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日本・米国・戦争(補注)
日本・米国・戦争(その2)
イラクの現状は内戦か
日本・米国・戦争(その1)
米国最新女性事情(その1)
2006年11月の記事一覧
2006年11月30日

太田述正コラム#1539(2006.11.30)
<日本・米国・戦争(補注)>(有料→2007.4.24公開)

 (全文を読めるのは有料読者だけです。現在、来年1??6月の新規有料読者を募集中です。この半年分の会費は5,000円です。会費を納入された方でご希望の方に、当コラムの全バックナンバー(有料コラムを含む。主要関連投稿付き)を差し上げます。お申し込みは ohta@ohtan.netへ。)

1 ブラックホーク・ダウンはソマリアのテト大攻勢だった

 (1)説明
 1992年から1994年まで米国はソマリアに人道的介入を行い、43人の米国人の死と引き替えに、10万人のソマリア人の命を救い、難民の数を半分に減らしました。
 しかし、米国では、ソマリア介入は、ベトナム介入以来の対外政策上の大失敗とみなされています。1993年10月までには、当時のクリントン米大統領の対ソマリア政策の支持率は30%に下がり、ソマリア介入を成功だったと考える米国民は25%しかなく、66%は失敗だったと考えるに至ったのです。

 ここでもまた、期待が膨らみすぎていたのです。
 介入の初期段階での安全回復・食糧支援活動が余りにもうまくいったので、ソマリアのことなど米国民はほとんど忘れかけていたのです。

 そこへ、1993年10月、首都マガジシオ(Mogadishu)であの「ブラックホーク・ダウン」戦闘が起こり、米軍兵士が何人も殺されたのです。
 TV画面は、連日のように、米軍兵士の傷つけられた遺体や捕虜になったパイロットの姿を映し出したために、当時実施された世論調査によれば、米国民の62%が、ソマリアがベトナムになる、と思いこんでしまったのです。

 こうしてクリントン大統領は、ソマリアから撤退する以外に術がなくなるのです。

 (以上、
http://www.nytimes.com/2006/11/28/opinion/28johnson.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
(11月28日アクセス)による。)

 (2)感想
 硫黄島の戦いや、特攻機の米軍艦艇攻撃がTVで同時中継されていたら、早期に、日本にとってより有利な条件で日米停戦が実現していたかもしれない、という気がしてきますね。

2 米軍のベトコン退治は英軍のマレー共産軍退治よりも上手だった

 (1)説明
 マレー危機(1948??60年)とベトナム戦争(1961??75年)を比べてみると、叛乱を鎮圧するのに長けているとされる英軍に比べて、米軍は遜色がないどころか、より叛乱鎮圧に長けているように思えてきます。

 マレーは英国が長年植民地として統治してきたので英軍はマレーを熟知していたのに、米軍はベトナムには全く土地勘がありませんでした。しかも、マレーの隣国は親欧米国のタイであり、叛乱分子は外からの補給を受けることができなかったのに対し、ベトコンは、北ベトナムから潤沢な補給を受けることができ、しかも政治的配慮から長期にわたって補給路(ホーチミン・ルート)を攻撃することを米軍は許されませんでした。また、マレーでは英軍対叛乱分子の兵力比は28対1だったのに、ベトナムでは米軍プラス同盟国軍対ベトコンの兵力比は1.6対1でしかありませんでした。北ベトナムが、次第に、当時アジア最強であった北ベトナム正規兵の南ベトナム投入数を増やして行ったことも忘れてはならないでしょう。

 にもかかわらず、英軍はドクトリンらしいドクトリンを編み出すことができず、叛乱を鎮圧するのに12年もかかったというのに、米軍はエイブラムス(Creighton Abrams)将軍の編み出した対叛乱分子ドクトリンを用いて、本格介入した1965年からわずか3年で、、ベトコンをおおむね制圧することに成功したのです。
 (以上、
http://www.h-net.org/reviews/showrev.cgi?path=313541144860377
(11月30日アクセス)による。)

