・ストーンヘンジ。附消印所沢通信5
・日露戦争から日米戦争まで:消印所沢通信3
・アシュレー。附消印所沢通信4
・戦前の米国の対英戦争計画
・日本・米国・戦争(その6)
太田述正コラム#1643(2007.1.31)
<ストーンヘンジ。附消印所沢通信5>
1 始めに
私が1988年に一年間英国に滞在した時には、もちろんロンドン南西約100マイルに位置する世界遺産、ストーンヘンジも訪問しました。
最近、ストーンヘンジの近くで、ストーンヘンジの一環をなす新たな建物群が発掘されたという話をご紹介しましょう。
2 ストーンヘンジに関する歴史の見直し
私がストーンヘンジを訪ねてからも、歴史の見直しがどんどん進んでいたことが分かりました。
まず、ストーンヘンジができた推定年代が、BC2640??BC2480年(確度95%)へと600年も遡ったということです。
もう一つは、ストーンヘンジをつくった人々が、ブリトン人のブリテン島来住以前にこの島に住んでいた正体不明の原住民ということになっていたところ、ブリトン人だということが分かった、ということです。
アングロサクソン等海外からの来住はしょっちゅうあったものの、つい最近に至るまで、ブリテン島の住人の主力はブリトン人であり続けた、という、これまた比較的最近はっきりしてきた事実を踏まえれば、現在の英国人とほぼ同じであるところのブリトン人は、エジプト人がギザのピラミッド群をつくったのとほぼ同じ時代に、それに匹敵する巨石建造物をつくる能力を持っていた、ということになるわけです。
3 新たな建物群の発掘
2003年から始まった発掘により、ストーンヘンジの東北2マイル弱のところで建物群が発見されました。
この建物群は、ラジオカーボン法により、BC2600からBC2500年、つまり約4,600年前につくられたと推定されています。
この建物群のすぐ近くで、(ストーンヘンジの石柱ならぬ)木柱(timber)を立てた(ストーンヘンジと瓜二つの円形をした)ティンバーヘンジが1967年に発見されていました。ストーンヘンジが夏至の日の出と冬至の日没を指し示す建物であるのに対し、ティンバーヘンジは逆に冬至の日の出と夏至の日没を指し示す建物と考えられてきました。
このことを改めて裏付けたのが、今回発掘された建物群(一つ一つの建物は、約5メートル四方の木造ワンルームで、部屋の中央部に炉床、焼き物を敷き詰めた床、ベッド跡、そして家具跡が認められる)から、冬至の頃に行ったと思われる宴会の跡(壊れた壺や石器や食い散らかした動物の骨等)が発見されたことです。冬至の頃と推定できる根拠は、動物の骨が約9ヶ月の月齢のものが多く、動物は春に子供を産ませるものだからです。
この建物群は、250キロ離れたウェールズから運ばれてきた石を使ってストーンヘンジを建設した人々の宿舎でもあったと考えられています。
また、この建物群からすぐ近くのエーボン(Avon)河まで火打ち石が敷き詰められた500フィート長の道路が設けられていたことも今回判明しました。ちなみに、ストーンヘンジからエーボン河までも同様の、しかしはるかに長い道路が設けられています。
ストーンヘンジは太陽神と祖先を崇拝する施設であると考えられてきたところから、恐らく、当時まだ定住していなかったブリトン人の中で死者が出ると、遺体をティンバーヘンジに持参し、そこで宴会を行いながら死者が祀られた後、遺体ないし遺灰はエーボン河まで運ばれ、そこで河中に投じられ、特別な人物の場合は、遺体がエーボン河からストーンヘンジまで運ばれ、火葬後ストーンヘンジに埋葬された、と考えられています。(ストーンヘンジには少なくとも250体の遺体が埋葬されています。)
(以上、
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/6311939.stm、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/01/30/AR2007013000661_pf.html、
http://www.nytimes.com/2007/01/31/world/europe/31stonehenge.html?pagewanted=print、
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-ex-stonehenge30jan31,0,2474737,print.story?coll=la-home-headlines
(いずれも1月31日アクセス)による。)
4 感想
王家の歴史こそ日本よりもちょっと短いけれど、同じ島国である英国の民族史は日本よりもはるかに長く、しかも英国は、日本とは違って木の文化ではなく、最初から木石混合文化であったというわけですが、その一方で、英国人も、もともとは太陽神と祖先を崇拝する信仰の持ち主だったという点では、神道成立後の日本と大変似通っており、改めて親近感がわきますね。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――消印所沢通信5:MMR,あるいは矢追純一スペシャル「宇宙人は日本を狙っている!」
局長「諸君,まずはこれを見てくれたまえ」
http://wiki.nothing.sh/1070.html
局員一同「これは……!!」
局長「これは,このところネットをにぎわせていた事件をまとめたサイトだ.
社民党・阿部知子議員のネットでの発言に端を発し,非難の大合唱が起こったとい
うものだ.
詳しい経過は
http://obiekt.seesaa.net/article/31798228.html
http://obiekt.seesaa.net/article/31950805.html
および
http://obiekt.seesaa.net/article/32049046.html
を見てほしい.
最近でも,その秘書が
> ギョーカイ用語で「炎上」というらしいのですが、個人では収集がつかなくな
り、
>やむなく一旦閉鎖することにしました。
(略)
> ネット上の方々を相手に、シャドーボクシングをする力量は今の私にはありませ
ん。
> 私は毎日、現実と格闘している方々のお話を伺い続けています。
http://www.cafeblo.com/happyspringwater/
と,火に油を注いだ上にダイナマイトを放り込むかのような,ネチズンの神経を逆な
でする
対応を見せているから,今後もまだまだ尾を引くだろう」
局員A「しかし,これではまるで,自衛隊がサボってたかのような物言いじゃないで
すか.
出動準備は整えていたものの,シビリアン・コントロールという制約の下で,出動
しようにも
できなかった,ということも知らなかった議員がいるなんて,信じられません」
局員B「しかも,当時の首相,つまり自衛隊の最高指揮官は社会党の村山だったはず
ですよ..
これはひょっとして,遠回しな内部批判?(笑)」
局員C「一応,村山首相の責任については,
・そもそも,『村山さんは,首相が自衛隊の最高指揮官であることすら知らなかっ
た』
ところへもってきて,
・官邸に『碌に情報が入っていなかった』ために生じた齟齬であって,『村山氏に全
く落ち度はない』
http://mltr.e-city.tv/faq05e.html#07707
http://mltr.e-city.tv/faq05e.html#ignorant-MURAYAMA
という意見もあるが……」
局員D「でも,とても信じられないわ.
まるで,その当時の首相がどの党の人間なのかを知らなかったかのような議員や,
自分が自衛隊の
最高指揮官であることすら知らない首相がいるなんて」
局長「そう,とても信じられる話ではない.
ということは,この阿部議員の発言は,何か別のことを暗に伝えようとするメッ
セージ….
