・セポイの反乱(特別編)
・あたごの事故狂騒曲
・スペインの異端審問(その2)
・皆さんとディスカッション(続x75)
・ホロコーストの真相
2008年02月の記事一覧
2008年02月29日
太田述正コラム#2030(2007.8.29)
<セポイの反乱(特別編)>(2008.2.29公開)
1始めに
本篇は、「セポイの反乱」シリーズ(コラム#1769、1847)の特別編であり、この後もシリーズは続きます。
2 セポイの反乱の規模等についての新説
英国の植民地であった国々の英領時代の歴史は、英国の歴史学者や英国の歴史学者によって教育された当該国の人間によって書かれてきましたが、英領インド亜大陸の歴史を初めてインドで歴史学を学んだ人間によってセポイの反乱の歴史が描かれた、と英国とインドで話題になっているのが、ムンバイの歴史家ミスラ(Amaresh Misra)の'War of Civilisations: India AD 1857'です。
これまでセポイの反乱(Indian Mutiny=Indian Revolt=the first war of Indian independence)で殺されたインド人の数は約10万人とされてきたのですが、ミスラは、1857年からの10年間で、ほとんど1,000万人にのぼるホロコーストあるいはジェノサイドが行われた、と主張しています。"
この事実が今まで知られていなかったのは、英国インド当局が事実隠蔽に努めたからだ、というのです。
例えば、英当局の倉庫群で200万通も手紙が送達されずに保管されたところ、これについて英当局の人間達は、「われわれの女性や子供を殺したヒンズー教徒とイスラム教徒の奴らにわれわれの青年達が加えたであろう報復について」言及した手紙であるからだ、と書き記しているというのです。
インド人の死者の数でミスラが拠った典拠は三つあります。
一つ目はイスラムの戦士(mujahideen)の戦死録であり、二つ目はヒンズーの戦士(warrior)の戦死録であり、三つ目は英当局の労働力簿です。
最後のものによれば、インドの広範囲の地域において、労働者数が五分の一から三分の一も減少しており、その理由をある英当局の人間が、「このひどいみじめな日々において、英国の力が遺憾なく誇示された結果、数百万人が死んだ」と書き残しているというのです。
これに対し、英国とインドの歴史学者達から反論が投げかけられています。
一つは、労働者数の減少は、死亡によるもののほか、海外等への逃散・逃亡によるものもあるはずという反論であり、二つは、飢饉による餓死者もいたはずであり、その数字は除外すべきであるという反論であり、三つは、全般的に過大な積算が行われており、せいぜい死者は数十万と見るべきだという反論です。
しかし、三番目のアバウトな反論など反論になっていませんし、餓死だって、基本的に英当局の責任であるし、逃散・逃亡だってこの時期のものは殆どはやむにやまれぬ、しかも決死の行為であったに違いなく、これらの数が入っているのか否かなど些末な議論のように思います。
ミスラはまた、戦いは北インドだけで行われたと言われてきたのに対し、南部のタミル・ナドゥ、ヒマラヤ山脈の辺、そしてビルマ国境近くという具合にインド亜大陸の広範囲で行われたと主張しています。
戦いは1858年に終わったのではなく、10年にわたって続いた、というのもミスラの新しい主張です。
もう一つ。
シーク教徒は全面的に英当局の味方をしたとされてきた点についても、ミスラは、シーク教徒の東インド会社部隊の多くも叛乱に加わったと主張しています。
最も大事なことは、以上からも分かるように、セポイの反乱までのインドには、イスラム教徒とヒンズー教徒(、更にはシーク教)との間に、しかも地域を超えて、反英感情の形をとったところの共通の民族感情的なものが存在していた、ということです。
つまり、イスラム教徒とヒンズー教徒との反目は、その後の英国の直接統治下に英国の政策によって生じたと考えざるをえないのです。
反乱が山を越えた時点で捕らえられ、ビルマに流刑となってそこで逝去した最後のムガール帝国皇帝の遺骸をインドに帰還させることに、RSS(Rashtriya Swayamsevak Sangh。政党であるBJPと協力関係にあるヒンズー至上主義団体)が、同皇帝がイスラム教徒であり、かつイスラム・ヒンズー混淆的宗教意識を持っていたことから反対しており、いまだ実現していないのはなげかわしいことです。
(以上、事実関係は
http://www.guardian.co.uk/india/story/0,,2155324,00.html
(8月25日アクセス)、及び
http://in.rediff.com/news/2007/may/10guest.htm、
http://www.larouchepac.com/news/2007/08/24/history-what-every-ugly-american-must-know-about-civilized-b.html
(8月29日アクセス)による。
3 終わりに
19世紀にインド亜大陸で、英国によって1,000万人にもなろうかという民族浄化が行われた、という事実は極めて重いものがあります。
英国による植民地統治の過酷さがこれだけ明らかになってくると、一層日本による植民地統治の相対的寛大さが目立ってきますね。
<セポイの反乱(特別編)>(2008.2.29公開)
1始めに
本篇は、「セポイの反乱」シリーズ(コラム#1769、1847)の特別編であり、この後もシリーズは続きます。
2 セポイの反乱の規模等についての新説
英国の植民地であった国々の英領時代の歴史は、英国の歴史学者や英国の歴史学者によって教育された当該国の人間によって書かれてきましたが、英領インド亜大陸の歴史を初めてインドで歴史学を学んだ人間によってセポイの反乱の歴史が描かれた、と英国とインドで話題になっているのが、ムンバイの歴史家ミスラ(Amaresh Misra)の'War of Civilisations: India AD 1857'です。
これまでセポイの反乱(Indian Mutiny=Indian Revolt=the first war of Indian independence)で殺されたインド人の数は約10万人とされてきたのですが、ミスラは、1857年からの10年間で、ほとんど1,000万人にのぼるホロコーストあるいはジェノサイドが行われた、と主張しています。"
この事実が今まで知られていなかったのは、英国インド当局が事実隠蔽に努めたからだ、というのです。
例えば、英当局の倉庫群で200万通も手紙が送達されずに保管されたところ、これについて英当局の人間達は、「われわれの女性や子供を殺したヒンズー教徒とイスラム教徒の奴らにわれわれの青年達が加えたであろう報復について」言及した手紙であるからだ、と書き記しているというのです。
インド人の死者の数でミスラが拠った典拠は三つあります。
一つ目はイスラムの戦士(mujahideen)の戦死録であり、二つ目はヒンズーの戦士(warrior)の戦死録であり、三つ目は英当局の労働力簿です。
最後のものによれば、インドの広範囲の地域において、労働者数が五分の一から三分の一も減少しており、その理由をある英当局の人間が、「このひどいみじめな日々において、英国の力が遺憾なく誇示された結果、数百万人が死んだ」と書き残しているというのです。
これに対し、英国とインドの歴史学者達から反論が投げかけられています。
一つは、労働者数の減少は、死亡によるもののほか、海外等への逃散・逃亡によるものもあるはずという反論であり、二つは、飢饉による餓死者もいたはずであり、その数字は除外すべきであるという反論であり、三つは、全般的に過大な積算が行われており、せいぜい死者は数十万と見るべきだという反論です。
しかし、三番目のアバウトな反論など反論になっていませんし、餓死だって、基本的に英当局の責任であるし、逃散・逃亡だってこの時期のものは殆どはやむにやまれぬ、しかも決死の行為であったに違いなく、これらの数が入っているのか否かなど些末な議論のように思います。
ミスラはまた、戦いは北インドだけで行われたと言われてきたのに対し、南部のタミル・ナドゥ、ヒマラヤ山脈の辺、そしてビルマ国境近くという具合にインド亜大陸の広範囲で行われたと主張しています。
戦いは1858年に終わったのではなく、10年にわたって続いた、というのもミスラの新しい主張です。
もう一つ。
シーク教徒は全面的に英当局の味方をしたとされてきた点についても、ミスラは、シーク教徒の東インド会社部隊の多くも叛乱に加わったと主張しています。
最も大事なことは、以上からも分かるように、セポイの反乱までのインドには、イスラム教徒とヒンズー教徒(、更にはシーク教)との間に、しかも地域を超えて、反英感情の形をとったところの共通の民族感情的なものが存在していた、ということです。
つまり、イスラム教徒とヒンズー教徒との反目は、その後の英国の直接統治下に英国の政策によって生じたと考えざるをえないのです。
反乱が山を越えた時点で捕らえられ、ビルマに流刑となってそこで逝去した最後のムガール帝国皇帝の遺骸をインドに帰還させることに、RSS(Rashtriya Swayamsevak Sangh。政党であるBJPと協力関係にあるヒンズー至上主義団体)が、同皇帝がイスラム教徒であり、かつイスラム・ヒンズー混淆的宗教意識を持っていたことから反対しており、いまだ実現していないのはなげかわしいことです。
(以上、事実関係は
http://www.guardian.co.uk/india/story/0,,2155324,00.html
(8月25日アクセス)、及び
http://in.rediff.com/news/2007/may/10guest.htm、
http://www.larouchepac.com/news/2007/08/24/history-what-every-ugly-american-must-know-about-civilized-b.html
(8月29日アクセス)による。
3 終わりに
19世紀にインド亜大陸で、英国によって1,000万人にもなろうかという民族浄化が行われた、という事実は極めて重いものがあります。
英国による植民地統治の過酷さがこれだけ明らかになってくると、一層日本による植民地統治の相対的寛大さが目立ってきますね。
太田述正コラム#2393(2008.2.29)
<あたごの事故狂騒曲>
1 始めに