 (2)感想
 イラクで叛乱分子の鎮圧に手こずり、万人の万人に対する戦い、という地獄絵を現出させてしまった責任は、やはり米軍にはなく、ベトナムの時の四分の一しかイラクに兵力を投入しなかったブッシュ政権の責任だ、ということになりますね。
 (ただし、ベトナム戦争当時のベトナムの人口は南北合わせて3,800万人であった(コラム#619)のに対し、現在のイラクの人口は2,700万(
https://www.cia.gov/cia//publications/factbook/geos/iz.html
。11月30日アクセス)であることと、ベトナム戦争当時に比べて、米陸軍及び海兵隊の兵員数が減っており、徴兵制も撤廃されていることを考慮する必要があります。)



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太田述正コラム#1538(2006.11.30)
<日本・米国・戦争(その2)>

 (現在、来年1??6月の新規有料読者を募集中です。この半年分の会費は5,000円です。会費を納入された方でご希望の方に、当コラムの全バックナンバー(有料コラムを含む。主要関連投稿付き)を差し上げます。お申し込みは ohta@ohtan.netへ。)

 椿事を引き起こすきっかけとなったのは、南ベトナムにおける、北ベトナム/ベトコンによる1968年1月のテト大攻勢(Tet offensive)でした。

 テト大攻勢そのものは大失敗に終わります。
 目標とした地区のいくつかは占拠できたものの、遅かれ早かれすべて米軍と南ベトナム軍が奪還しましたし、攻勢を担った8万人の兵士のうち、1ヶ月で4万人が戦死し、北ベトナム/ベトコン側は回復不可能な大損害を受けたのです。

 しかし、この大攻勢をTVで見た米国民の大部分は、これを米軍の敗北であると誤解し、時の米大統領であったジョンソン(Lyndon B. Johnson)の対ベトナム政策の支持率は瞬時に26%に下がり、テト大攻勢前には在ベトナム米軍を増強すべきだとしていた人が58%に対し、削減すべきだとしていた人は26%だったのに、テト大攻勢から2ヶ月経った時点では、後者が前者を上回るに至ったのです。

 こうなった原因の一つとして、ジョンソン政権が、米国民の期待感をふくらませていたことが挙げられます。
 北ベトナムから南ベトナムへの兵力の浸透率が下がり、北ベトナム/ベトコン兵士の死傷率が上がったことを踏まえ、テト大攻勢前の一ヶ月、ジョンソン政権は「勝利は目前だ」と吹きに吹いていたのです。ですから、米国民はすっかりその気になっていたのです。
 そこに突然、南ベトナムの約40の都市が同時に攻撃されるというテト大攻勢が起こったので、米国民は大きな衝撃を受けたのです。
 とりわけ衝撃効果を高めたのが、サイゴンの米大使館が襲撃を受けて占拠されたというニュース・・誤報であり、実際には占拠できないまま襲撃者は全員射殺された・・、及び、南ベトナムの警察長官がベトコンの捕虜の男性の頭部をピストルで撃って射殺するところを写した写真・・ベトナム派遣米軍の残虐さと正統性の欠如をイメージさせた・・、でした。
 ですから、ベトナム派遣米軍総司令官のウェストモーランド(William Westmoreland)が、テト大攻勢に対し我が方は勝利した、と宣言しても米国民は誰も聞く耳を持たなかったのです。
 しかも、米国のメディアは、その後も、テト大攻勢の際の北ベトナム/ベトコン側の「戦果」を過大に報じ続けたのです。

 (以上、
http://www.nytimes.com/2006/11/28/opinion/28johnson.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
(11月28日アクセス)による。なお、私のホームページの時事コラム#619も参照されたい。)

 こうしてあに図らんや、北ベトナムは、軍事的には大敗北を喫したにもかかわらず、政治的には大勝利を収めることができたのです。
 同年中の民主党のジョンソン大統領の次期大統領選挙には立候補しない旨の表明、そしてベトナム戦争の「名誉ある」終結を掲げた共和党のニクソンの大統領選勝利は、その必然的な結果でした(
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Vietnam前掲)。