そう解釈するのが最も自然ではないだろうか」
局員A「? それはいったいどういうことでしょう?」
局長「つまり阿部議員は,自衛隊は本当は首相の指揮下になく,日本政府以外の何物
かに
コントロールされている,と言いたいんだよ!」
局員一同「……!!」
局員D「日本政府じゃないとしたら,じゃあ,まさか…」
局長「そう,自衛隊は,いや,日本全体が既にエイリアンのコントロール下にあると
いうことを
リークしようとしているに違いない」
局員一同「なっ…なんだってええええ!!」
局員C「そういえば腑に落ちないことがある.関西はそれまで殆ど地震がなかった地
域だ.そのせいで
防災への備えが弱かったという.
そこへ突然あんな大地震.不自然すぎる…」
局員A「まさか,エイリアンの地震兵器…!?」
局員一同(ざわ… ざわ…)
局長「さらに,もう一つ不可解な点が,阿部議員メルマガにはある.
この『国土保安隊』という単語だ.
自衛隊の前身は保安隊,さらにその前身は警察予備隊であって,『国土保安隊』と
いう名前ではない.
しかも阿部議員のサイトでは,何日か後にこっそり『警察予備隊』に書き換えられ
たという.
いい年をした大人が,そんなコソコソした真似をするだろうか?
これには何か別の意図があるはずだ」
局員B「もしかして,何かのアナグラムとか?」
局長「そう,そこで,この二つの単語,『国土保安隊』『警察予備隊』を分解し,並
べ替えてみよう.
察,備,安,国,土,警,隊
さつ・び・あん・こく・ど・けい・たい
…『水金地火木土天海冥』という言葉と発音が似てないか?」
局員A「! そういえば…」
局員D「でも局長,『冥』がないわ」
局員C「冥王星は惑星ではなくなったばかりだぞ」
局員D「……!!」
局員A「そうか,全ては繋がっていたんだ!」
局長「そうだ.
これは近い将来,惑星直列が起こるということを,阿部議員は予言しているんだ.
そしてそのとき,惑星直列のエネルギーを利用してエイリアンは再び地震兵器を用
い,
人類は
滅亡する……」
局員一同「なっ…なんだってええええ!!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<太田>
>さつ・び・あん・こく・ど・けい・たい …『水金地火木土天海冥』という言葉と発音が似てないか?
ウーン。
「び」=ビーナス=金星、「あん」=earth=地球、「こく」=もく=木星、「ど」=土星、「けい」=かい=海王星、あたりまでは何となく分かるけれど、「さつ」がどうして水星なんだろう。
satu=sui=水 ということか?
それに火星がいないのでは?
「あん」を「あ」と「ん」に分解して、「ん」=「運命」を「火」ないし「火の鳥」、もしくは「mars」や「Ares」 にこじつけるのだろうか、
なーんて深刻に悩んでしまいました。
近頃、こんなに頭を使ったことはありません。
太田述正コラム#1633(2007.1.23)
<バグってハニー通信3:日露戦争から日米戦争まで>
(無料購読者数が、どちらかというと目減り気味なので、即日公開版を少しでも増やすべく、バグってハニーさんの本日の投稿5本の順序を入れ替え、若干つなぎの文句等を付け加える等をしてコラム仕立てにさせていただきました。バグってハニーさんはご不満かも知れないけれど、ぜひご理解下さい。なお、脚注はすべて私がつけたものであること、その際、脚注すべてに典拠を付ける労を惜しんだことを、お断りしておきます。)
1 始めに
太田コラム#1614(公開)に対する私の投稿への太田さんの回答に「誰かこういった反論をしてくれることを期待して、あえてスキを作っておいたのです」とありました。
がび??ん!いわゆる釣りってやつですか。でも、対英作戦計画であるレッド計画についての太田コラム#1621(公開)はおもしろかったです。カナダ国境で陸軍を並べて大規模演習をするというのは関特演を彷彿とさせますよね。ただ、「1935年には...民間空港に偽装した航空基地の建設が始まります」(注1)というのは一見して陰謀論にありがちな曲解の匂いがしますが。もちろん、ちゃんと反論するには自分で調べてみなきゃなりません。
(注1)「1935年には...民間空港に偽装した3つの航空基地の建設が始まります」の「3つの」を入れるのを忘れたので訂正しておきます。(太田)
いずれにせよ、ある読者が、米英間の緊張関係は19c末に独露の台頭で英が対米懐柔外交に転換するまで続いたとする論考(
http://www.foreignaffairs.org/20020101faessay6564/walter-russell-mead/the-american-foreign-policy-legacy.html
)(注2)を紹介されているようように、米英間の敵意(どっちがどっちを敵視したのかはおいといて)が続いたのは19世紀末までですよ。
(注2)この論考はインターネット上に公開されていないのですが、その紹介文を読む限り、筆者は米国人であり、米国は朝野を挙げてレッド計画の意味の矮小化に努めてきた、と私は既に(コラム#1621で)指摘しているところです。(太田)
ですから太田コラム#1621(公開)で、「20世紀初頭の時点で米国が最も敵視していたのは日英同盟であり、その日英同盟の解消に成功してからは、米国の第一の敵は英国、第二の敵は日本となります。」という風に米英間の緊張を日露戦争後のワシントン体制、さらには1935年まで引き伸ばそうとするのは常識的におかしいですよ。
これではなぜ米国がWWIで大規模な陸軍を欧州に派遣して(1917年から)英国に助太刀したのかが説明できないですよ。英国を敵視してるのだったら独にやっつけられるのを待てば良いだけですからね。そうではなくて、この時点で米国にとって独のほうがよほど優先順位の高い脅威であったと考えるのが普通だと思います(注3)。
(注3)違います。当時の米ウィルソン大統領も米世論も欧州でのこの大戦争に参戦するつもりが全くなかったのに、米国が参戦せざるをえなくなったのは、ドイツが米国にとっての三番目の「仇敵」たる隣国メキシコに対米軍事同盟締結を働きかけたことを、英国が暴いて米国に通報したからです(
http://en.wikipedia.org/wiki/Zimmermann_Telegram
。1月23日アクセス)。つまり、米国は日本と違って、自らの国土防衛のために参戦したのです。参戦後、米国が日本よりもはるかに積極的に戦ったのはそのためです。(太田)
この太田コラムでは、対ドイツ作戦計画であるブラック計画がないことも問題視されてましたが、ブラック計画はWWIとして実行されたのであり、その後新たなブラック計画が策定されなかったのはWWIの結果、米国が再び引きこもり状態に戻ったために、計画がリークしたときの政治的リスクが高かったからだと考えればいいのと違いますかね(注4)。
(注4)とんでもない。そんなことを恐れていたら、リークされた時の政治的リスクがはるかに高かったところのレッド計画やオレンジ計画を米国政府が策定するわけがありませんよ。(太田)
