディアラビアを建国したサウド(Abdul Aziz ibn Saud)王(コラム#55)は親米だったが、フランクリン・ローズベルト(Franklin D. Roosevelt。1882〜1945年。大統領:1933〜45年)に会った時に、ユダヤ人はパレスティナに権利を有さないのであり、アラブ人は死を恐れずユダヤ国家が建設されることに抵抗するだろうと警告した。
 ローズベルトがホロコーストのことを持ち出すと、サウドは、それに何の関わりもないパレスティナのアラブ人に赤の他人が犯した罪の購いをさせるのはいかがなものかと答え、ポーランドでユダヤ人が300万人殺されたと言うのなら、パレスティナで更に300万人が殺されうるということだ、と付け加えた。
 にもかかわらず、トルーマン(Harry S. Truman。1884〜1972年。大統領:1945〜53年)もまた、神がわれわれをおつくりになり、何か偉大な目的のために、現在の覇権国的地位(position of power)につけたもうたのであって、<キリスト教的な>精神的諸価値を、これらの諸価値を破壊しようとする悪の巨大な力から守ることはわれわれが<神から>与えられた使命である、と言うような人物であったことから、同じ願いを抱いていた。だから、1948年5月に、彼が建国されたばかりのイスラエルを承認した時、彼は自分を、ユダヤ人をバビロン捕囚から解放して故郷に戻した古のペルシャ帝国の創始者皇帝キュロス(Cyrus)(コラム#868)になぞらえて、「私はキュロスだ」と叫んだという。

(続く)