防衛省をめぐる大問題だと言うのに、これまでまとまったコラム一つ書いていませんでしたが、雑誌「フォーラム21」に本件について寄稿することになったので、近々有料コラムでその下書きを配信するほか、3月14日放送予定の日テレの「太田総理・・」でも私が本件に絡む発言をすることになりそうなので乞うご期待。
2 「左」も「右」もおかしい
(1)総括
「左」の代表朝日新聞の29日付社説(
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
。2月29日アクセス(以下同じ))を、「右」の代表産経新聞の評論家の西尾幹二氏の同日付論考(
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080229/plc0802290317000-n1.htm
)をとりあげ、日本の論壇の歪みを批判することにしましょう。
(2)朝日新聞
朝日の社説は次のように論じています。
「・・事故当日に海上自衛隊は、事故直前の当直士官である航海長をヘリコプターで防衛省に呼んで事情を聴いていた。今回の事故では、自衛隊は「被疑者」である。捜査にあたる海上保安庁に当然すべき事前連絡をしなかったのは問題だ。 その事情聴取には石破氏が直接乗り出していたのに、当初その事実は伏せられた。防衛相には聴取した内容を、なぜか後で報告したことにしていたのだ。 大臣室での事情聴取に立ち会っていた増田好平事務次官は、「(聴取が)適切かどうかの認識もなかった」と述べている。そのうえ、自分は記録を取っていないので大臣室での聴取内容は「覚えていない」と平然と言った。 迷走する防衛省の説明を聞いていると、この役所が周到に組織的に情報を隠そうとしているのかどうかは、疑わしい。もっと悪いことに、だれも全体像を把握できず、バラバラに対応しているだけなのではないかと思えてくる。
・・こうなると、防衛省のだれを信じて事実解明を任せたらよいのか分からなくなる。きちんとした原因解明と事後処理を指揮できない石破氏に、このまま仕事を任せていいのかどうか、私たちは疑問に思う。 もはや福田首相が乗り出して、今後の対応の筋道を示すべき段階だ。日本の安全保障を託している組織が、自ら起こした事故に対応できずに機能不全に陥っているのは恐るべきことである。 なのに、首相の記者団に対する発言を聞くと、まるでひとごとのようだ。・・」
この「だれも全体像を把握できず、バラバラに対応しているだけなのではないか」という点を補足しておくと、次のとおりです。
「・・内局が積極的に事故の説明を始めたのは、26日未明の運用企画局長会見から。報道陣に「清徳丸発見」の情報源を問われ、衝突の「2分前」はあたご航海長、「12分前」は横須賀地方総監部幕僚長と公表した。 同時に「12分前」は「19日午後8時半の報告」と明らかにしたため、翌日の衆院安全保障委員会で20時間以上、訂正しなかった点を責められた石破防衛相は「海上保安庁の了承を得ていなかったため」と説明した。 すると「海保の了承」がキーワードとなり、今度は航海長からの事情聴取が「海保の了承」を得たのかが焦点に。石破防衛相は27日、「無断聴取」と断定。増田好平事務次官に至っては海幕の説明を「(虚偽も)排除できない」と述べた。 だが、海幕は28日になっても「間違いなく事前通知した」と譲らない。通報した幹部から供述書をとったほか、ひそかに通話記録を取り寄せ、海保への連絡時刻を確認して自信を深めているという。 海自幹部は「首相官邸の裁定で、防衛省と海保の『言った』『言わない』の争いは終わるはずだった。なぜ、次官がコトを荒立てるのか解せない。次官は石破防衛相による航海長の事情聴取に同席しながら『記憶がない』という。追及の矛先を、石破防衛相一人に向けようとしている」と不満げだ。 一方、石破防衛相が記者会見に先行して自民党国防三部会で事故情報を公表したり、事故を受けた防衛省改革を打ち出したりすることには「独断過ぎる」との批判が内局、海幕双方にある。マニアのように自動操舵に関心を持ったり、28日に現場検証を行ったりしたことについて、「やるべきことはほかにあるだろう」の声も。 とはいえ、海幕に代わって事実関係の公表を始めた内局も、説明するたびに矛盾が出るなど失点続きだ。あまりのお粗末ぶりに、制服組から「持て余した石破防衛相をクビにするのが本当の狙いでは」との憶測さえ呼ぶ。・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008022902091412.html
とりわけ、目を覆いたくなるのは増田好平防衛次官の迷走ぶりです。
「防衛省の増田好平次官は28日の記者会見で、海上自衛隊のイージス艦「あたご」の衝突事故で焦点の一つとなっているあたご航海長の事情聴取に関し、「事情聴取した内容をもとにしてまとめて、ファクスで海上保安庁に送った。少なくとも1人がメモを記録していることがわかっている」と述べ、事故当日の19日の事情聴取メモの存在を認めた。 メモの存在を巡っては、次官が27日夜の記者会見で「(事情聴取の内容は)記憶にない。メモをとっていたかどうかわからない」と繰り返し、議事録はないと説明していた。 次官は28日の会見で、メモの内容について、「出せるものは話すが、捜査に影響を与えるものは控えさせていただく」として開示できないとした。・・」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080228-OYT1T00535.htm
「きちんとした原因解明と事後処理を指揮できない石破氏」という点についても補足しておきましょう。
「・・石破茂防衛相らが海上保安庁から事前了解を得ずに航海長の聴取をしていた問題で、・・石破氏は「乗員に接触していない」としていた前言を撤回し、「話を聞いていたと言うべきだった」と述べた。捜査権のある海保の頭越しに行った聴取を自ら行っていたことで、石破氏の責任追及はさら に強まることも予想される。 石破氏は25日の衆院予算委員会で「捜査の厳正性のため、現時点では乗員に接触していない」と答弁していた。しかし、28日の参院外防委では前言を撤回。「(事故当日は聴いたが)答弁の時点では接触していないという意味。隠すつもりはなかった」と釈明し、虚偽発言は否定した。航海長の聴取について は・・大臣室での再聴取が自らの意向だったこと<を>認めた。・・」
http://mainichi.jp/select/today/news/20080229k0000m040128000c.html
さて、朝日の社説に戻りますが、「だれも全体像を把握できず、バラバラに対応している」のは、国民の「期待」通りに防衛省が機能している、ということであって、今更のように呆れてみせた上でトカゲの尻尾切り的に大臣辞任要求を掲げるのは、「左」メディアが防衛省問題を取り上げる際の定番の偽善であると言うべきでしょう。
自衛隊を軍隊として機能させないという確固たる国民的コンセンサスがあり、しかもこのコンセンサスに基づき、自衛隊、特に自衛隊の運用についてどシロウトに等しい背広組を大臣と制服組の間に介在させ、陸海空を分割統治させ、間違っても防衛省が一体として機能するなんてことがないようにしているのですから・・。
こうした背景の下、背広組キャリアが制服組以上に退廃し、腐敗するのは当然のことなのです。
防衛省キャリアは全員守屋だ、と私が口を酸っぱくして言い続けてきたことを思い出してください。ただし、退廃・腐敗ぶりの発現形態は人によって様々だとも申し上げてきました。どうです、増田君だって守屋とは違ってクリーンかもしれないけれど、やはり丸でダメ人間だったでしょう。
しかも、歴代の大臣は、戦後初期を除いて、外交安全保障のこれまたどシロウトばかりです。吉田ドクトリンという戦後日本の国是を墨守してきたことの当然の帰結です。
石破大臣は、軍事オタクではあるようだけれど、外交安全保障のどシロウトであることに変わりはありません。なまじ本人にその自覚がないだけに、むしろ始末が負えないのです。
それでも私が事務次官なら、海幕(あるいは統幕)に事故調査委員会を即時に立ち上げさせ、その組織にフリーハンドを与えて原因究明に着手させるべきだし、広報については、背広組であることにはこの際目をつぶって、内局の広報官に一元的に担当させるべきだ、と大臣に意見具申したことでしょう。大臣、事務次官や海幕長も広報官が認めた範囲でしか対外的に発言しない、それ以外の者には一切対外的に発言させない、という前提で・・。
しかし、そんな発想や対応は現在の背広組キャリア幹部には求むべくもありませんし、また仮にそのような意見具申を受けたとしても、石破氏なら飲まなかったでしょうね。
(3)産経新聞
西尾氏は次のように論じています。
「・・マスコミは大騒ぎせず、冷静に見守るべきだ。軍艦側の横暴だときめつけ、非難のことばを浴びせかけるのは、悪いのは何ごともすべて軍だという戦後マスコミの体質がまたまた露呈しただけのことで、沖縄集団自決問題とそっくり同じパターンである。 単なる海上の交通事故をマスコミはねじ曲げて自衛隊の隠蔽体質だと言い立て、矛先を組織論にしきりに向けて、それを野党政治家が政争の具にしているが、情けないレベルである。今のところ自衛隊の側の黒白もはっきりしていないのである。防衛省側はまだ最終判断材料を与えられていない。組織の隠蔽かどうかも分からないのだ。
ということは、この問題にも憲法9条の壁があることを示している。自衛隊には「軍法」がなく、「軍事裁判所」もない。だから軍艦が一般の船舶と同じに扱われている。単なる交通事故扱いで、軍らしい扱いを受けていないのに責任だけ軍並みだというのはどこか異様である。・・マスコミは日本の安全保障をめぐる本質論を展開してほしい。当然専守防衛からの転換が必要だ。それを逃げて、今のように軍を乱暴な悪者と見る情緒的反応に終始するのは余りに「鎖国」的である。」
この後段については全く同感ですし、前段中の「悪いのは何ごともすべて軍だという戦後マスコミの体質がまたまた露呈した」、「野党政治家が政争の具にしている」という指摘も気持ちはよく分かります。
しかし、漁船団側、あるいは清徳丸側にも問題があったことは否めないとしても、あたご側に著しい懈怠があったことはこれまで明らかにされた事実に照らしてほぼ間違いのないことでしょう。
また、事故後の防衛省の対応がなっていないことも厳然たる事実です。
このように防衛省/自衛隊側の肩を無条件で持つ記事、或いはそのようなスタンスの部外者の論考を掲載するというのは「右」メディアに共通する偏りであり、防衛省に対する批判的視点を擲っているという誹りを免れないでしょう。
2 終わりに