日本はWWIに海軍を派遣して100人単位で戦死者を出してますが(ウィキペディア調べ)、米国は海軍に加え仏に百万人以上の陸軍を派遣し10万人以上の戦死者を出しています(Wikipedia調べ)。日本が条約の条文に拘って一部の日本の政治家にとってはしぶしぶの派遣であったのに対して(日英同盟では日本には欧州に派兵する義務はなかった)、米英間にはそもそも条約が存在していないのにもかかわらず、米国は文字通り桁違いの貢献をしたわけですよ(注3)。英国にとって日本と米国とどちらが重要な同盟国であるのかはこれではっきりしたと思います。米国の思惑で日英同盟が廃れるのも自然なことですよね。
2 日露戦争について
露の台頭もそうですよ。日露戦争の主要因は露の南進政策ですよね。これを米国は日本と同様に極東の安定を乱す脅威とみなしたわけで、だから危機感を共有した日米間に一種の同盟関係が生まれただけの話(注5)ですよ。米国が日本を側方支援したのは露の台頭を阻むためであって、米国には日本にほれ込む義理はないです。
(注5)日露戦争勃発当時、米世論は判官贔屓で日本寄りでしたが、だからといって「日米間に一種の同盟関係」など全く存在していませんでした。ドイツ生まれで全米ユダヤ人協会会長でもあったユダヤ系米国人で銀行家のヤコブ・シフが、日露戦争勃発直前の段階においてその勃発と日本の戦時国債が発行されるであろうことを知る立場となり、在米ユダヤ人達とあらかじめ根回しし、いよいよこの戦時国債が発行されるや、その引き受けに尽力した話は有名ですが、これはシフが、当時ユダヤ人迫害の元凶であったロシア憎しの感情から、戦争での勝敗を度外視して日本を支援しようと思ったからであり、ここに米国政府の意向は入っていません。(
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe150.html
。1月20日アクセス)(太田)
太田コラム#1628(未公開)には、「<日本は日露戦争に勝利してシベリアの半分を獲得するだろうというNYタイムス>記事の出た翌日、ルーズベルトは日露講和の斡旋を名乗り出る。そしてポーツマス条約にいたるが、そんな人物が、真剣に日本のためになる講和をやるだろうか。しかし、日本は愚直にも彼の善意を信じた。」という引用があり、なんだか太田コラムらしからぬ浪花節です。
当たり前の話ですがルーズベルト大統領は合衆国大統領なのであって、彼の本分は日本ではなく米国のために働くことにあります。そうしてなかったらもちろん彼は責められて当然ですが...。米国にとって重要なことは極東の安定が保たれることにあるわけです。それが米国が日本に肩入れした理由です。ですから、その結果、逆に日本が広大な領地を獲得することは米国にとってやはり極東におけるバランス・オブ・パワーが崩れることを意味するので当然反対するでしょう。日本にはすでに戦争継続能力がなくなっていたというのが私の見立てでして、ですからポーツマス条約の内容は日本にとって分相応だと思いますが、この引用がそうではないとしているのは、米国の勘違いか、筆者がわざと米国を悪玉に仕立てるためにこんな風になったのでしょう(注6)。
(注6)日本の継戦能力がなくなっていたことに言及していない点では、どちらかと言えば日本悪玉論者と言ってよい朝河貫一も同様です(コラム#1629(未公開))。ということは、米国政府自体そう思っていなかった可能性が大です。米国の国際情勢分析能力のお粗末さは、私が累次指摘しているところでしたよね。いわんや当時の米国においてをや。(太田)
3 日米戦争について
(1)日米戦争の原因
WWIIというのは経済の観点からも切り込めると私は思うのです。つまり植民地主義経済から自由主義経済への転換ですよね。ここでは植民地主義とは植民地を獲得・運営して自給自足の経済体制を確立するという意味にしておきます。ですから経済は自然とブロック化します(注7)。そして、必ずそこからアボンされる国が出てきて、日独のように国民に不満がたまっていくわけです。それが暴発するのも自然な流れだったのでしょう。日本は結局身の丈を忘れて列強の真似事を始め(注8)て最後に貧乏くじを引く羽目になったというのが私の見立てです。
(注7)列強が、本国と植民地間の貿易の関税を減免するのは当たり前ですが、戦間期に各列強が相互に関税引き上げ競争に走るきっかけをつくったのは、米国が大恐慌期に、愚かかつ無責任にも関税を引き上げたことです(典拠省略)。(太田)
(注8)日本の台湾領有は、台湾に統治権が事実上及んでいないことを清が認めたことの論理必然的結果であることは当時も今も国際常識です(
http://www.nytimes.com/2006/12/01/world/asia/01wikipedia.html?pagewanted=print。12月2日アクセス)し、朝鮮半島の領有も、その前段たる朝鮮半島の保護国化も、李氏朝鮮(大韓帝国)が自立と近代化を拒み続けたために、不本意ながら行われたものであることも、当時の欧米人の共通認識でした(例えば、イサドラ・バード『朝鮮紀行』。コラム#403)。満州の保護国化までは、スペースの関係でここでは触れません。(太田)
英国や米国からすれば、例えばフィリピンを獲得するのに大量のコストが要る。そして、そうやって獲得した権益を日本という脅威から守ろうとしたために日米開戦へとなったわけです。太平洋戦争で米国が費やしたコストは米比戦争の比ではないでしょう(注9)。米国から見ればあまりにも割りに合わないことです(注10)。まだはっきりと考えがまとまったわけではないのですが、おそらく米国がこの植民地主義に内在する矛盾に気付いた初めの国なのではないかと私は考えています。大戦中、ルーズベルト政権の肝いりで開催されたブレトンウッズ会議がまさにそうですよね。自由主義経済を確立するための布石ですよね。あるいは、もう一つ島田さんが挙げたスエズ戦争ですよね。未だに植民地主義の亡霊にしがみつこうとする英仏に米国がはっきりとノーを突きつけたという風には解釈できないでしょうか(注11)。
(注9)それを言うなら、先の大戦で英国と日本をそれぞれ世界と東アジアの覇権国的地位から引きずり下ろすことに成功した結果、米国が、(欧州文明の派生物たる)共産主義の脅威に単独で立ち向かわざるをえなくなり、朝鮮戦争、ベトナム戦争等の熱戦とソ連や中共との冷戦に先の大戦に費やしたコストの何倍ものコストを費やす羽目に陥ったことを指摘すべきでしょう。(太田)
(注10)米国は、日米戦争を含むところの先の大戦に参戦して、巨額のコストを費消することで、巨大な有効需要が創出され、初めて大恐慌以降の経済的苦境から脱することができたという明白な事実(典拠省略)を忘れてもらっては困ります。戦後の米国経済においても、巨額の軍事費は、軍事科学技術のスピンオフ等を通じてむしろ米国経済を牽引してきたとも言えます(典拠省略)。(太田)