 前に、米国は、国際情勢を読むことにかけてはまるでだめで、誤った情勢判断に基づいてベトナムへの軍事介入に本格的に乗り出してしまった、と申し上げたところですが、今度は、米国は、ベトナム戦争に勝利したにもかかわらず、負けたと誤解した世論に押し流されて、せっかくの勝利を無に帰せしめてしまった、というわけです。
 大男、総身に智恵が回りかね、といったところですね。

 米国のベトナム戦争における問題行動はそれだけではありません。
 1973年に米国は北ベトナムとパリ平和協定を結んでさっさと米軍を撤退させてしまい、1975年に北ベトナムが、この協定に明確に違反して南ベトナムに侵攻した時に、南ベトナムに全く手を差し伸べず、北ベトナムによる併合を座視する、という背信行為を行ったのです。

 米国の対外関係の歴史は、友人や友邦への裏切りの歴史だったと言っても過言ではありません。
 19世紀初めに北アフリカのベルベル人(Barbary)の海賊が米国の船を次々に捕獲したので、米国は、海賊の親分であるトリポリの太守を撃つべく、海兵隊と傭兵の混成部隊を海外派遣し、太守の弟を手名付けて現地で一緒に戦ったのですが、太守との間で、捕獲された船に乗船していた人質の米国人達を身代金と引き替えに解放する取引が成立すると、この遠征は突然中止され、ハシゴをはずされた太守の弟は、妻子を棄てて米国に亡命する羽目に陥りました。
 これが、米国が対外的に行った最初の背信行為です。

 先の大戦以降も、この種の背信行為のオンパレードです。
 ベトナム戦争の時の話は既にしましたが、それ以外に有名なものを三つ挙げておきましょう。
 1961年4月、武装したキューバ人亡命者1,500人を米CIAがキューバのピッグス湾(Bay of Pigs)に送り込んだのですが、キューバ軍が攻撃してくると、当時のケネディ米大統領は、一切支援しようとせず、彼らがキューバ軍によって殺害され、捕虜にされるのを座視しました。
 1979年のイラン・イスラム革命の際には、1953年に英国とともに国王の座に復帰させたというのに、イランのパーレビ国王に全く救いの手を差し伸べませんでした。それどころか、パーレビの米国への亡命さえ拒んだのです。
 1991年の湾岸戦争の直後には、さんざんけしかけてクルド人とシーア派にサダム・フセイン政権に対する蜂起を行わせながら、当時の米国のブッシュ父大統領は、彼らが虐殺され、鎮圧されるに任せたのです。

 (以上、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-boot22nov22,0,5598389,print.column?coll=la-opinion-rightrail
(11月23日アクセス)による。)

 これだけの前科があるのですから、米国政府の約束など全くあてにならない、と思うべきなのです。

(続く)



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2006年11月29日

太田述正コラム#1537(2006.11.29)
<イラクの現状は内戦か>(有料→2007.4.23公開))

1 始めに

 イラクの現状が内戦(civil war)であるかどうか、という神学論争が、米国でますます喧しくなってきました。

2 内戦の定義

 問題は、内戦の定義で学者達が一致していないことです。
 米国の多数説は、まず第一に、戦争をしている集団が同じ国出身であり、政治中枢の支配、または分離国家の支配、もしくは政策の大きな変更の強制のために戦っていることであり、第二に、合計して1,000人以上の死者が出て、双方とも少なくとも100人以上の死者が出ていること、を内戦とします。
 この定義によれば、1945年以来、全世界で100以上の内戦が起こっており、規模の小さいものとしては北アイルランドでの戦争があるし、死者総数の多さという点で、アンゴラ、アフガニスタン、ナイジェリア、支那、ルワンダの内戦が規模の大きい内戦です。
 イラクの現状ですが、10月には3709人のイラク人が殺されており、対イラク戦が始まった2003年以来の最高となっていて、毎月10万人以上のイラク人がシリアやヨルダンに逃亡しています。
 ですから、上記定義に照らせば、イラクの現状はまさに内戦であるということになります。
 ただし、この定義を認める学者の間でも、イラクがいつ内戦状況になったかについては争いがあります。
 内戦の当事者のうちの一つは通常主権政府でなければならないとの考え方から、米国からイラクに主権が委譲された2004年7月から内戦状況となったとする人がいる一方で、今年に入ってからサマラ(Samarra)でシーア派の崇敬の的となっているモスクがスンニ派によって爆破されてからだ、とする人もいます。