このような「左」「右」のメディアの報道ぶりを見るにつけ、左翼と右翼が暗黙裏に協調して吉田ドクトリンの延命を図ってきた構図がいまだに崩れていない感を深くします。
日本の夜明けは遠いと嘆息せざるをえません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
太田述正コラム#2394(2008.2.29)
<アフガニスタンに行ったハリー>
→非公開
<あたごの事故狂騒曲>
1 始めに
防衛省をめぐる大問題だと言うのに、これまでまとまったコラム一つ書いていませんでしたが、雑誌「フォーラム21」に本件について寄稿することになったので、近々有料コラムでその下書きを配信するほか、3月14日放送予定の日テレの「太田総理・・」でも私が本件に絡む発言をすることになりそうなので乞うご期待。
2 「左」も「右」もおかしい
(1)総括
「左」の代表朝日新聞の29日付社説(
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
。2月29日アクセス(以下同じ))を、「右」の代表産経新聞の評論家の西尾幹二氏の同日付論考(
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080229/plc0802290317000-n1.htm
)をとりあげ、日本の論壇の歪みを批判することにしましょう。
(2)朝日新聞
朝日の社説は次のように論じています。
「・・事故当日に海上自衛隊は、事故直前の当直士官である航海長をヘリコプターで防衛省に呼んで事情を聴いていた。今回の事故では、自衛隊は「被疑者」である。捜査にあたる海上保安庁に当然すべき事前連絡をしなかったのは問題だ。 その事情聴取には石破氏が直接乗り出していたのに、当初その事実は伏せられた。防衛相には聴取した内容を、なぜか後で報告したことにしていたのだ。 大臣室での事情聴取に立ち会っていた増田好平事務次官は、「(聴取が)適切かどうかの認識もなかった」と述べている。そのうえ、自分は記録を取っていないので大臣室での聴取内容は「覚えていない」と平然と言った。 迷走する防衛省の説明を聞いていると、この役所が周到に組織的に情報を隠そうとしているのかどうかは、疑わしい。もっと悪いことに、だれも全体像を把握できず、バラバラに対応しているだけなのではないかと思えてくる。
・・こうなると、防衛省のだれを信じて事実解明を任せたらよいのか分からなくなる。きちんとした原因解明と事後処理を指揮できない石破氏に、このまま仕事を任せていいのかどうか、私たちは疑問に思う。 もはや福田首相が乗り出して、今後の対応の筋道を示すべき段階だ。日本の安全保障を託している組織が、自ら起こした事故に対応できずに機能不全に陥っているのは恐るべきことである。 なのに、首相の記者団に対する発言を聞くと、まるでひとごとのようだ。・・」
この「だれも全体像を把握できず、バラバラに対応しているだけなのではないか」という点を補足しておくと、次のとおりです。
「・・内局が積極的に事故の説明を始めたのは、26日未明の運用企画局長会見から。報道陣に「清徳丸発見」の情報源を問われ、衝突の「2分前」はあたご航海長、「12分前」は横須賀地方総監部幕僚長と公表した。 同時に「12分前」は「19日午後8時半の報告」と明らかにしたため、翌日の衆院安全保障委員会で20時間以上、訂正しなかった点を責められた石破防衛相は「海上保安庁の了承を得ていなかったため」と説明した。 すると「海保の了承」がキーワードとなり、今度は航海長からの事情聴取が「海保の了承」を得たのかが焦点に。石破防衛相は27日、「無断聴取」と断定。増田好平事務次官に至っては海幕の説明を「(虚偽も)排除できない」と述べた。 だが、海幕は28日になっても「間違いなく事前通知した」と譲らない。通報した幹部から供述書をとったほか、ひそかに通話記録を取り寄せ、海保への連絡時刻を確認して自信を深めているという。 海自幹部は「首相官邸の裁定で、防衛省と海保の『言った』『言わない』の争いは終わるはずだった。なぜ、次官がコトを荒立てるのか解せない。次官は石破防衛相による航海長の事情聴取に同席しながら『記憶がない』という。追及の矛先を、石破防衛相一人に向けようとしている」と不満げだ。 一方、石破防衛相が記者会見に先行して自民党国防三部会で事故情報を公表したり、事故を受けた防衛省改革を打ち出したりすることには「独断過ぎる」との批判が内局、海幕双方にある。マニアのように自動操舵に関心を持ったり、28日に現場検証を行ったりしたことについて、「やるべきことはほかにあるだろう」の声も。 とはいえ、海幕に代わって事実関係の公表を始めた内局も、説明するたびに矛盾が出るなど失点続きだ。あまりのお粗末ぶりに、制服組から「持て余した石破防衛相をクビにするのが本当の狙いでは」との憶測さえ呼ぶ。・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008022902091412.html
とりわけ、目を覆いたくなるのは増田好平防衛次官の迷走ぶりです。
「防衛省の増田好平次官は28日の記者会見で、海上自衛隊のイージス艦「あたご」の衝突事故で焦点の一つとなっているあたご航海長の事情聴取に関し、「事情聴取した内容をもとにしてまとめて、ファクスで海上保安庁に送った。少なくとも1人がメモを記録していることがわかっている」と述べ、事故当日の19日の事情聴取メモの存在を認めた。 メモの存在を巡っては、次官が27日夜の記者会見で「(事情聴取の内容は)記憶にない。メモをとっていたかどうかわからない」と繰り返し、議事録はないと説明していた。 次官は28日の会見で、メモの内容について、「出せるものは話すが、捜査に影響を与えるものは控えさせていただく」として開示できないとした。・・」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080228-OYT1T00535.htm
「きちんとした原因解明と事後処理を指揮できない石破氏」という点についても補足しておきましょう。
「・・石破茂防衛相らが海上保安庁から事前了解を得ずに航海長の聴取をしていた問題で、・・石破氏は「乗員に接触していない」としていた前言を撤回し、「話を聞いていたと言うべきだった」と述べた。捜査権のある海保の頭越しに行った聴取を自ら行っていたことで、石破氏の責任追及はさら に強まることも予想される。 石破氏は25日の衆院予算委員会で「捜査の厳正性のため、現時点では乗員に接触していない」と答弁していた。しかし、28日の参院外防委では前言を撤回。「(事故当日は聴いたが)答弁の時点では接触していないという意味。隠すつもりはなかった」と釈明し、虚偽発言は否定した。航海長の聴取について は・・大臣室での再聴取が自らの意向だったこと<を>認めた。・・」
http://mainichi.jp/select/today/news/20080229k0000m040128000c.html
さて、朝日の社説に戻りますが、「だれも全体像を把握できず、バラバラに対応している」のは、国民の「期待」通りに防衛省が機能している、ということであって、今更のように呆れてみせた上でトカゲの尻尾切り的に大臣辞任要求を掲げるのは、「左」メディアが防衛省問題を取り上げる際の定番の偽善であると言うべきでしょう。
自衛隊を軍隊として機能させないという確固たる国民的コンセンサスがあり、しかもこのコンセンサスに基づき、自衛隊、特に自衛隊の運用についてどシロウトに等しい背広組を大臣と制服組の間に介在させ、陸海空を分割統治させ、間違っても防衛省が一体として機能するなんてことがないようにしているのですから・・。
こうした背景の下、背広組キャリアが制服組以上に退廃し、腐敗するのは当然のことなのです。
防衛省キャリアは全員守屋だ、と私が口を酸っぱくして言い続けてきたことを思い出してください。ただし、退廃・腐敗ぶりの発現形態は人によって様々だとも申し上げてきました。どうです、増田君だって守屋とは違ってクリーンかもしれないけれど、やはり丸でダメ人間だったでしょう。
しかも、歴代の大臣は、戦後初期を除いて、外交安全保障のこれまたどシロウトばかりです。吉田ドクトリンという戦後日本の国是を墨守してきたことの当然の帰結です。
石破大臣は、軍事オタクではあるようだけれど、外交安全保障のどシロウトであることに変わりはありません。なまじ本人にその自覚がないだけに、むしろ始末が負えないのです。
それでも私が事務次官なら、海幕(あるいは統幕)に事故調査委員会を即時に立ち上げさせ、その組織にフリーハンドを与えて原因究明に着手させるべきだし、広報については、背広組であることにはこの際目をつぶって、内局の広報官に一元的に担当させるべきだ、と大臣に意見具申したことでしょう。大臣、事務次官や海幕長も広報官が認めた範囲でしか対外的に発言しない、それ以外の者には一切対外的に発言させない、という前提で・・。
しかし、そんな発想や対応は現在の背広組キャリア幹部には求むべくもありませんし、また仮にそのような意見具申を受けたとしても、石破氏なら飲まなかったでしょうね。
(3)産経新聞
西尾氏は次のように論じています。
「・・マスコミは大騒ぎせず、冷静に見守るべきだ。軍艦側の横暴だときめつけ、非難のことばを浴びせかけるのは、悪いのは何ごともすべて軍だという戦後マスコミの体質がまたまた露呈しただけのことで、沖縄集団自決問題とそっくり同じパターンである。 単なる海上の交通事故をマスコミはねじ曲げて自衛隊の隠蔽体質だと言い立て、矛先を組織論にしきりに向けて、それを野党政治家が政争の具にしているが、情けないレベルである。今のところ自衛隊の側の黒白もはっきりしていないのである。防衛省側はまだ最終判断材料を与えられていない。組織の隠蔽かどうかも分からないのだ。
ということは、この問題にも憲法9条の壁があることを示している。自衛隊には「軍法」がなく、「軍事裁判所」もない。だから軍艦が一般の船舶と同じに扱われている。単なる交通事故扱いで、軍らしい扱いを受けていないのに責任だけ軍並みだというのはどこか異様である。・・マスコミは日本の安全保障をめぐる本質論を展開してほしい。当然専守防衛からの転換が必要だ。それを逃げて、今のように軍を乱暴な悪者と見る情緒的反応に終始するのは余りに「鎖国」的である。」
この後段については全く同感ですし、前段中の「悪いのは何ごともすべて軍だという戦後マスコミの体質がまたまた露呈した」、「野党政治家が政争の具にしている」という指摘も気持ちはよく分かります。