(注11)フランスは一貫して、そして米国は建国からフィリピン領有まで、植民地主義の亡者であったけれど、英帝国や日本「帝国」の形成は、「基本的」に国際法に従って、かつ英帝国の場合は合理的な経済計算に則って、淡々と行われたものでした。それなのに米国は、英国と日本への敵意から、国際法を無視して日本等の権益を蹂躙した支那の国民党政権に肩入れして、日本「帝国」を瓦解させ、次いで先の大戦で瓦解に向かった英帝国にトドメを刺すために国際法を無視して英仏の権益を蹂躙したエジプトのナセル政権に肩入れしたのです。前者の結果東アジアにどんな惨害がもたらされたかは既に何度も申し上げているところです。一方、後者の結果は、増長したナセルによる1967年の第三次中東戦争の惹起であり、これに敗北した恨みをはらすためのサダトによる1973年の第四次中東戦争の惹起でした(
http://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Eden
。1月23日アクセス)。(太田)
太田さんが持ち出すイデオロギーの異同は私はまだはっきりとした意見はないですが、まあ、理想だけではお腹はふくれないですからね。現実的なお金という観点も見逃せないなと思います(注12)。
(注12)理想(長期的国益)と実益(短期的国益)とのバランスをどうとるかが対外政策の要諦であることは誰にも分かります。米国の場合、英国と日本に対する敵視政策は、それ以前のひどいものです。それは、国際法の擁護・普及と自由・民主主義の防衛・普及という米英日共通の理想(長期的国益)をかなぐり捨て、しかも日本に対する敵視政策の場合は、米国の実益にもほとんどならないというとんでもない代物だったからです。(太田)
補足です。物資のために植民地を武力で分捕ってくる、それを維持するのにまた武力を行使するのに対して、世界経済が自由で開かれていれば、つまり金を出せばなんでも買えるのであれば、自由主義経済には非常に低いコストで植民地主義経済と同じ効能が得られるという優位性があります。そのような経済体制の下、米国のようなすでに他に抜きん出た工業国はそのアドバンデージを永遠に維持し繁栄することができるでしょう(注13)。このように経済体制を転換させることに米国が戦争の途中から(あるいはその前から)気付いた、というのが私の主張です。
(注13)植民地経営は本国の経済に寄与する場合もその逆である場合もありますが、それはともかくとして、中共等の発展途上国が経済的に台頭したつい最近までは、貿易にせよ投資にせよ、先進資本主義国の本国間におけるものが決定的に大きなウェートを占めていました(典拠省略)。戦間期に米国が率先して関税を低減させて他国にもそうするように促しておれば、何も英帝国や日本の「帝国」を瓦解させなくても、「米国のようなすでに他に抜きん出た工業国はそのアドバンデージを・・・維持し繁栄することができ」たはずです。(太田)
ですから、黄禍論と太平洋戦争とはやっぱり関係ないですよ。
いみじくも太田先生ご指摘の通り(確か)、アジア人排斥はそのターゲットになったのは日本人よりも中国人が先です。その中国人による蒋介石政権を米国は熱心に支援したわけですから。やはり、偏見とは関係なく利用価値があれば利用する、出すぎた杭は打つ、というふうに考えたほうがすんなりいくと思います。当時の米国にアジア人に対する偏見がなかっと、と言うつもりはないですよ。ただ、外交方針とはあまり関係なかったのではないかというだけです(注14)。
(注14)米国は第一次世界大戦が始まってからでさえ、また、戦間期においては先の大戦が始まる直前まで、西欧で出すぎた杭は打つどころか、西欧への一切の介入を控えました。国益(実益)にほとんど関わらないからです。他方、北米大陸の二つの隣国であるカナダ(英国)とメキシコに対しては常に作戦計画を用意して、侵攻・併合の機会を狙いました。米国の国益(実益)に関わるからです。米国にしてみれば、前者にも後者にも戦争をふっかけ、領土をふんだくったのですから、英国やメキシコからの復讐に怯えるのは当然だし、米国として、目の前にある資源が欲しくてたまらなかったこともまた理解できないではありません。中南米大陸も米国にとって北米大陸に次ぐ国益(実益)に関わる地域でした。これも理解してあげることにしましょう。モンロー宣言を思い出してください。
その米国が、西欧同様米国の国益(実益)にはほとんど関わらない東アジアにおいては、フィリピン領有を嚆矢としてこの上もなく軽々しく介入を行い、特に、出すぎた杭である日本に対し作戦計画を用意しつつ、その出る杭を打ち続けたのはどうしてでしょうか。米国人の大部分が抱いていた黄色人種(有色人種)差別意識のせいのおかげで、米国政府が気楽に介入することができたからだとしか考えようがありません。
もう一つ、米国政府によるかかる介入を容易にした理由があります。それは、米国のプロテスタントの宣教師達が支那ではキリスト教の布教がうまく行ったのに、日本では全くダメだったということです。支那人が可愛くなるわけです。その上、蒋介石夫妻がメソジスト派のプロテスタントだということになれば、日本の「侵略」に「抵抗」する国民党ファシスト腐敗政権を米国政府が支援することに米国内から反対の声が起きなかったのは当然です(コラム#177??179(公開))。こんな馬鹿げたことになるのも、米国に(英国には全く見られないところの、)キリスト教原理主義的偏向があるからです。(太田)
サダムも一緒ですよね。イランイラク戦争では利用価値があったから支援したが、利用価値がなくなればポイですよ。米国は道義がなってないぞ、と責めるのは自由ですし、実際サダムも相当米国を恨みながら死んでいったとは思いますが、外交・国際関係なんて所詮そんなもんじゃないですかね。
(2)幣原喜重郎と吉田茂
最後に、太田コラム#1622(未公開)での幣原喜重郎批判について。
もちろん、太田先生が仰るように自分の所属する(していた)組織を批判的に眺められるのは大事ですが、岡崎さんが幣原を評価するのは外務省OBだからというだけではないですよ。「三国同盟はたしかに百害あって一益ない同盟」という文からも分かるように松岡洋右ら元外交官・元外相はおなじ外務省OBでも全く評価してないですよ。
戦前の日本にも米英協調を唱え(注15)日米開戦に消極的な勢力が確かにあったわけです。政界には幣原喜重郎、海軍には山本五十六ら条約派、官僚には吉田茂、論壇には石橋湛山(この人はちょっと違いますが)、そして昭和天皇(好意的に解釈して)。岡崎さんや私のような現代の親米は誰だって、当時の親米がもうちょっとがんばってくれてたらな、と夢想せずにはいられないんですよ(注16)。
(注15)コラム#1622(未公開)で指摘したように、当時米国は反日・反国際法であり、英国は基本的に親日・与国際法でしたから、米国協調や英国協調は理論上ありえても、米英協調なんてのは理論上ありえなかったのですよ。(太田)
(注16)しかし、米国協調は理論上ありえても、実践することなど不可能だったでしょう。米国の意図していたのは日本「帝国」の瓦解と植民地や勢力圏を失った日本の対米隷属化だったからです。そんな途方もないことを追求していたくせに、米国の常備軍事力は、それに見合うものでは全くありませんでした。これでは、一戦を交えずに米国の言いなりになる、というわけにはいかなかったことは当然だと思いませんか。他に方法があるのなら、幣原、岡崎両名に教えて欲しいものです。(太田)