 これに対し、英国には少数説の学者であるキーガン(John Keegan)がいます。
 彼は、相争っている集団が国家権力の争奪戦を繰り広げており、それぞれが何のために戦っているかを公表する指導者を持っており、それぞれが制服を着て継続的に戦闘を行っている、というのが内戦であるとし、このような意味での内戦は、17世紀のイギリスの内戦から始まって、20世紀のレバノン内戦まで、全部で四つしかない、と主張しています。

4 内戦とどうしても呼びたくない米政府

 米ブッシュ政権は、内戦という言葉を使うことを徹底的に避けています。
 その理由は、米政府流の内戦の定義にイラクの現状は合致しないというものです。
安全保障担当大統領補佐官のハドレイ(Stephen Hadley)は、イラクで宗派的暴力をふるっている連中は、特定の地域で支配権を確立するというより、考え方の違いを表明することの方に目的があるように見えるし、連中は同時に民主主義の不安定化を図ろうとしている。これは、二つの勢力が一定の地域とそこにおける至上権をめぐってぶつかっているという内戦ではない、と述べました。
 また彼は、イラク政府が内戦という言葉を避けていること、また、イラクの軍や警察が宗派ごとに分断されていないこと、そしてイラク政府もまた統一性を維持している、ということも付け加えました。
 しかし、ブッシュ政権が内戦という言葉を嫌う実質的な理由は政治的なものであると考えられています。
 それは一つには、内戦という言葉を使うと、自分達の失敗を認めたと受け止められかねないことです。もう一つは、米国民が、内戦に米軍が巻き込まれているのなら、ただちにイラクから撤兵すべきだと言い出す恐れがあることです。
 なお、イラク元首相のアラウィ(Allawi)は、今年3月に、イラク全土にわたって毎日50??60人も殺されるという状況を内戦と呼ばなければ何と呼ぶのか、と述べています。この数は現在では2倍に増えています。
 ちなみに、国連のアナン事務総長は、27日、「イラクは内戦一歩前の状況だ」と述べたところです。

3 米国のメディアの動き

 こうした中、最近、米国のロサンゼルスタイムスとNBCテレビ網という二つの米メディアが、イラクの現状について、内戦という言葉を用いることになり、侃々諤々の議論が起こっています。
 まず、10月にロサンゼルスタイムスが静かに先鞭を切りました。
 もっとも、ロサンゼルスタイムスの場合、イラクのアンバール(Al Anbar)県のように、不穏分子がもっぱら米軍と戦いを続けている地域もあり、イラク全土を内戦という言葉で一括りにはできない、という認識です。
 次いで17日には今度はNBCが内戦という言葉を使うことを、はでにぶちあげました。
 この2社以外の米メディアは、いかなる言葉を使うかについて、特に規制をしていないわけですが、どのメディアでも、本社に比べて、イラク特派員の方が内戦という言葉を使いたがる、という傾向が見られます。

 (以上、
http://www.nytimes.com/2006/11/26/world/middleeast/26war.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
(11月26日アクセス)、及び
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-et-war28nov28,1,5752619,print.story?coll=la-headlines-world
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1959479,00.html
(どちらも11月29日アクセス)による。)