しかし、漁船団側、あるいは清徳丸側にも問題があったことは否めないとしても、あたご側に著しい懈怠があったことはこれまで明らかにされた事実に照らしてほぼ間違いのないことでしょう。
また、事故後の防衛省の対応がなっていないことも厳然たる事実です。
このように防衛省/自衛隊側の肩を無条件で持つ記事、或いはそのようなスタンスの部外者の論考を掲載するというのは「右」メディアに共通する偏りであり、防衛省に対する批判的視点を擲っているという誹りを免れないでしょう。
2 終わりに
このような「左」「右」のメディアの報道ぶりを見るにつけ、左翼と右翼が暗黙裏に協調して吉田ドクトリンの延命を図ってきた構図がいまだに崩れていない感を深くします。
日本の夜明けは遠いと嘆息せざるをえません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
太田述正コラム#2394(2008.2.29)
<アフガニスタンに行ったハリー>
→非公開
2008年02月28日
太田述正コラム#2028(2007.8.28)
<スペインの異端審問(その2)>(2008.2.28公開)
また、トレドのカランザ(Carranza)大司教がヴァルデス(Fernando Valdes)審問長官の手によって没落せしめられたのは、カランザの大司教任命に対するヴァルデスの嫉妬心による。そこには、ドミニコ会の神学者カノ(Melchor Cano)のカランザに対する敵意もからんでいた。
嫉妬に駆られた男女、感情を害した姻戚、隣人を羨んだ隣人、とあらゆる人々が讒訴した。例えば、ある審問官の給仕に自分の子供のオモチャを奪われた庭師がこの給仕に抗議したところ、9ヶ月も牢屋で鎖につながれる羽目になった。
スペインの異端審問の対象はどんどん拡大され、(カトリック教国ではなくなった)イギリスの水夫達まで船から引きずり下ろされて拷問されたりした。
しかし異端審問では、北欧州で猛威を振るった魔女狩りはほとんど行われなかった。そんな余裕などなかった、というのが本当のところだ。
異端審問においては、処刑以外に、様々な罰則が科された。
「犯人」は罰金を科されたり、流刑になったり、ガレー船の漕ぎ手にさせられたりした。とっておきの刑は、リラックス刑と称したところの、杭につないでの焚刑だった。ただし、犠牲者が悔い改めた場合は先に絞め殺してもらえた。
とりわけ異端審問を悪名高いものにしたのは、水責めや重りを膝につけて天井からつるして上げたり落としたりして脱臼させる拷問だった。
異端審問の費用は、「異端」者から没収した財産を売却することで賄われた。そのため、金持ちが狙いうちされて容疑をでっちあげられた。色好みの係官達は、魅力的な女性の夫や息子の容疑をでっちあげ、無罪放免させてやる見返りに彼女達の体を提供させた。
異端審問は、スペイン帝国中に恐怖感を植え付けることが目的であったと考えることもできる。
これにより、王室以下の支配者達に対して経済的または政治的な対抗勢力が出てきそうになったら、いつでもこれら勢力を「悪」と決め付け、「善」による「悪」に対する戦いを発動できるようになったのだ。
大衆もこの「異端」迫害の共犯者となった。
「異端」の噂話を訴え出ることが奨励され、スペイン帝国は密告者のネットワークが張り巡らされた密告社会となった。友人同士、恋人同士、夫婦同士、親子同士等が生存本能に基づき、互いに密告し合ったのだ。
法王庁がにらみをきかしていたイタリアでは異端審問も抑制されたものとなった。このため、16世紀にイタリア半島で異端審問で死んだ人の数は、イギリスの、カトリック信徒たるメアリー(Mary Tudor)女王の5年間の統治期間中に粛清されたプロテスタントの数より少なかった。イタリア半島では拷問だって控えめだった。スペインとポルトガルはユダヤ人を15世紀末に追放したが、法王庁は、彼らが法王領に移住することを認めている。
スペインの異端審問は、近現代の欧米に大きな影響を与えることになる。
異端審問は、市民の私的生活への官僚機構の全面的介入をもたらしたが、これは近代的全体主義国家の前兆と言える。
また、異端審問における「血の純潔性(purity of blood)」への執着と憎悪・破壊・殺人への衝動はファシズムの前兆だ。
更に言えば、スペインのフランコ独裁体制やポルトガルのサラザール独裁体制は異端審問体制の復活とも言えるし、米国の1950年代におけるマッカーシー(McCarthyite)旋風は、異端審問の「内なる敵(enemy within)」幻想の写し絵とも言えるのだ。
3 終わりに
グリーンが異端審問が近現代の欧米に与えた影響を論じる中に、欧州と米国は登場してもイギリス(英国)は登場しません。
米国「文明」はアングロサクソン文明を主、欧州文明を従とするキメラであるとする私の主張は、ここでも裏付けらている趣があります。
なお、グリーンはちょっとカトリシズムに甘過ぎるのではないでしょうか。
私は、スターリン主義とマルクス主義が切り離せないように、スペインの異端審問体制とカトリシズムも切り離せないと思うのです。
(完)
<スペインの異端審問(その2)>(2008.2.28公開)
また、トレドのカランザ(Carranza)大司教がヴァルデス(Fernando Valdes)審問長官の手によって没落せしめられたのは、カランザの大司教任命に対するヴァルデスの嫉妬心による。そこには、ドミニコ会の神学者カノ(Melchor Cano)のカランザに対する敵意もからんでいた。
嫉妬に駆られた男女、感情を害した姻戚、隣人を羨んだ隣人、とあらゆる人々が讒訴した。例えば、ある審問官の給仕に自分の子供のオモチャを奪われた庭師がこの給仕に抗議したところ、9ヶ月も牢屋で鎖につながれる羽目になった。
スペインの異端審問の対象はどんどん拡大され、(カトリック教国ではなくなった)イギリスの水夫達まで船から引きずり下ろされて拷問されたりした。
しかし異端審問では、北欧州で猛威を振るった魔女狩りはほとんど行われなかった。そんな余裕などなかった、というのが本当のところだ。
異端審問においては、処刑以外に、様々な罰則が科された。
「犯人」は罰金を科されたり、流刑になったり、ガレー船の漕ぎ手にさせられたりした。とっておきの刑は、リラックス刑と称したところの、杭につないでの焚刑だった。ただし、犠牲者が悔い改めた場合は先に絞め殺してもらえた。
とりわけ異端審問を悪名高いものにしたのは、水責めや重りを膝につけて天井からつるして上げたり落としたりして脱臼させる拷問だった。
異端審問の費用は、「異端」者から没収した財産を売却することで賄われた。そのため、金持ちが狙いうちされて容疑をでっちあげられた。色好みの係官達は、魅力的な女性の夫や息子の容疑をでっちあげ、無罪放免させてやる見返りに彼女達の体を提供させた。
異端審問は、スペイン帝国中に恐怖感を植え付けることが目的であったと考えることもできる。
これにより、王室以下の支配者達に対して経済的または政治的な対抗勢力が出てきそうになったら、いつでもこれら勢力を「悪」と決め付け、「善」による「悪」に対する戦いを発動できるようになったのだ。
大衆もこの「異端」迫害の共犯者となった。
「異端」の噂話を訴え出ることが奨励され、スペイン帝国は密告者のネットワークが張り巡らされた密告社会となった。友人同士、恋人同士、夫婦同士、親子同士等が生存本能に基づき、互いに密告し合ったのだ。
法王庁がにらみをきかしていたイタリアでは異端審問も抑制されたものとなった。このため、16世紀にイタリア半島で異端審問で死んだ人の数は、イギリスの、カトリック信徒たるメアリー(Mary Tudor)女王の5年間の統治期間中に粛清されたプロテスタントの数より少なかった。イタリア半島では拷問だって控えめだった。スペインとポルトガルはユダヤ人を15世紀末に追放したが、法王庁は、彼らが法王領に移住することを認めている。
スペインの異端審問は、近現代の欧米に大きな影響を与えることになる。
異端審問は、市民の私的生活への官僚機構の全面的介入をもたらしたが、これは近代的全体主義国家の前兆と言える。
また、異端審問における「血の純潔性(purity of blood)」への執着と憎悪・破壊・殺人への衝動はファシズムの前兆だ。
更に言えば、スペインのフランコ独裁体制やポルトガルのサラザール独裁体制は異端審問体制の復活とも言えるし、米国の1950年代におけるマッカーシー(McCarthyite)旋風は、異端審問の「内なる敵(enemy within)」幻想の写し絵とも言えるのだ。
3 終わりに
グリーンが異端審問が近現代の欧米に与えた影響を論じる中に、欧州と米国は登場してもイギリス(英国)は登場しません。
米国「文明」はアングロサクソン文明を主、欧州文明を従とするキメラであるとする私の主張は、ここでも裏付けらている趣があります。
なお、グリーンはちょっとカトリシズムに甘過ぎるのではないでしょうか。
私は、スターリン主義とマルクス主義が切り離せないように、スペインの異端審問体制とカトリシズムも切り離せないと思うのです。
(完)
太田述正コラム#2391(2008.2.28)
<皆さんとディスカッション(続x75)>
<Pixy>
コラム#2389で自分が呼ばれた気がしたので、またコメントします(笑)
Is Kosovo Serbia? We ask a historian
http://www.guardian.co.uk/world/2008/feb/26/kosovo.serbia
コソボ独立に関して、未だかつて「自治州たるコソボの独立はセルビアの主権侵害、国際法違反」という主張を覆すだけの説得力のある説明は聞いたことがなかったのですが、太田さんが紹介された、ガーディアンのこの歴史コラム、恐るべき破壊力ですね。
歴史的事実が列挙されたこのコラムを素直に読むと「コソボは歴史的に今も昔も実質的にセルビアの一部であった事実はなく、名目上の自治州というよりは、ユーゴから独立した他の共和国と同じレベルで論じられるべき」「旧ユーゴを構成していた各共和国の独立と同様、事実上(セルビアでなく)ユーゴの一部であったコソボが独立するのは自然な流れ」となります。
しかしながら、コラム中にて言及している歴史的事実は(概ねその通りだとは思いますが)コソボに都合の良い部分のみに偏っていますね。
>セルビア人にとって、歴史は彼らがバルカン半島に定着した7世紀初めに始まる。彼らがコソボを征服したのは13世紀初めになってからだ。・・オスマントルコからまずセルビアが独立し、そのセルビア王国が1912年にオスマントルコ領であったコソボを征服する。当時だってコソボの住民の少なくとも75%以上はアルバニア人(イスラム教徒)であり・・