太田先生の目から見れば幣原が親米英を名乗るのはおこがましい、ということなのでしょうが、外相まで勤めた彼が当時の親米の中では最右翼だったんですよ。太田先生の言う通り、日本人はもっともっとアングロサクソンを理解する必要があります。そうすればあんなばかげた戦争はなかった。
蛇足ですが、WWII後、武力の行使は限定的になったのであり、自由主義経済の下ではある意味無用の長物と化した軍事を一切外注し全てのリソースを経済発展に注ぎ込むというという英断を下した吉田茂は来るべき世界経済の到来を予期していたのであれば恐るべき卓見であったと言えます(注17)。日本が自由主義経済の発展にいかほどの努力を払ってきたのかは私はよく知らないのですが。
(注17)吉田の真意はそんなところにはなかったと拙著「防衛庁再生宣言」で詳細に説明しているのですがね。それにしても、ついに吉田ドクトリン礼讃ですか!ブルータスよお前もか、と言いたくなります。(太田)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――1有料読者であれば、かつてコラム・バックナンバーをお送りしたかどうかを問わず、いつでもご希望があれば、その時点までのコラム・バックナンバー(主要投稿付き)をzipファイルでお送りします。
2 まぐまぐでのコラム購読者はもちろんですが、E-Magazineでのコラム購読者も、原則としてメルアド変更はご自分でなさってください。要するに、旧メルアドを解除し、その前後に新メルアドを登録すればいいのです。
(消印所沢通信さんのコラムがちょっと短いこともあり、私の、歴史物でも時事物で
もないコラムをとともにお送りします。また、この種コラムを消印所沢さんのコラムと
一緒にお送りする場合は、即日公開することとします。)
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1 始めに
米国でアシュレー(Ashley)ちゃんの話が随分話題になっています。
一番詳しいタイム誌の記事と、スレート誌に載った、この話に批判的な論考の内容を
かいつまんでご紹介しましょう。
(http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1574851,00.html?xid=site-
cnn-partner
(1月9日アクセス)、及び
http://www.slate.com/id/2157861/
(1月21日アクセス))
2 アシュレーちゃんの話
米国人の6歳の女の子のアシュレーちゃんは、生まれてから3ヶ月の時に脳の発達が
止まったままで、寝返りを打つことも座ることも歩くこともできません。
そのアシュレーちゃんは、両親が大病院の医師団と相談し、先だって、高単位のエス
トロゲンが投与され、身長が大きくならないようにされ、身長が13インチ縮められて4
フィート5インチになりました。こうすればアシュレーちゃんは小さく軽いままなの
で、彼女自身にとって心地よいだけでなく、介護する者にとっても彼女を扱うこと(運
ぶ、抱きしめる等)が容易になるというのです。また、子宮も摘出されました。そもそ
も、妊娠することはないので子宮は必要ないし、摘出することによって、月経の不快感
から彼女を解放するとともに、万一強姦されて妊娠したりするのを防ぐことにもなると
いうのです。また、乳首(breast bud)も切除されました。これは、家族に乳ガンや嚢
胞性線維症(fibrocystic disease)に罹った者が多いからだというのです。こうすれば
乳房が大きくならないので、車いすに乗せた時に拘束バンドですれることもなくなると
いうのです。そもそも、子供に母乳をやる必要もないので乳房はいらないし、性的にい
たずらをされる可能性も減らすというわけです。
3 あるコラムニストの批判
コラムニストのサレテン(William Saletan)の批判は次のとおりです。
そんなことが許されるのなら、沢山いる老人と呼ばれるところの、身体ないし視聴覚
障害者であって、持ち上げたりするのが大変で癌に罹りやすく、始終不快感に苛まれて
いて、子供を産み育てることができない人々にも同じことをしても良いことになる。
実際、米国の高齢者の7%は重度の視聴覚障害を持っているし、1,500万人の米国人が
親のための介護に従事している。アルツハイマー病に罹った人の大部分は自宅で家族や
友人に介護されて生活している。アルツハイマー病に最も罹りやすい人は85歳以上の老
人であり、この層は最も増加率が高い。これらの人々の生殖機能は無用で危険だ。75歳
までにはほとんどの男性には前立腺癌の兆候が見られるようになるし、80歳までには女
性の10人に1人が乳ガンに罹る。
4 感想
私はどちらかというと、批判論の方に共感を覚えるのですが、この種の問題は簡単に
は答えが出せないのではないでしょうか。
今や、あらゆる種類の美容整形がおおはやりですし、成長ホルモンの投与が認められ
ている一方で、バレリーナ、体操選手、騎手等になりたい若者の中には、本人の同意の
上、親が成長抑制剤を投与している者がいるといった話も耳にします。
筋肉増量のためのステロイド剤の投与は、プロスポーツ選手では禁じられています
が、それ以外の人で投与している人は少なくないとも聞きます。
これからは、サイボーグ的技術やDNAをいじって人間を改造する技術が次々に登場して
くることでしょう。
一体、両親が授けてくれた身体(精神を含む)に、いかなる場合にどの程度の改造を
することが許されるのか、まことに悩ましい問題です。
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消印所沢通信(あほコラム)4 「スパイの家系」
日朝間を巡る諸問題は依然,停滞している.
これは一つには,日本が諜報能力を欠いているためだとの指摘がある.
確かに,手の内の「カード」が新聞・雑誌記事の切り抜き程度では,外交交渉では日
本側が圧倒的不利だろう事は想像に難くない.
これに関し,モンゴルの情報機関を活用せよ,と提言しているのは,元外交官の佐藤
優氏である.
佐藤氏については,このメール・マガジン読者にとってはいまさら説明の必要もある
まい.
彼は次のように述べている.
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モンゴルは北朝鮮に高官を置き,北もモンゴルを重視している.
しかもモンゴルにとっては日本は大切なODA(政府開発援助)のドナー国ですからね,
モンゴルにお邪魔して情報収集に側面から色々動いてもらうんですよ.
日本には横綱・朝青龍さんがいますからね.朝青龍さん一族というのは実はモンゴル
の共産政権時代の秘密警察と公安組織の人たちなんです.大変なエリート一族で情報の
ネットワークを持っているんですよ.
――そりゃ大変だ.政治記者も外交官も横綱に夜討ち朝駆けしないと(笑).
そう.だから私なら朝青龍さんにモンゴルの情報機関の責任者を紹介してもらう.
モンゴルの情報員なら北朝鮮の人と顔が似ているから平壌で動きやすい.
しかも,もっと重要なのは,モンゴルにとっての一番の敵国ってどこですか.