5 私の見解

 私の見解は、以前にも述べたことがあると思いますが、イラクの状況は、内戦よりもっと多面的・混沌的・無政府的な万人の万人に対する戦いである、というものです。
 最大の問題は、このイラクの状況をどう呼ぶか、ではなく、この状況をいつか克服できるのか、そのためにはどうすればよいのか、だと思います。



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太田述正コラム#1536(2006.11.29)
<日本・米国・戦争(その1)>

 (現在、来年1??6月の新規有料読者を募集中です。この半年分の会費は5,000円です。会費を納入された方でご希望の方に、当コラムの全バックナンバー(有料コラムを含む)を差し上げます。お申し込みは ohta@ohtan.netへ。)
 (本篇は、情報屋台(コラム#1447)用のコラムの転用です。)

1 始めに

 元特捜部検事で法務省官房長の時に自ら退官して現在福祉活動家として活躍しておられる掘田力さんは、皆さんご存じのことと思います。

 やや旧聞に属しますが、その堀田さんが、あるコラムで、

 「じわじわと進む右傾化も、戦争の悲惨さ、無残さを身をもって経験した者には、何ともいらだたしいことである。アメリカは、ベトナム戦争から何も学んでいないし、日本で右の方向に社会を少しずつずらしていく政治家たちも、その先に起きるおそれのある不幸な事態にまるで無頓着で、気楽に威勢のよいことを言って愛国者気取りである。聞く耳、見る目を持たず、忠告者を敵として攻撃する無神経さが、こちらの神経にこたえるのである。」

と記しておられます(
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/hotta.cfm
。9月11日アクセス)。

 必ずしも堀田さんの論旨が明確ではないのですが、その点も含め、私は、堀田さんが平均的日本人の典型であるとみなし、その主張を検証させていただくことにしました。

 私の読み方が的確であるかどうか自信はありませんが、掘田さんは、

一、 米国はベトナムで戦争をすべきではなかった。○
二、 なぜなら、米国はその戦争に敗北したし、×
三、 米国はその戦争目的を達成できなかったからだ。△
四、 日本は対米戦争をすべきではなかった。×
五、 なぜなら、日本はその戦争に敗北し、○
六、 日本は戦争目的を達成できなかったし、○
七  その反面、米国はその戦争目的を達成したからだ。×
八、 米国はイラクでも戦争をすべきではなかった。×
九、 なぜなら、米国はその戦争に敗北しつつあるからだ。?
十、 当然、その戦争目的も達成できそうもない。?
十一、日本は自らを防衛するために必要な軍備以上の軍備を持とうとしている。○
十二、持ったあかつきには、日本はすべきでない戦争をすることになり、敗北することだろう。?
十三、だから、日本は自らを防衛すること以外の戦争目的を思い描いてはならない×

と主張しておられるようにお見受けします。

 しかし、私に言わせれば、このうち、二、四、七、八、十三は間違いであり、三はどちらとも言えず、九、十、十二は不明です。
 各命題に、○(正しい)、×(間違い)、△(どちらとも言えない)、?(不明)、をつけたのでご確認下さい。

 ですから、堀田さんの主張は、全体として間違っていると私は思います。
 納得できない、という方も少なくないと思います。
 以下、できるだけ丁寧に説明させていただきたいと思います。

2 ベトナム戦争について

 (1) 米国はベトナムで戦争をすべきではなかった

 米国は、戦後、自ら世界の警察官役を買って出ました。
 戦後間もなく米国を盟主とする西側諸国とソ連は冷戦に突入し、米国は、全世界で共産主義圏の拡大を阻止するために全力を傾注していました。
 ベトナムでは、戦後、共産主義勢力が、第一次インドシナ戦争で宗主国フランスを打ち破り、共産主義勢力が支配する北ベトナムと、反共産主義勢力や親共産主義勢力がせめぎあう南ベトナムが並立することになりました。
 北ベトナムは、南ベトナムの吸収統一をめざしており、米国は、そうなった暁には、早晩、東南アジアを共産主義勢力が席巻することになると考え、南ベトナムの梃子入れに乗り出し、やがて軍隊を南ベトナムに派遣して南ベトナムの親共産主義勢力と、その背後の北ベトナムと戦うのです。