1389年にコソボの戦いでの敗退後の長年に渡るオスマントルコの支配下でセルビア人はコソボから追放されています。1912年時点でコソボの住民にセルビア人が少ないというのは当然でしょう。加えて住民の多数派であるアルバニア人はコソボの先住民でもなんでもなく、歴史的にセルビア人のずっと後にコソボ に住み始めたという事実も押さえるべきですね。
>1918年になってコソボの法的地位は定まったが、やはりセルビアの領土に編入されることなく、新生ユーゴスラビアの一部とされた。
同コラムは概ねその通りだと思いますが、上記部分はさすがに疑問があります。セルビア人的にセルビア正教・王国の発祥の地であるコソボを数百年振りに奪還して、領土に編入しないというのは明らかに不自然です。コソボは最初からユーゴの一部という典拠が必要です。
>セルビアのミロシェヴィッチ(Milosevic)によってユーゴスラビア連邦が解体されるまで、コソボは二重の法的地位を維持した。すなわち、セルビアの一部であると同時に、セルビアと並ぶユーゴスラビア連邦の8つの単位のうちの一つだった。 しかし、後者が優位にあったと言ってよかろう。コソボは自前の議会と政府を持ち、セルビアとは連邦レベルにおいては対等だった。(チトー亡き後は、大統領職を上記の8つの単位の代表が順番に勤め、コソボの代表も大統領職を勤めた。(太田))
コソボは事実上、最初からユーゴ連邦の一つの単位で(歴史的・民族構成等の特異性により)ユーゴ内で例外的な扱い・地位にあったという印象を与える記載で同コラムで一番いやらしいと思える部分です。
コソボ自治州がユーゴ連邦内の6共和国と同等の地位を得るのは1974年の憲法ですので、コソボはユーゴ連邦樹立時からそれまでは他共和国と同等ではなかったことになりますが、同コラムは触れてません。加えて、セルビア北部のもう一つの自治州であるヴォイヴォディナ(半数はセルビア人、マジャール人等)にも同憲法にて同等の地位が与えられている事実も触れられてません。
コソボ・ヴォイヴォディナの2つの自治州が、共に等しく他共和国と同等の地位が与えられたという事実を考慮すると、ユーゴ連邦内でコソボが独立を是とするに足る例外的扱いをされていたとはとても言えません。事実、コソボの代表が大統領職を勤める前は、ヴォイヴォディナの代表が務めていますし、同ガーディアンコラムの論法に従うと、ヴォイヴォディナ自治州も歴史的にハンガリーであり、ユーゴ連邦の一部だったのだから、独立するのが自然な流れということになります。
補足します。
ユーゴの74年の憲法改正にてセルビア内のコソボ・ヴォイヴォディナの2つの自治州に対し、連邦レベルでの拒否権等の他の共和国と対等の地位・権利が与えられた背景としてはコソボのアルバニア人の自治権拡大要求があったかもしれませんが、各共和国及び自治州での自治権拡大は、そもそもが多民族国家であり民族共存がその存続に必須となるユーゴ連邦にとっては当然の成り行きでしょう。
しかし、ガーディアンコラムは、この褒められこそすれ、非難する人は誰もいないであろう(ユーゴの歴史の中で74年〜90年の16年間に過ぎない限られた期間の)自治権拡大の事実を逆手に取り、コソボのみ抜き出して巧妙にコソボの特異性をアピール(コソボ自治州は最初!?から他の共和国と対等だったのだから独立も自然だ)しているように思えます。
私も別に、何でもかんでも無理やり難癖を付けてコソボの独立はおかしいと言うつもりはないんですが、そもそもの疑問としては、他の国の分離独立は一切認めない一方でコソボのみ例外ケースとして欧米が一方的に無理やり独立させるだけの「例外的」な理由が、一体コソボのどこにあるのか?ということです。もし 米・英が、台湾もカタルーニャもキプロスもケベックもボスニア内のセルビア人共和国も全て、大多数の住民がそう望むのなら例外なく独立を支援すると言うのなら、筋は通りますのでコソボ独立も理解できますが。
<太田>
最初に終わりの箇所ですが、一般読者の方のため二点。
「欧米が」とあるところ、スペインはバスクやカタロニア(カタルーニャ)問題、スロバキアはハンガリー人地域問題、ギリシャとキプロスはキプロス北部のトルコ人地域(北キプロス・トルコ共和国)問題、ルーマニアは隣接する兄弟国モルドバのロシア人地域(沿ドニエストル共和国)問題を抱えることから、コソボ独立を承認しようとしていないことに留意が必要です(
http://www.iht.com/articles/ap/2008/02/18/europe/EU-Kosovo.php
(2月28日アクセス)等)。
また、台湾は国際法的には中華人民共和国(中共)の一部ではないので、台湾の中共からの独立はありえませんが、支那をも領土としている中華民国からの台湾の「独立」の是非は議論になっているところです。
>>1918年になってコソボの法的地位は定まったが、やはりセルビアの領土に編入されることなく、新生ユーゴスラビアの一部とされた。
>同コラムは概ねその通りだと思いますが、上記部分はさすがに疑問があります。
私の引用したガーディアン・コラムの筆者マルコーム(Noel Malcolm)はオックスフォード大学の上級研究員であり、'Kosovo: A Short History’という本を出しているらしいので、直接この本にあたってみてください。
>コソボ自治州がユーゴ連邦内の6共和国と同等の地位を得るのは1974年の憲法ですので、コソボはユーゴ連邦樹立時からそれまでは他共和国と同等ではなかったことになりますが、同コラムは触れてません。加えて、セルビア北部のもう一つの自治州であるヴォイヴォディナ(半数はセルビア人、マジャール人等)にも同憲法にて同等の地位が与えられている事実も触れられてません。
前段は知りませんでした。
後段については、マルコーム自身が、「コソボ以外のほとんどすべての単位は現在独立国家となっている」と「ほとんど」と言っているのでまあよろしいのでは・・。
いずれにせよ、ヴォイヴォディナではセルビア人が65.5%も占めており(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A
)、コソボとは事情が決定的に異なります。
<Pixy>
The Kosovo precedent
http://commentisfree.guardian.co.uk/irina_filatova/2008/02/the_kosovo_precedent.html
ガーディアンの上記コラム、ロシアが何故コソボ独立に反対しているのかの説明があり、面白かったです。
ロシアのコソボ独立反対は、大国復活を目指すロシアの外交上のいやがらせに過ぎず、内心はどうでもいいと思ってるんじゃ?と思ってましたが、記憶を頼りに勝手にまとめると、連邦国家が崩壊して、かつて自分の庭と思っていた場所が欧米に好き勝手に蹂躙されているという喪失感、欧米の方針一つで国境が変わってしまうのなら、自国の領土は誰がどうやって守ればいいのか、明日は我が身という危機感がロシアにあり、コソボ独立反対は、右派、左派問わず一致するとのことです
<太田>
セルビア外相の主張が、ニューヨークタイムス(
http://www.nytimes.com/2008/02/27/opinion/27jeremic.html?ref=opinion&pagewanted=print
。2月27日アクセス)に載っています。
コソボ独立は国際法違反であり、コソボの独立を承認する国の数は40か国程度以上には増えないだろうろうし、そもそも、独裁者ミロシェビッチが1990年代にコソボで悪行を重ねたことで、この独裁者を2000年に平和裏に権力の座から引きずり下ろした民主主義セルビアが罰せられるのはおかしい、という内容です。ご参考まで。
<ぱるっく>
はじめまして。いつもコラムを楽しみにさせてもらっています。
コラム#2026<ホロコーストの真相>を読みました。
全体的には概ね理解できる内容だったのですが、一点だけ指摘させてもらいます。
>ユダヤ人を欧州から、そして究極的には世界から駆逐しようというのは、ドイツ人だけが生み出したドイツ人固有のイデオロギーだ。
ユダヤ人を駆逐しようとしたのはドイツだけではありません。
ロシアや東欧ではポグロム(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%A0
)と言われるユダヤ人殺戮が行われていました。
<太田>
ポグロムは、特定の国ないし地域におけるユダヤ人への迫害であり、「欧州(全体)から、そして究極的には世界から駆逐しよう」、すなわち文字通りユダヤ人を絶滅させよう、としたわけではありません。
<Master>
あたごはなんで自動操舵なんて使ったんだろうか?
<バグってハニー>
事故当時、仮眠をとっていたあたご艦長の更迭を石破長官もとい大臣が示唆したなんて報道されてますね。「寝てるなんてたるんでる証拠!」ということなんでしょう。
結局どんな重大事故が起きても行き着くところは精神論なんですよねえ。なんか太平洋戦争が終わって価値観がすごく変わったようでいてあんまり変わってない。
<太田>
私だってそう言いたいのはやまやまなのですが、TVを見ていたら、艦長が記者会見で「あそこが漁船の多い海域だとは思わなかった」といった趣旨の発言を行っていました。
あたごの定係港は舞鶴だし、たまたまこの艦長はこれまで横須賀出入港の経験がほとんどなかったのかもしれないけれど、ちょっとあれでは救いようがないですね。
仮眠をとっていたとかいなかったとかいう以前の話です。
事故が起きる直前まで自動操舵にしていたことや、見張り員やレーダー員のぶったるみ方等を見るにつけ、艦長の甘い認識が艦全体を覆っていたということでしょう。
昔から軍艦は運命共同体であり、乗員は全員艦長の手足に過ぎません。
更に厳しいことをあえて言います。
艦長は、記者の様々な質問に対し、捜査の対象なのでと言って大部分口を濁していましたが、それなら上記のような発言こそ控えるべきでした、これで事故原因が艦長にあることがはっきりした感があります。もう捜査の必要などないのでは・・。
<庶民>
--自衛官の資質--
昨日から船渡健艦長と海上幕僚長の映像が流れていますね。
石破大臣も結局隠蔽体質だったことはさて置き、このお二方のトホホなご様子を見て感じるのは、頼りなさしかありません。
艦長のナイーブさ、海上幕僚長の枯れたような顔色・・・。
己の怠慢を反省するにしても、もう少し毅然とした雰囲気をトップは持っていると思い込んでいました。
実戦も海上保安庁の方が積んでいますが、海自って本当に大丈夫なんでしょうか?