中国ですよ.モンゴルは伝統的に対中警戒感が強いんです.日本政府,外務省関係者は
機密情報の入手,その裏どり,検証にモンゴルの利用価値が非常に高いことに気付くべ
きです.
「国家の自縛」(産経新聞社,2005/9/30),p.45-46より引用
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朝青龍関がいわゆる「スパイの家系」だったとは非常に驚きである.
しかし,これは本当の話なのだろうか? 諜報分野では欺瞞情報も意図して多く流さ
れるだけに,その信頼性の判定には細心の注意が必要である.
事実,「ドルジ 横綱・朝青龍の素顔」(武田葉月著,実業之日本社,2003/8/2)で
は,横綱の父親について
「長距離トラックの運転手」
としか紹介されていない.
そこでさっそく,2007年初場所で優勝したばかりの横綱に,突撃取材を敢行した.
「横綱,優勝おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「ところで,横綱の一族が公安関係ファミリーだという話がありますが?」
「そうですね,スジがいいですね.ありがとうございました」
「今でも諜報活動に携わっている親戚はおられるんですか?」
「そうですね,家族もね,喜んでると思いますね」
「旧KGBとの関係は?」
「そうですね,とにかくチャンスだけ待ってたんで.相撲的にはあんまりよくないんで
すけどね」
「北朝鮮の諜報員は手強いですか?」
「やっぱり固くなりましたね.優勝かかってるとね,横綱になってもやっぱり固くなり
ますね」
「日本の外務省についてはどうですか?」
「栃東,いい形を作りましたがね.不利な態勢になりましたが,そこから腰を引いてい
きました」
「では,日本の情報機関のためにも是非ご協力お願いします」
すると横綱,顔をぐっと近づけ,小声で一言,
「『国家に真の友人はいない』(キッシンジャー) 」
太田述正コラム#1621(2007.1.16)
<戦前の米国の対英戦争計画>
(本扁は、事実上コラム#1614の続きであり、情報屋台(
http://www.johoyatai.com
)のコラムを兼ねています。)
1 始めに
戦前の米国で、絶対にありえないというのに対英戦争を想定したレッド計画(Plan Red)が作られていたことからして、戦前の米国で対日戦争を想定したオレンジ計画(Plan Orange)(日本・米国・戦争(その6))が早くから作られていたことを問題視するのはおかしい、という趣旨の指摘が読者からありました。
この指摘の前段は誤りです。
レッド計画は、当時の米国にとって最も重要な作戦計画であったのです。
そうである以上、オレンジ計画だって、それに準ずる重要な作戦計画であったはずだ、と考えるのが自然でしょう。
本篇は、このレッド計画がいかなるものであったかをご説明しよう、というものです。
(以下、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/12/29/AR2005122901412_pf.html、
http://www.shunpiking.com/ol0309/0309-WD-UswarplanRED.htm、
http://lefarkins.blogspot.com/2005/12/war-plan-red.html、
http://www.glasnost.de/hist/usa/1935invasion.html、
http://www.ihr.org/jhr/v12/v12p121_HNAC.html、
http://www.lewrockwell.com/floyd/floyd42.html、
http://thoughthammer.com/product_info.php?products_id=1787、
http://en.wikipedia.org/wiki/War_Plan_Red
(いずれも1月16日アクセス)による。なお、最後から二番目の典拠は信頼性に若干疑問があるので、これに拠った箇所は≪≫に入れた。)
2 レッド計画策定の背景
米国は、独立戦争と1812年の米英戦争と2回にわたって英国と戦争を行っています。
その後も米国は米墨戦争、米西戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦等、おびただしい数の戦争を行っていますが、米国が負ける可能性があった戦争は2回行った英国との戦争だけです。
しかも、英国は、カナダが独立するまで米国と長い国境を挟んだ隣国であったのですから、英国が米国にとって最大の脅威であり続けたのは当然のことだったのです。
この脅威の解消を図るため、米国は何度もカナダの併合を試みてきました(注1)。
(注1)米国人の多くは独立戦争の時に英本国側に与したカナダ人を快く思っていない。同じアングロサクソンとは言っても、米国人が自由や幸福志向で政府を信用しないのに対し、カナダ人は平和や秩序志向で政府に信頼感を抱いている、といった違いがある。
独立戦争の時には現在のメイン州からカナダに米軍部隊(独立派)が侵攻作戦を敢行しますが失敗に終わります。
また、米英戦争の真のねらいはカナダ併合であったという説もありますが、当時、米軍部隊は何度かカナダ侵攻作戦を敢行するも、その都度反撃にあって撤退せざるをえませんでした。
ですから、1823年のモンロー宣言を、カナダの人々は米国のカナダへの強い関心を示したもの、と受け止めました。
19世紀末からは米国の帝国主義的傾向が一層顕著になり、カナダの人々は強い危機意識を抱くようになります。
第一次世界大戦(1914??18年)に日本は英国との同盟国として参戦しましたが、米国は勝手連的(associated power)に参戦したに過ぎず、日英両海軍の連携は極めて密接であったのに対し、米海軍内では、戦争の間中、英海軍への猜疑心がわだかまり続けました。例えば、≪英国は米国に対し、駆逐艦や商船の建造を勧めたのですが、米国は英国が自分達の海軍力の強化を望んでいないからだと勘ぐり、あえて戦艦の建造に努めました。≫
合計すれば海軍力において米国を上回るところの日英同盟で結ばれた日英両国は米国にしてみれば重大な脅威であり、第一次世界大戦後、米国は日英同盟の解消に精力を傾けます。
後にレッド計画に発展するところの、≪この頃の米国の対英作戦計画には、しばしば英国が米国との人種的紐帯を裏切って日本と同盟しているという文言が登場するほどです。≫
そして、1921年から1922年にかけてのワシントン会議において、日米英仏の4カ国条約と日米英仏伊5カ国の海軍軍縮条約が締結され、満期を迎えた日英条約は更新されず、かつ日英の海軍力の増大は抑制されることとなり、米国は目的を達成するのです。
英国が、米国に屈したのには二つ理由がありました。
一つは、当時まだ英国の植民地であった豪州とカナダが日英同盟の継続に消極的であったことです。
豪州は日本の太平洋での伸張を快く思っていませんでしたし、カナダは日英同盟で海軍力において米国に対する優位を維持したところで、その程度の優位では米陸軍の侵攻を持ちこたえるために必要十分な英本国軍の来援・補給海上輸送路を確保することは困難であることから、日英同盟は無用の長物であると感じていたのです。