 しかし、米国はベトナムに介入すべきではなかったのです。
 北ベトナムが南ベトナムの吸収統一をめざしたのは、ナショナリズムに駆られてであり、ベトナムを超えて共産主義圏の拡大を意図していたわけではなかったからです。
しかも、1960年には、中ソ論争が公然と行われるようになり、共産主義勢力の一枚岩伝説は音を立てて崩れていました。
 当然、おなじようま対立がベトナムと中共との間でも起きる、と米国は考えてしかるべきでした。
 実際、北ベトナムがベトナム戦争に「勝利」し、1976年にベトナムが統一されるや、ベトナムは1978年に、中共の意向に逆らってカンボディアに軍事介入してポルポト共産主義政権を転覆し、翌1979年には怒った支那の中国共産党政権がベトナムを攻めて中越戦争が起きるのです。

 (以上、事実関係は、
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Vietnam、及び
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%82%BD%E5%AF%BE%E7%AB%8B
(どちらも11月29日アクセス)による。)

 ところが、米国は、国際情勢を読むことにかけてはまるでだめで、誤った情勢判断に基づき、南ベトナムへの支援にのめり込み、ついには1960年代に入ってからベトナムへの軍事介入に本格的に乗り出してしまうのです。
 他方、アングロサクソンの本家の英国は、1950年に起こった朝鮮戦争の時は派兵したというのに、当時のベトナム情勢を読み切っていたからだと私は思っているのですが、ついにベトナム戦争には参戦しませんでした(
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=74&ItemID=9837
11月29日アクセス)。

 (2)米国はベトナム戦争に勝利した
 
 ここまでは、まあそんなところかと思われる方ばかりでしょうが、「米国はベトナム戦争に勝利した」、と言われるとびっくりされる方が多いことでしょう。
 しかし、米国はベトナム戦争に勝利したまさにその時に、逆に敗北したと思いこんでしまう、という椿事が起こったのです。

(続く)



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2006年11月28日

太田述正コラム#1535(2006.11.28)
<米国最新女性事情(その1)>(有料→2007.4.21公開))

 (本篇を全部読めるのは有料読者だけです。現在、来年1??6月の新規有料読者を募集中です。この半年分の会費は5,000円です。会費を納入された方でご希望の方に、当コラムの全バックナンバー(有料コラムを含む)を差し上げます。お申し込みは ohta@ohtan.netへ。)

1 始めに

 米国の女性の最新事情を最近上梓された2冊の本を通じて探ってみましょう。

2 結婚について

 (1)手がかりになる本
 手がかりになる本は、ウェラン(Christine B. Whelan)のWHY SMART MEN MARRY SMART WOMEN, Simon & Schuster です。
 ウェランは、経済・社会史の博士号を持っている29歳の女性であり、国勢調査の結果、自ら1629人の仕事をバリバリやっている男女を対象に実施した世論調査、及び仕事をバリバリやっている100名の男女と全米9つの都市で自ら行ったインタビューを踏まえて、この本を書き下ろしました。