他国からは優秀な海軍だと評価されているようですが・・・。
第三国に付け入る隙を見せているだけですね。
<太田>
おおむね同感です。
災害派遣や対領空侵犯措置、とりわけPKOへの派遣やイラク派遣で、生命を危険に晒す緊張感ある勤務経験を積み重ねてきた陸自や空自と、そのような経験を与えられなかった海自の差が出た、ということなのかもしれません。
(体を張った)TVゲーム(訓練・演習)の腕とゴマスリの巧みさだけで出世の程度が決まる世界に生き、その勝者が海幕長であるのに対し、ゴマスリの方がイマイチだと52歳で海自の最優秀艦の艦長ではあるけれどまだ1佐、という違いとなって現れたということでしょうか。
海上自衛隊が、旧帝国海軍の良い意味での遺産を完全に食いつぶしてしまっているとすれば、これはちょっと大げさに言えば、世界にとっての損失であり、まことに哀しいことです。
<コバ>
北朝鮮と中東諸国との間の「危険な結びつき」(
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080226AT2M2600U26022008.html
)とは、核兵器開発が念頭にあるのでしょうか。
また、日本とイスラエルが北朝鮮と中東諸国との軍事協力情報を共有する仕組みを持つそうですが、日本にそうした情報を得るための能力はあるのでしょうか。安全保障を放棄している国の集めた情報など、イスラエルが肩を落としてしまいそうな・・。
<太田>
ミサイルと核兵器・・核兵器が搭載できるミサイルの問題もある・・がイスラエルの最大関心事でしょう。
日本と違ってイスラエルはイランと国交がないし、民間企業も進出していません。軍事/核情報以外で日本がイスラエルに提供できる情報はたくさんあると思いますよ。わが外務省だって全く仕事をしていないわけではありません。
<新規有料購読申し込み者>
たかじんのそこまで言って委員会で、太田さんのことを知り、非常に興味を持ちました。
著書を購入しようとしていますが、中々見つけれない時にメルマガを知り、読まさせていただいております。
無休、色々な誹謗中傷に暴力等々にも屈せず頑張って居られ、支えれることがあれば、と思い、申込させていただきました。
これからも、健康にご留意され、日本のために頑張っていただくことを願っています。
私も微力ながら、子供たちのために!
<太田>
拙著を入手したい方は、私にご注文ください。
新規に有料購読を申し込まれた方が、併せて拙著を注文されれば、6000円でコラムの全バックナンバー(主要投稿付き)と拙著が、振込料金の追加的負担無しに入手できますよ。(ただし、拙著の宅急便代は着払いです。)
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太田述正コラム#2392(2008.2.28)
<米キリスト教原理主義退潮へ?(その3)>
→非公開
<皆さんとディスカッション(続x75)>
<Pixy>
コラム#2389で自分が呼ばれた気がしたので、またコメントします(笑)
Is Kosovo Serbia? We ask a historian
http://www.guardian.co.uk/world/2008/feb/26/kosovo.serbia
コソボ独立に関して、未だかつて「自治州たるコソボの独立はセルビアの主権侵害、国際法違反」という主張を覆すだけの説得力のある説明は聞いたことがなかったのですが、太田さんが紹介された、ガーディアンのこの歴史コラム、恐るべき破壊力ですね。
歴史的事実が列挙されたこのコラムを素直に読むと「コソボは歴史的に今も昔も実質的にセルビアの一部であった事実はなく、名目上の自治州というよりは、ユーゴから独立した他の共和国と同じレベルで論じられるべき」「旧ユーゴを構成していた各共和国の独立と同様、事実上(セルビアでなく)ユーゴの一部であったコソボが独立するのは自然な流れ」となります。
しかしながら、コラム中にて言及している歴史的事実は(概ねその通りだとは思いますが)コソボに都合の良い部分のみに偏っていますね。
>セルビア人にとって、歴史は彼らがバルカン半島に定着した7世紀初めに始まる。彼らがコソボを征服したのは13世紀初めになってからだ。・・オスマントルコからまずセルビアが独立し、そのセルビア王国が1912年にオスマントルコ領であったコソボを征服する。当時だってコソボの住民の少なくとも75%以上はアルバニア人(イスラム教徒)であり・・
1389年にコソボの戦いでの敗退後の長年に渡るオスマントルコの支配下でセルビア人はコソボから追放されています。1912年時点でコソボの住民にセルビア人が少ないというのは当然でしょう。加えて住民の多数派であるアルバニア人はコソボの先住民でもなんでもなく、歴史的にセルビア人のずっと後にコソボ に住み始めたという事実も押さえるべきですね。
>1918年になってコソボの法的地位は定まったが、やはりセルビアの領土に編入されることなく、新生ユーゴスラビアの一部とされた。
同コラムは概ねその通りだと思いますが、上記部分はさすがに疑問があります。セルビア人的にセルビア正教・王国の発祥の地であるコソボを数百年振りに奪還して、領土に編入しないというのは明らかに不自然です。コソボは最初からユーゴの一部という典拠が必要です。
>セルビアのミロシェヴィッチ(Milosevic)によってユーゴスラビア連邦が解体されるまで、コソボは二重の法的地位を維持した。すなわち、セルビアの一部であると同時に、セルビアと並ぶユーゴスラビア連邦の8つの単位のうちの一つだった。 しかし、後者が優位にあったと言ってよかろう。コソボは自前の議会と政府を持ち、セルビアとは連邦レベルにおいては対等だった。(チトー亡き後は、大統領職を上記の8つの単位の代表が順番に勤め、コソボの代表も大統領職を勤めた。(太田))
コソボは事実上、最初からユーゴ連邦の一つの単位で(歴史的・民族構成等の特異性により)ユーゴ内で例外的な扱い・地位にあったという印象を与える記載で同コラムで一番いやらしいと思える部分です。
コソボ自治州がユーゴ連邦内の6共和国と同等の地位を得るのは1974年の憲法ですので、コソボはユーゴ連邦樹立時からそれまでは他共和国と同等ではなかったことになりますが、同コラムは触れてません。加えて、セルビア北部のもう一つの自治州であるヴォイヴォディナ(半数はセルビア人、マジャール人等)にも同憲法にて同等の地位が与えられている事実も触れられてません。
コソボ・ヴォイヴォディナの2つの自治州が、共に等しく他共和国と同等の地位が与えられたという事実を考慮すると、ユーゴ連邦内でコソボが独立を是とするに足る例外的扱いをされていたとはとても言えません。事実、コソボの代表が大統領職を勤める前は、ヴォイヴォディナの代表が務めていますし、同ガーディアンコラムの論法に従うと、ヴォイヴォディナ自治州も歴史的にハンガリーであり、ユーゴ連邦の一部だったのだから、独立するのが自然な流れということになります。
補足します。
ユーゴの74年の憲法改正にてセルビア内のコソボ・ヴォイヴォディナの2つの自治州に対し、連邦レベルでの拒否権等の他の共和国と対等の地位・権利が与えられた背景としてはコソボのアルバニア人の自治権拡大要求があったかもしれませんが、各共和国及び自治州での自治権拡大は、そもそもが多民族国家であり民族共存がその存続に必須となるユーゴ連邦にとっては当然の成り行きでしょう。
しかし、ガーディアンコラムは、この褒められこそすれ、非難する人は誰もいないであろう(ユーゴの歴史の中で74年〜90年の16年間に過ぎない限られた期間の)自治権拡大の事実を逆手に取り、コソボのみ抜き出して巧妙にコソボの特異性をアピール(コソボ自治州は最初!?から他の共和国と対等だったのだから独立も自然だ)しているように思えます。
私も別に、何でもかんでも無理やり難癖を付けてコソボの独立はおかしいと言うつもりはないんですが、そもそもの疑問としては、他の国の分離独立は一切認めない一方でコソボのみ例外ケースとして欧米が一方的に無理やり独立させるだけの「例外的」な理由が、一体コソボのどこにあるのか?ということです。もし 米・英が、台湾もカタルーニャもキプロスもケベックもボスニア内のセルビア人共和国も全て、大多数の住民がそう望むのなら例外なく独立を支援すると言うのなら、筋は通りますのでコソボ独立も理解できますが。
<太田>
最初に終わりの箇所ですが、一般読者の方のため二点。
「欧米が」とあるところ、スペインはバスクやカタロニア(カタルーニャ)問題、スロバキアはハンガリー人地域問題、ギリシャとキプロスはキプロス北部のトルコ人地域(北キプロス・トルコ共和国)問題、ルーマニアは隣接する兄弟国モルドバのロシア人地域(沿ドニエストル共和国)問題を抱えることから、コソボ独立を承認しようとしていないことに留意が必要です(
http://www.iht.com/articles/ap/2008/02/18/europe/EU-Kosovo.php
(2月28日アクセス)等)。
また、台湾は国際法的には中華人民共和国(中共)の一部ではないので、台湾の中共からの独立はありえませんが、支那をも領土としている中華民国からの台湾の「独立」の是非は議論になっているところです。
>>1918年になってコソボの法的地位は定まったが、やはりセルビアの領土に編入されることなく、新生ユーゴスラビアの一部とされた。
>同コラムは概ねその通りだと思いますが、上記部分はさすがに疑問があります。
私の引用したガーディアン・コラムの筆者マルコーム(Noel Malcolm)はオックスフォード大学の上級研究員であり、'Kosovo: A Short History’という本を出しているらしいので、直接この本にあたってみてください。
>コソボ自治州がユーゴ連邦内の6共和国と同等の地位を得るのは1974年の憲法ですので、コソボはユーゴ連邦樹立時からそれまでは他共和国と同等ではなかったことになりますが、同コラムは触れてません。加えて、セルビア北部のもう一つの自治州であるヴォイヴォディナ(半数はセルビア人、マジャール人等)にも同憲法にて同等の地位が与えられている事実も触れられてません。
前段は知りませんでした。
後段については、マルコーム自身が、「コソボ以外のほとんどすべての単位は現在独立国家となっている」と「ほとんど」と言っているのでまあよろしいのでは・・。
いずれにせよ、ヴォイヴォディナではセルビア人が65.5%も占めており(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A
)、コソボとは事情が決定的に異なります。
<Pixy>
The Kosovo precedent
http://commentisfree.guardian.co.uk/irina_filatova/2008/02/the_kosovo_precedent.html
ガーディアンの上記コラム、ロシアが何故コソボ独立に反対しているのかの説明があり、面白かったです。
ロシアのコソボ独立反対は、大国復活を目指すロシアの外交上のいやがらせに過ぎず、内心はどうでもいいと思ってるんじゃ?と思ってましたが、記憶を頼りに勝手にまとめると、連邦国家が崩壊して、かつて自分の庭と思っていた場所が欧米に好き勝手に蹂躙されているという喪失感、欧米の方針一つで国境が変わってしまうのなら、自国の領土は誰がどうやって守ればいいのか、明日は我が身という危機感がロシアにあり、コソボ独立反対は、右派、左派問わず一致するとのことです
<太田>
セルビア外相の主張が、ニューヨークタイムス(
http://www.nytimes.com/2008/02/27/opinion/27jeremic.html?ref=opinion&pagewanted=print
。2月27日アクセス)に載っています。
コソボ独立は国際法違反であり、コソボの独立を承認する国の数は40か国程度以上には増えないだろうろうし、そもそも、独裁者ミロシェビッチが1990年代にコソボで悪行を重ねたことで、この独裁者を2000年に平和裏に権力の座から引きずり下ろした民主主義セルビアが罰せられるのはおかしい、という内容です。ご参考まで。
<ぱるっく>
はじめまして。いつもコラムを楽しみにさせてもらっています。
コラム#2026<ホロコーストの真相>を読みました。
全体的には概ね理解できる内容だったのですが、一点だけ指摘させてもらいます。
>ユダヤ人を欧州から、そして究極的には世界から駆逐しようというのは、ドイツ人だけが生み出したドイツ人固有のイデオロギーだ。
ユダヤ人を駆逐しようとしたのはドイツだけではありません。
ロシアや東欧ではポグロム(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%A0
)と言われるユダヤ人殺戮が行われていました。
<太田>
ポグロムは、特定の国ないし地域におけるユダヤ人への迫害であり、「欧州(全体)から、そして究極的には世界から駆逐しよう」、すなわち文字通りユダヤ人を絶滅させよう、としたわけではありません。
<Master>
あたごはなんで自動操舵なんて使ったんだろうか?