もう一つは、英国が、建艦競争をしたところで、米国の海軍力が早晩、日英両国を合わせた海軍力を凌駕することは、その経済・財政力からみて避けられない、と判断したことです。
3 レッド計画について
(1)カナダ側の危機意識
その米国が1921年には英国を抜いてカナダからの最大の輸入国になり、その翌年には米国のカナダ投資額が英国による投資額を抜きました。
そして1924年には、米商務省が「経済的かつ社会的にカナダは米国の北方の延長とみなしうる」という報告書を出すに至ります。
以上のような歴史的背景の下、早晩米国によるカナダ侵攻が避けられないと判断したカナダ(英国)は先手をうちます。
1921年に、カナダ軍の作戦・情報部長のブラウン(James Sutherland Brown)は、カナダ侵攻の兆候があったら対米先制攻撃を行った上で、橋や道路を破壊しつつ次第に撤退し、英本国軍来援までの時間稼ぎをする、という作戦計画、Defence Scheme No. 1を策定するのです。
(2)レッド計画の策定と「実施」
対する米国は、1920年代末に、本格的に対日作戦計画(オレンジ計画)、対墨作戦計画(グリーン計画)、及び対英作戦計画(レッド計画)の策定に着手します(注2)。
(注2)カナダは(やや紫がかった)深紅(Crimson。クリムソン)、豪州は緋色(Scarlet。スカーレット)、ニュージーランドは石榴色(Garnet。ガーネット)、インドは紅玉色(Ruby。ルビー)、ドイツは黒(Black。ブラック)、米国は青(Blue。ブルー)という符号で呼ばれた。
ドイツが主敵であった第一次世界大戦が終わってからそれほど時間が経っていないというのに、ドイツに対する作戦計画は策定されませんでした。しかも、ナチスドイツが台頭しても作戦計画は策定されないままだったのです。
当時の米国はドイツを「友邦」と見ていたということになります。
それに対し、当時の米国にとって主要な潜在敵国は日・墨・英(加)の三カ国であったことが分かります。
この三カ国の中でも、潜在敵国の筆頭と認識されていたのは英国(カナダ)でした。
レッド計画はフーバー(Herbert Hoover)大統領の時の1930年に策定が完了し、ローズベルト(Franklin Delano Roosevelt)大統領の時の1934年と1935年に改訂されます。
1934年の改訂は、カナダの人々に対して化学兵器を先制使用することとカナダのハリファックス市の占領に失敗した場合に同市に戦略爆撃を行って破壊することを認めたものです。
レッド計画は、英国との戦争は、英国人が冷静で最後まで戦い抜く傾向があり、かつ、英軍は英国の植民地の有色人兵力による増強が見込めることから、長期戦になると見ていました。
具体的な作戦は、英・豪・ニュージーランド・インド軍によってフィリピンとグアムが占領されるのは甘受する代わりに、米国はカナダに侵攻するとともに、カリブ海における英国の全植民地に海空からの攻撃を加え、そのうちのいくつかの島は占領する、というものでした。
また、作戦開始と同時に、米国内の英国人やカナダ人は強制収容所送りにする計画でした。
そして、万一米国が敗れるようなことがあれば、アラスカを失うであろう一方、米国勝利の暁には、英領のカナダとジャマイカ・バルバドス・バミューダを米国は併合するとともに大英帝国を解体するつもりでした。
≪もっとも、米国の武器製造能力、特に艦艇の製造能力は英国のそれを上回っているので、戦争が長引けば米国は必ず勝利すると見込んでいました。≫
1935年には、レッド計画に基づく作戦準備が開始されます。
まず、カナダとの国境付近に、5,700万米ドルの予算で民間空港に偽装した航空基地の建設が始まります。カナダの航空基地にここから飛び立った軍用機で先制奇襲攻撃をかけるためです。
この件の議会での秘密聴聞会でのやりとりが漏れてカナダ政府が抗議するという騒ぎが当時起こっています。
更に同年、米軍は、史上最大規模の軍事演習をカナダ国境付近で行うのです。
すなわち、オタワの国境を挟んだ南方に36,000人の兵力を終結させ、ペンシルバニア州に15,000人の予備兵力を控置させたのです。
このレッド計画が無効とされたのは、日独伊の枢軸国に対する、オレンジ計画を発展させたレインボー計画が策定された1939年になってからです。
(3)レッド計画の背後の戦略
一体全体、どうして当時の米国は本来的友邦であるはずの日本や英国を敵視し、本来的敵国であるはずのドイツを友邦視していたのでしょうか。
米国はドイツの力を見切っていた一方で、世界の覇権を争っていた日本と英国を米国に従属化させるとともに、カナダとメキシコの資源を確保する(注3)という戦略を追求していた、と考えるのが自然です。
(注3)対墨作戦計画であるグリーン計画は、米国に逆らう非友好的な政府がメキシコに出現したという前提の下に、まず経済制裁を行い、次いで口実を設けて「防衛的」軍事介入を行い、首都のメキシコシティーを占領したら体制変革を実現し、協力的な政府を樹立し、石油産地周辺に米軍の恒久基地を設ける一方でメキシコの新国軍を整備する、という内容だった。このところ、米国がイラクに対してとってきた措置と生き写しであることに注意。
4 エピローグ
(1)成就したレッド計画
オレンジ計画は、そのかなりの部分が直接対日戦争に生かされ、米国は東アジアで覇権を争っていた日本に勝利し、日本を米国の保護国に転落させます。
一方、レッド計画の方は、戦争以外の手段で成就することになります。
先の大戦で疲弊し、帝国が瓦解するに至った英国は、戦後、米国の経済的軍事的策動もあって、事実上米国への臣従国家に転落してしまうからです。
またカナダは、1940年にはその防衛が米国の管轄下に置かれ、翌1941年には両国の軍事生産が事実上統合され、これが戦後のNATOや米加共同のNORAD、更には現在の北方司令部(Northern Command)へとつながっていくのです。
そして、カナダとメキシコは政治的・経済的・文化的に米国に吸収されつつあります。
2005年の北米安全協力協定(the Security and Partnership for North America agreement)の米加墨三カ国による締結は、その象徴とも言えます。
北方司令部へのメキシコの参加、そして三カ国の関税同盟の締結もそう遠くはないでしょう。
つまり、グリーン計画もまた、戦争以外の手段で成就したと言えそうです。
(2)明るみに出たレッド計画
レッド計画が1974年に秘密解除されたことに伴い、この計画について、二人のカナダ人がそれぞれ1977年と1993年に本を出版し、レッド計画がかつて存在したことが広く知られるようになりました。
しかし、英国やカナダに対する政治的配慮から、米国では朝野を挙げてこの計画の矮小化に努めてきました。
そのレッド計画の真実は、以上縷々ご説明したとおりです。
(3)結論
20世紀初頭の時点で米国が最も敵視していたのは日英同盟であり、その日英同盟の解消に成功してからは、米国の第一の敵は英国、第二の敵は日本となります。