 (2)本の概要
 かつては、仕事をバリバリやっている女性は結婚できないし子供も持てないと思われていた。
 ミシガン大学のかつての研究によれば、大卒の男性は、より劣位にある女性と結婚することを好んだ。例えば、会社の幹部は、自分の上司や同輩より、秘書である女性の方を好んだ。
 具体的には、1980年においては、40歳から44歳になった時点でそれまでに結婚したことがある者の率は、修士号以上を持っている女性は高卒の女性に比べて13.5%も低かった。
 また、英国のかつての研究によれば、IQの高い女性は低い女性に比べて結婚できる率はかなり低いけれど、男性の場合はその逆だった。
 1970年代、1980年代において、そして1990年代においてもなお、それが紛れもない現実だった。
 しかし、2000年までには、少なくとも米国においては状況が一変した。
 この間、1970年に比べて、現在では3倍もの女性が修士号や博士号を取得するようになった。今や大学生の57%は女性だし、ロースクールやメディカルスクールの学生の半分近くが女性になった。そして、女性は企業、非営利団体、教育界等あらゆる分野で高いポストにつくようになった。これが状況の変化をもたらしたのだ。
最近では調査すると、地位が高く力を持っている女性の方がそうでない女性より男性から見て魅力的だという結果が出るようになった。
 具体的には、白人の女性の場合、年間所得が1万ドル増えると1年以内に結婚する可能性は7%あがるし、黒人の女性の場合は、8%以上あがる。
 こうして、修士号以上の学位を持っているか、それぞれの年齢集団で上位10%の所得を得ている(注1)か、あるいはその両方の活躍している女性は、その他の女性に比べて、結婚の時期が遅れるだけで、結婚する率は同じになった。

 (注1)2005年に24歳から34歳までで年5万ドル以上の所得のある女性、35歳から40歳までで年6万ドル以上の所得がある女性。

 結婚の時期が遅れるという点だが、29歳の時点で、修士号以上を持っている女性の55%しか結婚していないが、その他の女性の61%が結婚している。ところが、30代になってから、修士号以上を持っている女性は追いつくのだ。すなわち、30歳の時点で、学士号以下しか持っていない女性が結婚する可能性は三分の二であるのに対して、修士号以上を持っている女性が結婚する可能性は四分の三もあるのだ。
 しかも、彼女たちは、その他の女性に比べて離婚率がほとんど半分だ。
 にもかかわらず、仕事をバリバリやっている女性達の半分近くは、いまだに自分達は縁遠い存在と思いこんでいる。彼女たちは、仕事をバリバリやっている男性は同じような女性を求めているし、そもそも今時の男性は、高学歴の女性や仕事で成功している女性を決して敬遠などしないことを知らないのだ。
 なお、私の行った世論調査によれば、高学歴の女性の半分は、ぴったりくる男性が現れなかったら未婚の母になりたいと思っている。
 私はそれはそれで立派な選択だと思う。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/11/22/AR2006112201801_pf.html(書評)
(11月27日アクセス)、及び
http://washingtontimes.com/functions/print.php?StoryID=20061115-105432-9752r(書評)、
http://www.abcnews.go.com/GMA/print?id=2569852(抜き刷り)
(どちらも11月28日アクセス)による。)

 (3)感想
 ワシントンポスト上掲の書評子は、ウェランの本は、題名である「なぜ今頭の良い男は頭の良い女と結婚するのか」を説明していないし、男性の結婚願望は女性より強いというのに、低収入・低学歴の男性は女性から相手にされず、独身のみじめな人生を送る、といったことに全く触れていない、と批判しつつも、既に明らかにされつつあったとはいえ、高学歴・高所得の人々に関して、結婚が同レベルの男女間で行われる傾向が強まりつつあることを、改めて指摘したと言う点でこの本の意義は大きい、と記しています。
 なお、この本に対しては、未婚の母になることも立派な選択だ、と言っている箇所だけは問題だ、という批判(
http://progressiveconservatism.blogspot.com/2006/10/new-review-why-smart-men-marry-smart.html
。11月28日アクセス)もあります。
 子供はペットではなく、やはり父性も必要としているのだから、未婚の母になることが立派な選択とは必ずしも言えない、というのです。
 私もこれらの批判に同感です。
 ところで、日本では、2004年度で、大学(短大を除く)への進学率が男子49.3%,女子35.2%と男子の方が15%近く上回っており、大卒でただちに大学院に進学する率に至っては、男性14.4%に対し、女性は7.1%と半分でしかない(
http://www.gender.go.jp/whitepaper/h17/danjyo_gaiyou/danjyo/html/honpen/chap01_08.html
。11月28日アクセス)、という「遅れた」状況をまず何とかしなければならない、と思います。
 高学歴の女性の結婚問題を考えるのはそれからでしょう。

(続く)



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