<バグってハニー>
事故当時、仮眠をとっていたあたご艦長の更迭を石破長官もとい大臣が示唆したなんて報道されてますね。「寝てるなんてたるんでる証拠!」ということなんでしょう。
結局どんな重大事故が起きても行き着くところは精神論なんですよねえ。なんか太平洋戦争が終わって価値観がすごく変わったようでいてあんまり変わってない。
<太田>
私だってそう言いたいのはやまやまなのですが、TVを見ていたら、艦長が記者会見で「あそこが漁船の多い海域だとは思わなかった」といった趣旨の発言を行っていました。
あたごの定係港は舞鶴だし、たまたまこの艦長はこれまで横須賀出入港の経験がほとんどなかったのかもしれないけれど、ちょっとあれでは救いようがないですね。
仮眠をとっていたとかいなかったとかいう以前の話です。
事故が起きる直前まで自動操舵にしていたことや、見張り員やレーダー員のぶったるみ方等を見るにつけ、艦長の甘い認識が艦全体を覆っていたということでしょう。
昔から軍艦は運命共同体であり、乗員は全員艦長の手足に過ぎません。
更に厳しいことをあえて言います。
艦長は、記者の様々な質問に対し、捜査の対象なのでと言って大部分口を濁していましたが、それなら上記のような発言こそ控えるべきでした、これで事故原因が艦長にあることがはっきりした感があります。もう捜査の必要などないのでは・・。
<庶民>
--自衛官の資質--
昨日から船渡健艦長と海上幕僚長の映像が流れていますね。
石破大臣も結局隠蔽体質だったことはさて置き、このお二方のトホホなご様子を見て感じるのは、頼りなさしかありません。
艦長のナイーブさ、海上幕僚長の枯れたような顔色・・・。
己の怠慢を反省するにしても、もう少し毅然とした雰囲気をトップは持っていると思い込んでいました。
実戦も海上保安庁の方が積んでいますが、海自って本当に大丈夫なんでしょうか?
他国からは優秀な海軍だと評価されているようですが・・・。
第三国に付け入る隙を見せているだけですね。
<太田>
おおむね同感です。
災害派遣や対領空侵犯措置、とりわけPKOへの派遣やイラク派遣で、生命を危険に晒す緊張感ある勤務経験を積み重ねてきた陸自や空自と、そのような経験を与えられなかった海自の差が出た、ということなのかもしれません。
(体を張った)TVゲーム(訓練・演習)の腕とゴマスリの巧みさだけで出世の程度が決まる世界に生き、その勝者が海幕長であるのに対し、ゴマスリの方がイマイチだと52歳で海自の最優秀艦の艦長ではあるけれどまだ1佐、という違いとなって現れたということでしょうか。
海上自衛隊が、旧帝国海軍の良い意味での遺産を完全に食いつぶしてしまっているとすれば、これはちょっと大げさに言えば、世界にとっての損失であり、まことに哀しいことです。
<コバ>
北朝鮮と中東諸国との間の「危険な結びつき」(
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080226AT2M2600U26022008.html
)とは、核兵器開発が念頭にあるのでしょうか。
また、日本とイスラエルが北朝鮮と中東諸国との軍事協力情報を共有する仕組みを持つそうですが、日本にそうした情報を得るための能力はあるのでしょうか。安全保障を放棄している国の集めた情報など、イスラエルが肩を落としてしまいそうな・・。
<太田>
ミサイルと核兵器・・核兵器が搭載できるミサイルの問題もある・・がイスラエルの最大関心事でしょう。
日本と違ってイスラエルはイランと国交がないし、民間企業も進出していません。軍事/核情報以外で日本がイスラエルに提供できる情報はたくさんあると思いますよ。わが外務省だって全く仕事をしていないわけではありません。
<新規有料購読申し込み者>
たかじんのそこまで言って委員会で、太田さんのことを知り、非常に興味を持ちました。
著書を購入しようとしていますが、中々見つけれない時にメルマガを知り、読まさせていただいております。
無休、色々な誹謗中傷に暴力等々にも屈せず頑張って居られ、支えれることがあれば、と思い、申込させていただきました。
これからも、健康にご留意され、日本のために頑張っていただくことを願っています。
私も微力ながら、子供たちのために!
<太田>
拙著を入手したい方は、私にご注文ください。
新規に有料購読を申し込まれた方が、併せて拙著を注文されれば、6000円でコラムの全バックナンバー(主要投稿付き)と拙著が、振込料金の追加的負担無しに入手できますよ。(ただし、拙著の宅急便代は着払いです。)
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太田述正コラム#2392(2008.2.28)
<米キリスト教原理主義退潮へ?(その3)>
→非公開
2008年02月27日
太田述正コラム#2026(2007.8.27)
<ホロコーストの真相>(2008.2.27公開)
1 始めに
300万人も先の大戦後に不慮の死を遂げる羽目になったドイツ人が、戦時中に犯した最大の罪がユダヤ人大量虐殺、いわゆるホロコーストです。
両親をホロコーストで失った老ユダヤ人歴史学者の手でホロコーストに関する決定版とも言うべき本が今年出版されました。
フリードレンダー(Saul Friedlander。aにウムラウトがつく。1932年〜)による'THE YEARS OF EXTERMINATION--Nazi Germany and the Jews, 1939-1945’です。
例によってその概要をご紹介しましょう。
(以下、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/05/11/AR2007051101768_pf.html
(5月13日アクセス)、及び
http://www.nytimes.com/2007/06/24/books/review/Evans-t.html?ex=1340337600en=dc8de847d86facc7ei=5088partner=rssnytemc=rss&pagewanted=print、
http://www.msnbc.msn.com/id/18083304/site/newsweek/page/0/、
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1186557464098&pagename=JPost%2FJPArticle%2FPrinter、
http://www.latimes.com/features/books/cl-ca-friedlander15jul15,0,491398,print.story?coll=la-books-headlines
(いずれも8月27日アクセス)による。)
2 ホロコーストの真相
(1)ホロコーストの責任
ア ヒットラーに一義的な責任がある
ホロコーストの責任は一義的にはヒットラーにある。
米国の参戦こそ、ヒットラーがユダヤ人の全面的東方追放、そして最終的には全面的殺戮(ホロコースト)に踏み切るきっかけとなった
そもそもヒットラーは、ローズベルトの次第にエスカレートする対独活動をユダヤ人の仕業と考えていた。
そして、1941年12月に米国が参戦した時、ヒットラーは、彼が1939年に行ったところの、ユダヤ人が世界を戦争に巻き込んだら報復するという約束を果たさなければならなくなった。
ヒットラーは、少なくとも一度はSSの司令官であるヒムラー(Heinrich Himmler)と会って、死の収容所等で殺戮されたユダヤ人の数を整理した表に見入ったことがあるが、このことからも、ヒットラーがホロコーストの進捗状況に強い関心を持っていたことが分かる。
ヒットラーは1943年2月のスターリングラード包囲戦での敗北も、当然ユダヤ人のせいだと考え、「現代の人類は、ユダヤ人を絶滅(eliminate)させる以外に方法はない」と語っている。
ヒットラーは1943年7〜8月のハンブルグへの英空軍による大空襲もユダヤ人の企みだと抜かす始末だった。
実際には、占領下にあった欧州以外にいたユダヤ人達が英米にアウシュビッツとそこへの鉄道の経路を爆撃するよう働きかけたにもかかわらず、それが実現しなかったくらい、ユダヤ人には影響力などなかったというのに・・。
イ ナチス指導部はもちろん連帯責任を負っている
ナチス指導部、特にSSの指導部は当然、このヒットラーの妄想について、連帯責任を負っている。
戦況が不利に傾いた時期になっても、ナチスはドイツ人とポーランド等におけるドイツ協力者達の結束を図るためには反ユダヤ主義が唯一の効果的イデオロギーであることを知悉していた。
だから、戦争末期にかえってユダヤ人殺戮のペースが上がったのは、一見常識に反するが、決して驚くべきことではない。
そして、敗戦直前には、彼らは証拠隠滅を図ろうとした。
ウ 当時のドイツ人全体も責任も免れない。
ユダヤ人を欧州から、そして究極的には世界から駆逐しようというのは、ドイツ人だけが生み出したドイツ人固有のイデオロギーだ。
彼らは、ユダヤ人の大量殺戮が行われていることを知っていたし、決して脅かされてユダヤ人迫害に協力したわけでもない。
いずれにせよ、当時のドイツ人をナチスとドイツ人に分けることなどナンセンスだ。
エ ナチスドイツ占領地区の当時の住民全体も責任がないとは言えない
ナチスドイツが占領したオランダ・フランス・ポーランド・ウクライナ等の住民の大部分は、ホロコーストに手を貸すか傍観したのであって、ユダヤ人にほとんど同情を寄せなかった。
占領された大部分の国の官憲は、ユダヤ人狩りに喜んで従事した。
ポーランド・ルーマニア・クロアチアでは、国(地域)を挙げてユダヤ人狩りに狂奔した。