そこで次に米国は、対英作戦計画であるレッド計画と対日作戦計画であるオレンジ計画を策定し、これら作戦計画を発動する等の方法で英国と日本を、それぞれ世界と東アジアの覇権国の地位から引きずり下ろす機会を窺う戦略を追求します。
そして米国は、先の大戦によってこの戦略を成就させ、爾来、世界の覇権国であり続けているのです。
太田述正コラム#1614(2007.1.11)
<日本・米国・戦争(その6)>
(本扁は、コラム#1609の続きであり、情報屋台(
http://www.johoyatai.com
)のコラムを兼ねています。)
朝河は、セオドア・ローズベルト(Theodore Roosevelt, Jr.。1858??1919年)米大統領(1901??09年)による日露戦争調停の目的を、様々な典拠をもとに、次のように述べています。日露戦争当時の米国は日本に好意的であったという説がいまだに有力ですが、この説は誤りなのです。
「戦争もし継続せば露國はすでに失えるところに加えて、太平洋沿岸の東亜領地をことごとく失うに至るべきを疑わず・・・これ・・・<セオドア>ローズヴェルト氏が・・・最も重要視せし事情にして、露国に談判の開始を勧めしもこれにより、また・・・露国に調停を勧めしもまたこれによれり。」(189頁)
「・・・ローズヴェルト氏は実に日本が大帝国を建設し得べき千載一遇の好機を奪い去りたるものなり。・・・<これは、日清戦争後の独仏露による>三国・・・干渉が日本より奪い去りたるところを十倍二十倍するも及ばざるべし・・・」(193頁)
当然次のような疑問が生じます。ローズベルトはどうして侵略的で反自由・民主主義的なロシアの肩を持ったのかと。
「そもそも露国は侵略主義と閉鎖主義との実行家と見做され、日本はこれに正反対の原則を標榜したるは、世の皆知るところなるにもかかわらず、正義進歩の側に立つ日本の勝利の継続せんことをローズヴェルト氏が妨げたるは、これ何故なりや。」(192頁)
朝河は次の三つの可能性を列挙します。
「日本が優勢に乗じて前年の公正なる宣言を忘れ、政治上経済上非違の行為に出でて、東洋の進歩幸福を妨ぐる至らんことを恐れしか。はたいわゆる黄色人種たり異教国民たり異種文明の発達者たりし日本が東洋に雄視せば、欧米人種、宗教、および文明の利害のこれがために大いに影響せられんことを憂えしか。あるいは日本の東洋および太平洋上における勢力大いに増進して、米国が人類進歩に関する天職として、自ら任ぜる大業のこれに妨げられんことを悲しみしか、・・・主として右の三理の何れかによりしものなるべきを察せんと欲するなり。この理由の正否は吾人の知るところにあらず。」(192??193頁)
朝河は、このうちどれが正解かはあえて述べていませんが、二番目・・米国で澎湃と沸き上がった黄禍論・・が正解であることは、朝河自身が記しているところ(下掲)から自ずと明らかです。
「<日露>戦後わずかに三年の今日、米国における日本黄禍論はすでに一部の人士より拡がりて、ほとんど国内の上下に普及し・・・たり」(152頁)
「ローズヴェルト氏<は>・・・海軍兵学校の教官に対して述べたる演説・・・の中<で>米国は移民を許しまたは拒むの権利を有するがゆえに、この権利を遂行するに足る海軍力なかるべからず、といえり。これもとより日本に対して云いたるにあらざるべきも、近頃日本移民問題の喧しかりしを思えば、この演説を読む米国民はローズヴェルト氏の心事を誤解して、その海軍増加の一理は日本移民排斥の実を挙げんがためなるべしと結論するもあらん。また氏はかくのごとき誤解をも予測してこれをも利用せしならんと推測する人もあるべし。氏はこの他の場合においても、将来日本と海上に衝突することなきにならざるべきを暗示して、米国海軍強大の必要を説くの便を計りたること絶えてこれなしというべからずと論ずる人またあり。」(199??200頁)
「ローズヴェルト氏が<1907年に>大西洋艦隊をして太平洋上に巡航せしめたるはいかなる意味ありや。・・・そのたまたま日本移民問題と前後して行われたるがゆえに、主として日本に対する示威運動なるがごとく解かれしも無理ならず。・・・余の察するところ、この派遣は海軍増設と同一の動機に出でたるもの・・・」(201??202頁)
しかも朝河は、次のように、米国における日本移民排斥主義、ひいては黄禍論の猖獗に理解を示しています。
エール大学教授として事実上米国市民になっていた朝河の本性がここに見え隠れしています。
「ローズヴェルト氏の日本労働排斥主義は米国経世家当然の態度として観るべき事情なきにあらず。・・・日本移民の来るままに放任せば、啻に米国の国難の増加すべきのみならず、日米国際の関係上日本の感情利益を害する重大なるは、労働排斥とは日を同じくして語るべからざるところならん。」(198??199頁)
当時の朝河には知る由もありませんでしたが、ローズベルトは、1897年にマッキンレー米大統領によって海軍副長官(Assistant Secretary of the Navy)に任ぜられると、米国がハワイを併合しようとしていたこと、そのハワイに日本人が盛んに移民していたこと、から、日本を仮想敵国とする作戦計画・・後にオレンジ計画(War Plan Orange)と呼ばれることになった・・の策定をただちに命じた人物です(
http://history.sandiego.edu/gen/st/~pbugler/page5.htm
1月11日アクセス。なお、このの典拠は1897年を1890年と誤記する等ミスプリが多いが、参照文献を沢山挙げており、典拠として使えると判断した。)。
また、ローズベルトは、米西戦争(1899年)の首謀者の一人であり、待望の戦争が起こると、自ら義勇騎兵連隊を組織して従軍し、中途からは彼自身がこの連隊を率いてキューバでスペイン軍相手にめざましい活躍をしました(
http://en.wikipedia.org/wiki/Theodore_Roosevelt
。1月11日アクセス)。
米西戦争に勝利した米国は、フィリピンを、独立運動を押しつぶしまでして併合しますが、これにより、米国は否応なしに東アジアにおいて、日本と影響力を競い合う存在になるのです。
セオドア・ローズベルトは、このように、当時の米国人の典型と言うべき人種的偏見を持った帝国主義者であったことから、自由・民主主義的価値観を共有する日本と手を携えるどころか、太平洋及び東アジアにおける米国の覇権の確立を意図して、アングロサクソンの生来的仇敵であるはずの欧州諸国や欧州の外縁たるロシアに肩入れしてでも日本を抑え込もうとしたのであり、将来の日米戦争の原因をつくった元凶であると言ってよいでしょう。
他方英国は米国とは正反対であり、日本に対して、ドイツを始めとする欧州諸国と欧州の外縁たるロシアとを潜在敵国とする日英同盟締結を働きかけ、1902年にそれが実現します。1901年に米大統領になっていたローズベルトはさぞかし苦々しい思いであったことでしょう。
その日本は、この日英同盟のおかげもあって、日露戦争を優勢裡に進めます。
危機意識にかられた米国のローズベルト政権は、日本抑止戦略を発動し、その結果、東アジア勢力としてのロシアが温存されることになってしまったわけです。
まこと、できそこないのアングロサクソンたる米国の面目躍如たるものがありますね。
(続く)