ただし、ブルガリアとスロバキアでは、民衆のユダヤ人殺戮への怒りにより両国政府がユダヤ人殺戮への協力方針を撤回している。
また、いくつかの国のカトリック教会の指導者達がユダヤ人殺戮に異議を唱えたし、神父で危険を冒して個人的にユダヤ人を助けた人達もいた。しかし、カトリックに改宗したユダヤ人だけは守ったものの、全般的にはナチスを懼れて、何もしない神父達が多かった。
それどころか、クロアチア等では、神父達は積極的にユダヤ人狩りに手を貸した(注1)。
(注1)1941年、既にユダヤ人大量殺戮のニュースが広く伝わってきていたというのに、時の法王ピオ(Pius)12世は、ワグナーの楽劇の抜粋公演を行って欲しいとベルリン歌劇団をバチカンに招待する電報を打っている。
(2)ホロコーストへの軌跡
ユダヤ人をドイツ及び欧州から駆逐しようというイデオロギーをナチス指導部と多くのドイツ人が抱いていたことは事実だが、一直線にホロコーストに至ったのではなく、それは、軍事的・政治的・経済的制約と機会という文脈の中で、ゲットーに閉じこめる→追放する→地域的殺戮→全体的殺戮(注2)、と「進化」する軌跡をたどった。
(注2)ホロコースト否定論者は、この本で引用されている無数の一次資料に直接あたるべきだ。例えば、アウシュビッツで、ユダヤ人のガス殺戮死体の後始末作業に従事させられ、その事実を詳細に書き残し、自らも殺戮されたユダヤ人の日記など。(太田)
(3)ドイツ人の精神的堕落
ユダヤ人を悪の根源、かつ最大の敵とするナチスの宣伝は、予期した以上の効果を発揮し、当時の大方のドイツ人は、ユダヤ人を嫌悪し、殺戮しようと思うに至った。
このような精神的堕落が、早くもポーランド侵攻の際、SSをして、本来悪でも敵でもない3,000人の精神障害者達を、病院から駆逐して病院を兵舎として使うために殺戮せしめた。
ソ連兵捕虜の百万単位での殺戮、ポーランドの知識人の計画的殺戮、約20万人の精神障害者ないし身体障害者たるドイツ人の殺害、欧州のジプシーの多くの殺戮、等は、このドイツ人の精神的堕落の論理的帰結だった。
3 終わりに
独裁者とその一派の吹き込んだイデオロギーにかぶれ、犯罪的指示にも喜々として従って行動する国民、これが当時のドイツの醜悪な姿です。
これは先の大戦時の日本の姿とは対蹠的です。
なぜなら、当時の日本の姿はよかれ悪しかれ、イデオロギーなどあってなきがごとしであって、ひたすら民意に忠実に軍部を含むところの政府が行動する、というものだったからです。
<ホロコーストの真相>(2008.2.27公開)
1 始めに
300万人も先の大戦後に不慮の死を遂げる羽目になったドイツ人が、戦時中に犯した最大の罪がユダヤ人大量虐殺、いわゆるホロコーストです。
両親をホロコーストで失った老ユダヤ人歴史学者の手でホロコーストに関する決定版とも言うべき本が今年出版されました。
フリードレンダー(Saul Friedlander。aにウムラウトがつく。1932年〜)による'THE YEARS OF EXTERMINATION--Nazi Germany and the Jews, 1939-1945’です。
例によってその概要をご紹介しましょう。
(以下、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/05/11/AR2007051101768_pf.html
(5月13日アクセス)、及び
http://www.nytimes.com/2007/06/24/books/review/Evans-t.html?ex=1340337600en=dc8de847d86facc7ei=5088partner=rssnytemc=rss&pagewanted=print、
http://www.msnbc.msn.com/id/18083304/site/newsweek/page/0/、
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1186557464098&pagename=JPost%2FJPArticle%2FPrinter、
http://www.latimes.com/features/books/cl-ca-friedlander15jul15,0,491398,print.story?coll=la-books-headlines
(いずれも8月27日アクセス)による。)
2 ホロコーストの真相
(1)ホロコーストの責任
ア ヒットラーに一義的な責任がある
ホロコーストの責任は一義的にはヒットラーにある。
米国の参戦こそ、ヒットラーがユダヤ人の全面的東方追放、そして最終的には全面的殺戮(ホロコースト)に踏み切るきっかけとなった
そもそもヒットラーは、ローズベルトの次第にエスカレートする対独活動をユダヤ人の仕業と考えていた。
そして、1941年12月に米国が参戦した時、ヒットラーは、彼が1939年に行ったところの、ユダヤ人が世界を戦争に巻き込んだら報復するという約束を果たさなければならなくなった。
ヒットラーは、少なくとも一度はSSの司令官であるヒムラー(Heinrich Himmler)と会って、死の収容所等で殺戮されたユダヤ人の数を整理した表に見入ったことがあるが、このことからも、ヒットラーがホロコーストの進捗状況に強い関心を持っていたことが分かる。
ヒットラーは1943年2月のスターリングラード包囲戦での敗北も、当然ユダヤ人のせいだと考え、「現代の人類は、ユダヤ人を絶滅(eliminate)させる以外に方法はない」と語っている。
ヒットラーは1943年7〜8月のハンブルグへの英空軍による大空襲もユダヤ人の企みだと抜かす始末だった。
実際には、占領下にあった欧州以外にいたユダヤ人達が英米にアウシュビッツとそこへの鉄道の経路を爆撃するよう働きかけたにもかかわらず、それが実現しなかったくらい、ユダヤ人には影響力などなかったというのに・・。
イ ナチス指導部はもちろん連帯責任を負っている
ナチス指導部、特にSSの指導部は当然、このヒットラーの妄想について、連帯責任を負っている。
戦況が不利に傾いた時期になっても、ナチスはドイツ人とポーランド等におけるドイツ協力者達の結束を図るためには反ユダヤ主義が唯一の効果的イデオロギーであることを知悉していた。
だから、戦争末期にかえってユダヤ人殺戮のペースが上がったのは、一見常識に反するが、決して驚くべきことではない。
そして、敗戦直前には、彼らは証拠隠滅を図ろうとした。
ウ 当時のドイツ人全体も責任も免れない。
ユダヤ人を欧州から、そして究極的には世界から駆逐しようというのは、ドイツ人だけが生み出したドイツ人固有のイデオロギーだ。
彼らは、ユダヤ人の大量殺戮が行われていることを知っていたし、決して脅かされてユダヤ人迫害に協力したわけでもない。
いずれにせよ、当時のドイツ人をナチスとドイツ人に分けることなどナンセンスだ。
エ ナチスドイツ占領地区の当時の住民全体も責任がないとは言えない
ナチスドイツが占領したオランダ・フランス・ポーランド・ウクライナ等の住民の大部分は、ホロコーストに手を貸すか傍観したのであって、ユダヤ人にほとんど同情を寄せなかった。
占領された大部分の国の官憲は、ユダヤ人狩りに喜んで従事した。
ポーランド・ルーマニア・クロアチアでは、国(地域)を挙げてユダヤ人狩りに狂奔した。
ただし、ブルガリアとスロバキアでは、民衆のユダヤ人殺戮への怒りにより両国政府がユダヤ人殺戮への協力方針を撤回している。
また、いくつかの国のカトリック教会の指導者達がユダヤ人殺戮に異議を唱えたし、神父で危険を冒して個人的にユダヤ人を助けた人達もいた。しかし、カトリックに改宗したユダヤ人だけは守ったものの、全般的にはナチスを懼れて、何もしない神父達が多かった。
それどころか、クロアチア等では、神父達は積極的にユダヤ人狩りに手を貸した(注1)。
(注1)1941年、既にユダヤ人大量殺戮のニュースが広く伝わってきていたというのに、時の法王ピオ(Pius)12世は、ワグナーの楽劇の抜粋公演を行って欲しいとベルリン歌劇団をバチカンに招待する電報を打っている。
(2)ホロコーストへの軌跡
ユダヤ人をドイツ及び欧州から駆逐しようというイデオロギーをナチス指導部と多くのドイツ人が抱いていたことは事実だが、一直線にホロコーストに至ったのではなく、それは、軍事的・政治的・経済的制約と機会という文脈の中で、ゲットーに閉じこめる→追放する→地域的殺戮→全体的殺戮(注2)、と「進化」する軌跡をたどった。
(注2)ホロコースト否定論者は、この本で引用されている無数の一次資料に直接あたるべきだ。例えば、アウシュビッツで、ユダヤ人のガス殺戮死体の後始末作業に従事させられ、その事実を詳細に書き残し、自らも殺戮されたユダヤ人の日記など。(太田)
(3)ドイツ人の精神的堕落
ユダヤ人を悪の根源、かつ最大の敵とするナチスの宣伝は、予期した以上の効果を発揮し、当時の大方のドイツ人は、ユダヤ人を嫌悪し、殺戮しようと思うに至った。
このような精神的堕落が、早くもポーランド侵攻の際、SSをして、本来悪でも敵でもない3,000人の精神障害者達を、病院から駆逐して病院を兵舎として使うために殺戮せしめた。
ソ連兵捕虜の百万単位での殺戮、ポーランドの知識人の計画的殺戮、約20万人の精神障害者ないし身体障害者たるドイツ人の殺害、欧州のジプシーの多くの殺戮、等は、このドイツ人の精神的堕落の論理的帰結だった。
3 終わりに
独裁者とその一派の吹き込んだイデオロギーにかぶれ、犯罪的指示にも喜々として従って行動する国民、これが当時のドイツの醜悪な姿です。
これは先の大戦時の日本の姿とは対蹠的です。
なぜなら、当時の日本の姿はよかれ悪しかれ、イデオロギーなどあってなきがごとしであって、ひたすら民意に忠実に軍部を含むところの政府が行動する、というものだったからです。


